■ボイドの足跡

というわけで、連載中、何度も名前だけ出てきながら、
いつまで経っても登場しなかった(笑)二人目の天才、ジョン・R・ボイド(John Richard Boyd)。
ようやく彼の登場となります。

1941年、戦略爆撃を近代的な理論にまとめ上げる事によって、
戦争の形態を全く変えてしまったハロルド・L・ジョージ(harold lee george)が
アメリカの空の戦いにおける、一人目の天才です。

そのジョージが産み出した戦略爆撃の理論が限界を迎えた1960年代後半に登場し、
航空優勢の確保を最優先とする戦闘機による新しい空軍を造り出してしまった中心人物、
それがボイドであり、彼こそがアメリカ空軍が迎えた二人目の天才、という事になります。

一人目の天才、ジョージも未だにアメリカですら知名度は低いですが、
このボイドも同様で、2002年にロバート・コラム(Robert Coram)が
彼の伝記を出版するまで、ほとんど無名に近い存在でした。

ただし、変な方面で名前が知られているのがボイドの奇妙なところで、
航空方面では無名に近いものの、別の方面ではちょっとした有名人なのです。

OODAループと呼ばれる特殊な思考と行動のサイクルがあり、
最近では日本のビジネス向け雑誌でも見かける事があります。
このサイクルを考え出したのがボイドであり、
ビジネスにおける計画、立案、実行という過程によく使われるため、
この方面では、実はボイドはそれなりに有名人です。

もう一つ、軍人としてメシを食ってる世界中の人間が一度は必ず読むであろう
戦争マニュアルのベストセラー、アメリカ海兵隊の戦略基本方針(doctrine)、
WARFIGHTINGの基本理論を組み上げてしまったのも、またボイドなのです。
なので、現代世界の陸戦屋さんにとって、彼は教祖のような存在になっております。
平和な日本ではほとんど知られてないようですが、平和でない軍隊においては(笑)、
ボイドはそれなりに有名な戦略理論家だったりするのです。

…メチャクチャですね(笑)。
とにかく多才な人、それがボイドなのだ、という事になるでしょうか。
ただし、戦略爆撃のジョージが静かな、常識ある天才だったとするなら、
ボイドは型破りな、とにかく変人、という感じの、破滅型の天才でした。
実際、彼はかなりの年齢になるまで少佐のまま空軍で過ごし、
その功績からすれば将軍(General)の階級に上がれても不思議はなかったのに、
最後までトラブルメーカーとして君臨し、大佐の階級のまま、軍を去ることになります。

が、英語圏において、ジョージが戦争中の輸送部隊の運営ではそれなりに有名だったのに対し、
その戦略爆撃機への貢献ではほとんど無名に近かったように、
ボイドも、肝心な航空戦略に対する貢献は、あまりに知られてません。

この連載では、それを見て行く事にしましょう。




1990年、砂漠のヒゲことフセイン率いるイラク軍がクウェートに侵攻して始まったのが湾岸戦争です。
ちなみにアメリカではGulf war、湾岸“戦争”となっていますが、イギリスではGulf Conflict、湾岸“紛争”とされる事が多いです。
なんらかの大人の事情でしょうかね…。

これに対する欧米諸国及びサウジアラビアなどの多国籍軍の反撃が砂漠の嵐作戦(operation desert storm)で、
1991年2月に発動されると、わずか数日間で占領下のクウェートはもちろん、本国に居たイラク軍までを壊滅させてしまいます。

でもって、この作戦はちょっと変わっていました。
火力を正面に集中して、大軍でワーっと行って、ガー言わせたるねん、というアメリカらしい作戦ではなく、
まず、クウェートの海岸沿いに最強の海兵隊が進出、それと同時にはるか内陸部へ空挺部隊が侵攻します。

この海岸線の海兵隊にイラク軍主力がクギヅケになってる間に、内陸部では突然空挺部隊が出現(例の101空挺部隊含む)、
イラク軍が軽いパニックなったところを機甲部隊が敵主力部隊を迂回しながら北上、、
包囲網を完成させてしまって、そこから殲滅作戦に入ったのです。

裏でドラえもんが一枚噛んでいて、タイムマシンで、シュリーフェン時代のドイツ参謀本部をアメリカに連行、
作戦を立案させたのではないか、という感じに見事なまでの機動、包囲、殲滅戦でした。
戦力差が有りすぎたので見落とされやすのですが、
ここまで見事な包囲、殲滅までやったのは戦史上でも珍しいでしょう。

で、ボイドは、このアメリカらしからぬ機動作戦の立案にも、絡んでるらいしんですよ、奥さん(笑)。



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