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[3728] 違和感無し 投稿者:がちょう 投稿日:2016/12/01(Thu) 23:56  

今回の台湾の記事で商業施設内部の写真に全く海外とは思えない位、見慣れた光景だと感じたのですが理由がわかりました。船場センタービル内に雰囲気がソックリだったからでした。やはり大阪は日本、というよりアジアなのですね。


[3727] 製作者 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/30(Wed) 23:08  

本当なら1947年までCIAという組織は存在しないんですけどね(笑)。
ただ、地図の内、何点かは興味深いですね。


[3726] CIAの機密地図だそうな。 投稿者:G4M2 投稿日:2016/11/30(Wed) 22:21  

CIAってこんな地図を作ってたんですね。
機密解除されたものが75点、公開されているようです。

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/112900454/index.html?P=1


[3725] いらっしゃいませ 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/29(Tue) 18:04  

ゆうさん、初めまして。
楽しんでいただけたなら、幸いです。
今後も可能な範囲内でお付き合いください。


[3724] おもしろいです。 投稿者:ゆう 投稿日:2016/11/29(Tue) 00:16  

こんにちはもしくはこんばんは。初めて書き込みさせていただきます。おもしろく(諧謔)且つうんちく(バックデータ)のあふれた文章でとにかく楽しいです。スピットファイアーに24型まであるなんて知りもしませんでした。司馬遼太郎さんを大きく見れているところも納得です。まだ、すべてのページを見ていないので、のんびりと見させて頂きます。ありがとうございます。楽しみが増えました。


[3723] 長篠城 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/29(Tue) 00:02  

合戦場に関しては、グーグル アース様がとてもよくできてまして、
関ヶ原、カンネー、アルデンヌと世界中の戦場地形が確認できてありがたいです。
ただし作動中はどんどんメモリを食ってゆき、最悪システムを道連れにしてクラッシュという
悪癖は未だ治ってないですけど…


[3722] 城ラマ 投稿者:コバア 投稿日:2016/11/28(Mon) 22:43  

城ラマは発売時にタモリ倶楽部に出てタモリさんや江川達也氏が至れり尽くせりと言っていました(笑)
その時江川氏が「設楽ヶ原まで欲しい〜」「合戦場がただの広い所?そこは地形が〜」と言っていました。
今回その回答を見た気分です。ありがとうございました。



[3721] 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/27(Sun) 21:09  

コバアさん、感想どうもです。
長篠城にそんな商品が出てるとは初めて知りました。
調べてみたら、長篠城テーマCD付らしく、すげえと思いました…


[3720] 長篠城 投稿者:コバア 投稿日:2016/11/27(Sun) 00:11  

長篠の連載お疲れ様でした。
この連載を見るたびに長篠城の城ラマが欲しくなるんですが、お値段的になかなか簡単には手を出せないです(苦笑)


[3719] その辺り 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/25(Fri) 20:10  

すぅさん、感想どうもです。

まあ当時の兵制を見て来た人は皆、既に死んでますから、
現状言ったもの勝ち、という部分がかなりあって、ホンマかいな、と私は思ってますが(笑)。
なので、そういった話は全て抜きました。

信長と大蛇の話、最大の謎は、誰もこんな冬の季節に蛇なんているか、
とツッコミを入れなかったところかもしれません(笑)。
あの合理主義の信長がツッコミを忘れて自ら池に飛び込むというのは
よほど見たかったのかあ、と思っております。


[3718] お疲れ様でした。 投稿者:すぅ 投稿日:2016/11/25(Fri) 12:00  

長篠の連載お疲れ様でした。
楽しく読ませていただきました。

合戦に参加した人数についてですが、当時は特に武田方については、
兵農分離が完全にはなされておらず、割と一旗あげたい農民兼足軽が
それなりな人数で参戦していたはずで、こういう人たちは、ジ軍の
旗色が悪くなるや否や、いきなり敵方にくっついていく、みたいなこと
平気でしてた世代で、結局人数が両軍でダブルカウント・トリプルカウントされて
やたらと不正確で多い人数になりやすく…とはいえ、2万6千が10万は
ちょっと誤差が大きいですね(笑)

また、日記の方に書かれてた大蛇ですが、池の中に住み、一抱えの胴体
鹿のような顔、光る眼とほぼ完全にアミメニシキヘビの大型個体と
特徴が合致するのが面白いですね。(顔については他のヘビより似てると思います。)
アミメニシキヘビは生息地がフィリピンからインド・インドネシア
と広く、その大きさから人にも認識されていたはずで、
そういう話があると面白いですね。
ちなみにこのアミメニシキヘビ、大人しいと評判で、アメリカを中心に
飼育者は日本にも多数いて、品種改良も進んでいるとか。。。
私は飼えませんが(笑)


