■1957年の大絶滅

■その2 ソ連が戦略爆撃をやる気が無い事が判明しちゃった

この点は既に何度か説明してますが、ソ連は当初から戦略爆撃に自信がありませんでした。
なにせ、やったことが無いし、ソ連本土からアメリカはあまりに遠かったのです。

その代わり、1957年10月にソ連は人工衛星、スプートニクを打ち上げる事で、
地球の裏側まで届くロケットを我々は手に入れたのだよ、と
暗に新しい核戦略を世界にアピール、
これによって、戦争は全く新しい時代に入る事になります。

元々は軍隊がワッセワッセと歩いて行ったり船に乗ったりして敵の国に攻めこんで、
相手がこれ以上戦争するのはもうムリ、ゴメンチャイ!
と考えるように追い込むのが戦争の基本形でした。
だいたい人類誕生から1941年まで、60万3584年間は、
この原則は絶対であり、普遍的なものでした。

が、アメリカが第二次大戦に始めた理論的な戦略爆撃によって、
空から爆撃するだけで、相手の国家を半壊させる事ができる、
核爆弾を使えば全壊だって可能だよ、となります。
この結果、戦争の形が完全に変わってしまい、その変化した戦争に対応したのが
戦後から1950年代までのアメリカ空軍でした。

が、今度はソ連が全く戦争の形を変えてしまいます。
宇宙ロケットとこれを利用した大陸間弾道ミサイル(ICBM)が登場したことで、
それこそ自宅に居ながら、ボタン一つで
相手国家を灰燼に帰する事ができてしまう時代になったのです。
もはや軍隊さえ必要ない戦争、といえます。

この結果、戦略爆撃と本土の迎撃ネットワークとで、ソ連に対して一方的に優位に立ち、
いざとなったら、本気で核兵器を使うぜ、と思っていたアメリカの基本戦略が崩壊します。

これ以降、こっちが手を出したら、
確実に防御不能の反撃を食らう、という時代になるのです。
よって、うかつに核兵器は使えない。核の抑止力の時代の始まりです。
見方を変えれば、戦争になったらもはや勝者は存在し得ない、
という何がなんだかわからない時代の始まりとなります。

後にマクナマラ国防長官が、確実な相互破滅(Mutual assured destruction=MAD/ダジャレでもある)
と呼んだ、全く新しい核戦略の時代がスタートしたわけです。

ここで注意したいのは、核戦争が勝者無しの人類の終焉を意味し、
強烈な抑止力となるのは、この1957年10月以降、大陸間弾道弾が登場してからで、
それまでは、アメリカ側が一方的に核戦争を仕掛けて勝つことも可能で、
核兵器はそれなりに現実的な選択肢だったのでした。
よって核戦争の可能性はむしろ、その時代の方が高かったのです。



スプートニクショックを受けて、アメリカの核戦略は弾道ミサイルへと
大きく方向転換が成されます。

それまではアメリカがソ連本土を核爆撃しても、ソ連の報復戦略爆撃機の侵入を防げば戦争に勝てる!
と思ってたわけですが、ほぼ大気圏外から落下してくる弾道ミサイルは
さすがに防ぎようがありませんから、この段階でアメリカの優位は完全終了、となります。
アメリカ本土も、ソ連の核兵器から安全なエリアではなくなってしまったわけです。

ここからは、核戦争になったら両者痛みわけ、誰も生き残れないという
人類が経験したことの無い戦争になってゆきます。

戦争の形が、またもや根底から変わってしまったわけです。




この結果、核兵器を積んだ戦略爆撃機を前提としていた、
これまでのアメリカ空軍の戦略方針は根底から崩壊します。

そもそも30分以内に地球中のドコにでも核兵器を叩き込める
大陸間弾道ミサイルがあるのに、わざわざ戦略爆撃機で飛んで来る
マヌケは居ませんから(離陸してる間に戦争は終わってしまう)、
戦略爆撃機も、それに対する全天候型迎撃機も、意味を失ってしまいます。
なので、この2機種の開発が、まずストップすることに。
この結果、アメリカ空軍を構成する機体の内容が大きく変わってゆくことになるわけです。



