■絶滅する戦闘機
さて、1950年代、ローマ帝国の再来のごとく、
軍のトップから国家のトップ、大統領になったアイゼンハワーによって、
アメリカに空前絶後の軍事予算ウハウハ時代が訪れました。
その結果、センチュリーシリーズという一連の戦闘機が生まれたのですが、
現在アメリカの空を飛んでる空軍の機体で、
センチュリーシリーズの後継者、と見なしていい機体は一つも有りません。
センチュリーシリーズと、現代の空軍機の間には大きな断絶があるわけです。
確認すると、センチュリーシリーズは全て二つの種類の戦闘機に分類できます。
一つは、F-100とF-105が属する核戦術爆撃機。
もう一つがF-101、102、104、106が属する全天候型迎撃機。
が、現代のアメリカ空軍の機体で、これらに分類される機体はありません。
両者の間には、ジュラ紀の王者、恐竜さんと現代の玉者、人類さん位の違いがあるわけです。
何が起こったのか。
今回は恐竜の皆様方を絶滅に追い込んだ、巨大隕石の衝突のごとく、
センチュリーシリーズの系統に属する戦闘機を
ことごとく絶滅させた原因は、一体何?ってのを見ておきしょう。
それがF-22へと繋がる道となるわけです。
センチュリーシリーズで真っ先にデビューして、真っ先に使い道が無くなった(涙)F-100、
この機体のみがある意味、現代の“航空優勢が取れる万能機”というコンセプトに
近い存在でしたが、やっぱり全体的に中途半端ではありました…
そもそもアメリカ空軍は、陸軍時代の戦闘機を追撃機、pursuitと呼んで、その仕事は
敵の爆撃機を撃墜すること、としました。
これが第二次大戦で、どうも航空優勢ってものがあるぜ、と気がつき、
それを得るための戦闘機としてP-47やP-51が投入され、F-86あたりから、航空優勢を強く意識した機体になります。
それが戦略爆撃至上主義によって、また先祖返りしてしまったのが1950年代だったわけですが、
再び、この考え方は間違ってるじゃん、とベトナムの空で学習するハメになったのでした…j。
これには、大きく分けて三つの事件が原因となっています。
その1.
空軍が開発した機体はベトナムでMig21にケチョンケチョンのシオシオのパーにされた。
結果→ 航空優勢が取れる、ドッグファイトに勝てる機体への方針変換
その2.
ソ連が核戦略の中心を弾道ミサイルに切り替えたため、
それまでの戦略爆撃機を中心にした戦略方針は全く無意味になってしまった。
結果→ 敵が爆撃機を使わない以上、全天候型迎撃機の存在が無意味になって廃止
その3.
1961年、核兵器嫌いのケネディ大統領が、マクナマラ国防長官とセットでやって来た。
結果→ 核兵器中心の戦略方針の放棄、空軍の戦闘機のラインナップの見直し
さて、これらを順番に、もう少し詳しく見て行きましょうか。
(時系列で並べると、2-3-1の順になるが、説明し易い順で以上のようにします)
■その1 ベトナムでミグ21に手も足も出ませんでした、テヘ
1965年3月のローリングサンダー作戦から本格的にベトナムへの関与を開始したアメリカ空軍ですが、
ほぼ同世代(1955年初飛行)と言っていいソ連の戦闘機、Mig21に
センチュリーシリーズは束になってかかっても、全く歯が立ちませんでした。
前回書いたように、その撃墜数は0で、1機たりとも堕せてません。
結局、このMig-21に対抗できたのは海軍が開発した機体、F-8とF-4ファントムIIだけでした。
敵戦闘機と戦う、という前提で造られた戦闘機が最も旧型のF-100のみ、という状況では
当然といえば当然の結果ですが、空軍の面目丸つぶれ、だったわけです。
この段階までのアメリカの空の戦いを支えていたのは、間違いなく海軍でした。
が、さすがの空軍もここから学び、海軍の後塵を拝したF-4ファントムIIと
既に開発中だったF-111はあきらめて(笑)、
次の機体からは、“空中戦に勝てる戦闘機”を目指す事になります。
原点回帰というか、ようやく常識を取り戻したというか、そんな感じですね。
で、それがF-15になるわけです。
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