[3717] DC 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/21(Mon) 19:57  

なぜか皆さんがDCに行かれますね(笑)。うらやましい。
旅行記の情報が何かの役に立ったなら、幸いです。
橘花はかなり展示が微妙のようですが、そのうちまた訪問したいものです…


[3716] ワシントンDCにいってきました。 投稿者:tada 投稿日:2016/11/21(Mon) 11:09  

アナーキャさん。こんにちは。
tadaです。

出張中に思いがけず週末が空いたので、ワシントンDCに行ってきました。

2013年の旅行記、大変参考になりました。ありがとうございます。

ダレス空港に到着した金曜日にウドヴァー・ハジーに行ったのですが、
時計代わりの会社の携帯電話で16時に現着、17時の最終バスに乗ったつもりが
帰りのバスの時計見たら16時になっていて愕然としたりというちょっとした事故がありましたが。
(サマータイムON/OFFが手動だったんです)

翌日は1日モールで楽しみました。
正直まったく時間が足りませんでしたが、
それでも旅行記のおかげで見たいところを事前に押さえられたので良かったです。
繰り返しになりますが、ありがとうございます。



[3715] 資料 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/17(Thu) 22:16  

いれぐいさん、判る範囲で、という感じで質問させてもらったものなので、
無理をして調べていただかなくても大丈夫ですから、お気になさらずに。
この時代、というか本能寺前の時期というのは、実際、資料が非常に少ないんですよね。
逆にそれほど多くの文献に当たらなくても済むわけですが…


[3714] 伊那街道(その2) 投稿者:いれぐい 投稿日:2016/11/17(Thu) 17:26  

アナーキャさん、早速のご回答ありがとうございます。
なるほど、本長篠から北上する道が当時の伊那街道とお考えなのですね。失礼しました。
グーグルマップでも国道257号が鳳来寺道、長篠駅から北上する県道32号線が伊那街道と表記されていました。たまに通る道だったので国道257号が伊那街道だと思いこんでしまっており、また現在は廃止されてしまっていますが、国道257号から設楽町に抜ける鉄道(旧田口線)が通っていたので、余計にそう感じてしまっていたようです。
ただ、ネットで検索すると、両方出てくるようなので、何か資料があるか探してみます。ただし、この東三河は徳川と今川の草刈り場になっていたせいか戦国時代の資料はかなり少なく、見つけられる自信はありません(胸張って言えることではありませんが…)。仁連木城なんて当時の面影は全くなく、公園(しかも名前は大口公園)と老人福祉施設とあっちの方がお住まいになってる巨大な家(あ、これこそ「城」ですね)になっちゃっているのですから…。
それにしても、鳳来寺道を東海道の御油の宿からご説明いただくなど、幅広いご見識に改めて頭が下がります。


[3713] いろいろ 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/16(Wed) 22:27  

MURAJIさん、感想どうもです。
今回、調べものをしていて意外な存在だったのが、鳶ヶ巣に居た牢人集団でした。
三方が原の時、徳川側にも牢人という肩書が何人か出て来て、なんだろうとは思ってたんですが、
どうも合戦の時の助っ人みたいな形で世話になってる連中がいたような感じですね。
詳しく調べてみないとよくわかりませんし、調べる気力は無いのですが(笑)…

いれぐいさん、ご指摘どうもです。
戦後の米軍写真で橋の位置を確認したつもりでしたが、よく見ればこれ飯田線の鉄橋でしたね。
確かに現在の橋の位置から有海原に渡ってる事はあり得ないですね。
北側に迂回する形で、後ほど修正しておきます。

ちなみに私の記事では長篠城の東側、本長篠駅の辺りから北に向かうのがかつての伊那街道であり、
これが西に向かって長篠城の北東をかすめて対岸の有海原に抜ける説を取ってます。
大海の駅から北に抜けるのは江戸期(家光以降)に鳳来寺が大ブームを迎えた時、
御油宿から鳳来寺に向けて造られた鳳来寺道である、と考えているわけです。
両者は鳳来寺山のふもとで合流するのですが、江戸期以降が川沿いの道になり、
それ以前は山の中を通って本長篠駅に抜けるルートが旧街道ではないか、と判断したことになります。

