■デブとシャブはラブ



これもロンドンの帝国戦争博物館に展示されてる、ベルリンにあったワシの紋章。
45年に攻め込んだソ連軍がかっぱらって来た後、記念品としてイギリスに贈ったものらしい。


ここで、さらに余談。
ドイツ空軍の創設者にしてその敗因とまで言われるゲーリングだが(涙)、
実は、例の国会ファイアー事件で、チョゲと共に真っ先に現場に駆けつけたのは彼であり、
彼が地元の警察を牛耳っていたのだから、共産党をハメたのは、実質的に「衝撃の白いデブ」なのだ。
戦争中、ずっとシャブ中だったらしいゲーリングだが、元来、アタマは悪くないのである。
戦後、敵の捕虜になればいいんだ、という人類が誰も思いつかなかった治療法でシャブを断ち(つーか断たれ)、
しかも規則的で健康的な収容所生活によって、完全に立ち直った彼は(笑)、
ニュルンベルク裁判では、連合軍相手に一歩も引かない論陣をはって、見事なまでに戦っている。
それを見たシュペーアが「なんで戦争中にそれだけの仕事をしねえんだよ」と怒ってたりもするのだ(笑)。

恐らく、1933年のナチスによる全権掌握前から、白いデブは空軍について考えてたはずで、
当時、ソ連と蜜月関係にあった軍部(非公式なものだが)から、その主導権を奪う必要があった。
有名なドイツとソ連の航空部隊の愛の巣、ソ連領リペズク基地から
ドイツ軍の訓練&開発部隊が撤退することになるのは、
ナチスが全権を掌握した直後、1933年秋だから、間違いなくゲーリングは早い段階で動いてる。

ちなみに、この段階で、ソ連は「あ、ドイツさんてば、共産主義国家がキライになったのね、ヨヨヨ…」
と気づくべきだったが、鉄のヒゲことスターリンは、この点、全くノンキだった。
あまりにノンキで「ドイツと僕らはラブラブさ」とかその後6年も信じてた結果、
後にエライ目に合うことになる。
ドイツとソ連がラブラブだったのは、軍部(非公式なものだけど)が独立し、
かつ、共産党がそれなりの勢力をドイツ国内でもっていた時代で終わってたのだ。
もっとも、チャーチルも「ドイツとソ連は未だラブラブ」と信じてたフシがあるので、
チョゲがずば抜けて腹黒い、というか一枚上手だったのかもしれない。

話を戻そう。
そんなわけで、33年の春、衝撃の白いデブ(以後デブ)はチョゲことヒトラーに話を持ち込んだはずだ。
「ハイ、チョゲ」
「ハイ、デブ。今日はなんであるか」
「やっぱドイツが再軍備するにあたってカギは航空部隊だと、デブ、思うの」
「ほう、そうであるか?」
「だからね、デブ思うの。航空部隊は陸軍から独立した軍、空軍にするべきだって」
「まあ、そういう国も多いしの。よいであろう。でも、まだ早いのである。
今、軍備を公に再開するのは、まずいのである」
「だからね、イギリスに航空省ってのがあるの。民間から軍まで、すべての航空機に関し、
開発から運用までのコントロールをしてるって、デブ聞いたの」
「ほう」
「これなら、適当なこと言って今すぐドイツに設立しちゃっても、
多分、みんな怒らないと、デブ、思うの」
「なるほど、パイロットの育成は進んでおるが、空軍を作るには機体の開発が不可欠じゃの」
「でしょ。で、その航空省設立の仕事を私がやりたいな、ってデブ思うの」
「よかろう。ジャンジャンバリバリにやりたまえ」
「あ、あとミルヒとウーデットも誘いたいな、とデブ思ってるんだけど…」
「ああ、モチはモチ屋だ。パイロット上がりの連中がやるべき仕事である」
「ありがとう、デブ、チョゲのことシャブと酒の次に好き」
「さっさとうせろ」

といったようなやり取りが多分あって、ナチスの全権掌握直後、
1933年の4月(ホントの直後としか言いようがない)に、帝国航空省(RLM)が設立されます。
(「ドイツ航空省」という日本語は意訳すぎると思う…)

でもって、設立されたばかりの航空省は、さっそく張り切って
ジャンジャンバリバリに軍用機の開発に突っ走ります。
RLMの技術開発部門、LC、一般にはT-amtの呼び名で知られる部門から、
設立直後である1933年6月ごろには、早くもドイツ国内の航空機メーカーに

●要請1 中型爆撃機
●要請2 戦略爆撃機(大型爆撃機)
●要請3 複座型大型戦闘機
●要請4 単座小型戦闘機


と、四つの型の航空機の開発を呼びかけています。
仕事、早い早い。お役所仕事としては、多分世界記録ではないでしょうか。
まあ、実際には航空省設立前から、水面下で動いてたんでしょね。

でもって、この最後の単座小型戦闘機のコンペに勝ち残るのがMe109なわけです。
ちなみにこの要請の原文を読んだことがないんですが、一説には、
インターセプター、すなわち敵爆撃機の撃墜を目的とする機体である、とされてたそうで、
あの機体性能の偏りの原因は、どうもそんなとこにありそうです。

こうして、世界にとって長かった1933年は終わります。
Me109は、ナチスドイツの成立にそのルーツがあるわけです。

ちなみにドイツ空軍がその設立を正式に宣言するのは、ドイツ再軍備宣言時の1935年3月。
なので、この段階での戦闘機コンペは、「空軍どころか軍隊そのものない国からの戦闘機の注文」
という、冷静に考えると妙な状況だったります。

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