B-29、B-36、B-47と来て、さらなる進化形として1955年に初飛行したB-52戦略爆撃機。
ウハハハハ、どんどん戦略爆撃造ったるでー、ウハウハやでーという戦略航空司令部(SAC)全盛期を象徴する機体ですが、
これまたスプートニクショックで、あれ?ひょっとして要らない子?となってしまい、
以後、アメリカ空軍は本格的な戦略爆撃機の開発を行わなくなります。

それでも、核爆撃機を造る、という事でその地位を維持していた空軍将軍の皆さんによって(笑)
B-1高速爆撃機(一度廃案になってから復活)、B-2ステルス爆撃機が開発されますが、
これらはB-36やらB-52のような戦略爆撃機とは言いがたい、単なる核爆撃機でしかありません。
B-1は開発当初こそ一応、戦略爆撃機でしたが、開発中から生産開始にまでに、
その任務はクルクルと変更され、F-101以来の典型的な“生産する事が目的”という機体になります。

そもそもやる気あんのか、という生産数でしかないですしね、この両者。



戦略爆撃機が要らなくなったなら、当然、それを迎え撃つ全天候型迎撃機も要らなくなります。
なので、F-106を最後にこの手の機体は二度と造られなくなるわけです。



そしてこの流れは、イギリス、フランスなどにも及ぶことになります。
そもそもイギリスの場合、1957年春に発表された今後の防衛方針、
1957年防衛白書(1957 defence white paper )によって、大幅な軍事費の削減を宣言、
その中で対戦略爆撃機の任務を、迎撃戦闘機から地対空ミサイルに切り替えることを表明していました。

そこにスプートニクショックがやって来て、ますます戦闘機なんて要らんやんけ、となり、
1957年を境にして、迎撃機どころか、戦闘機、核爆撃機の開発まで、ほぼ停止してしまう事になります。
なにぜ、イギリスにはもうお金が無いのだ、という時代ですしね…。

以後、垂直離着陸機という特殊例だったハリアーを除き、
イギリスの軍用機開発は、事実上終焉を迎えます。

そして、基本的に何も考えて無いフランスも(笑)、え?皆がそうならオレも!
とばかりに、高速迎撃戦闘機の開発を中止してしまう事に。

なので、この1957年を境に、“戦略”核兵器を中心にした機体、そしてそれを迎撃するための機体は、
世界の空から静かに消え去って行くことになり、
世界の空軍は徐々に新しいスタイルを模索する時代に入ることになるのです。



1957年当時、すでにライトニングと言うマッハ2クラスの迎撃戦闘機を持っていたイギリスですが、
メーカー保護と軍人さんの再就職先確保のため(笑)、それ以外にもいくつかの機体が開発中でした。

写真はそんな機体の一つ、サンダーズ ロー(Saunders-Roe) のSR53。
ロケットをメインエンジンとして、補助動力にターボジェットを積んだよ、という
当時なぜかヨーロッパで流行ってたスタイルの高速迎撃戦闘機でしたが、
これも1957年の防衛白書によってその開発は中断となるわけです。




で、超音速核爆撃機として開発されていた、アヴロ730なんかも開発中断、となります。
写真はその風洞実験用の模型ですが、無人機ではなく、パイロットは機首部にのって、
潜望鏡によって外を見ながら操縦します(笑)。

これは中止になってよかった、という気もしますが、同時に飛んでるとこを
一度は見てみたかった、という気も…



基本的に、難しいことは考えないザンス!という方針で戦闘機の開発を行っていたフランスも、
この1957年の流れに便乗した国の一つです。

写真は、これもロケットエンジンと両翼端につけたターボジェットの混合機、
後退翼ですらない高速迎撃機(笑)、S.O. 9000 トリドン(TRIDENT)。
未だにこれ、どこにどんな武装を積む気だったのか、全くわかりません…。

で、この機体、うっかり量産を始めてしまったのですが(笑)、10機ほど造ったところで
1957年ショックがやって来て、さすがのフランス人も冷静になり、そこで生産は打ち切り、となるのでした。


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