ただし武田軍が北に逃げた、というのはご指摘の通りで、この時期からすでに鳳来寺に向かう道は
ある程度、街道並みに整備されてたのだろうか、という疑問はまだ解決していません。
この辺り、鳳来寺道と伊奈街道の関係とか、地元では何か言い伝えみたいなもの、ありますでしょうか。

http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=11210&isDetail=true


[3712] 伊那街道 投稿者:いれぐい 投稿日:2016/11/16(Wed) 21:40  

アナーキャさん、はじめまして。愛知県豊橋市に住む「いれぐい」と申します。突然のコメント失礼します。
以前にF22のことを調べていてこのサイトに巡り合い、それ以来ちょくちょく拝読させていただいております。
仕事がバタついていて久しぶりに伺うと、なんと地元(ちょっと距離があるけど)の長篠・設楽が原についてのレポートを発見し、さっそく拝読させていただきました。
その中で「伊那街道」の場所について気になりましたので、触れさせていただきます。文中や図の表記では、宇連川(旧大野川)の左岸を別所街道が通り、右岸を現在の国道151号に沿って伊那街道が走っているように記述されていますが、伊那街道は長篠の少し下流(新城寄り)で寒狭川(旧滝沢川)に沿って北上し、設楽町方面から伊那(飯田)に抜けるルートを通っているはずです。
もう少し具体的には、豊川の下流から上流へ向かって国道151号を進む(つまり徳川軍の視点)と、現在の新城インターのあたりで国道151号から左へそれ、飯田線の大海駅を横目に見て寒狭川にぶつかったら左(北)へ上がるルートか、もう一本北の新城総合運動公園の北側の道で寒狭川にぶつかるルートが当時の伊那街道のイメージです。寒狭川(旧滝沢川)から北は現在の国道257号とほぼ同じです。
国土地理院の昔の地図検索で昭和40年の航空写真を見ると一目瞭然ですが、国道151号の新城インターから長篠駅手前までの区間は当時は道路がなく、その後に国道を通す際にショートカットで通した区間であることがわかります。なお、伊那街道と寒狭川(旧滝沢川)の交点あたりから、長篠城に向けて昔の街道(というより小道)があり、その街道は山裾を通っていますので、当時もそうだったのだと思います。
ですので、長篠城の北側の塀(柵?)と山裾の間に宇連川(旧大野川)右岸の小道が通っていたのだと思います。帝国陸軍参謀本部の報告書の頃は、国道151号のショートカットも無かったはずで、長篠城縄張概図を作った人はなんでこんな地図にしたのでしょうか?ちょっと昔から住んでいる地元の人なら、気がつくはずですが…。
そうすると、長篠城を抑えられていても、武田軍は北東へ向かう別所街道ではなく北へ向かう伊那街道から退却が可能だったのではということも考えられますので、武田の諸将が戦って時間稼ぎをしている間に、武田軍本隊は伊那街道から退却したのかもしれません。(あくまでも推測)
長文失礼しました。



[3711] 地形読み能力 投稿者:MURAJI 投稿日:2016/11/16(Wed) 20:52  

執筆お疲れ様です。次も楽しみにしてます。

 鷲ノ巣襲撃とかで示されてる「戦場の地形を読む能力」って名将の必須の能力ですよね。
 近代参謀教育で今も昔も一番重視されてるのが、参謀旅行での実地教育や図上演習で教官の状況想定に基づき、即座に対応案を出す「咄嗟の戦場での地形読み能力の育成」ですし。

 脱線してすいませんが、最近の米陸軍ではイラク戦争での戦功で昇進した中堅将校で地形読めなかったり、諸兵科統合指揮ができないのが多くて困ってるという話があります。
 これまで戦功での昇進組は幕僚教育受けなくても、実戦を通して、その能力があったのが、イラク戦争での戦場では、そんなの覚える必要なかったとかで。

 あと鷲の巣を守ってた武田軍は、色んな部隊が混じってて、ナチスドイツの義勇SS外国人部隊か、旧日本陸軍が寄せ集めで現地編成した独立混成旅団みたいな感じ受けましたw
 もっとも長篠の敗戦後には武田軍そのものが、国民擲弾兵師団か本土決戦動員師団みたいな感じになりますが。


[3710] 文字 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/16(Wed) 19:38  

信長公記の場合、写本によってはだだでさえ読みにくい草書の字が、
さらに悪筆でよくわからん、という部分があったりはします。
なので本によっては熱田なのか勢田なのか判読が困難だったりするんですが、、
普通に読む限り、熱田の名は先に述べた2回以外ではほぼ出てこないはずです。

東京だと、板橋の子供動物園が、どう見ても普通の町中の児童公園の池に
フラミンゴが居る、という妙にシュールな無料施設ではありますが、微妙なところです(笑)。
和歌山動物園、園長は選挙制、さらに種の壁まで越えた完全民主主義なんですね…


[3709] 熱田神宮と動物園 投稿者:すぅ 投稿日:2016/11/16(Wed) 16:59  

ご指摘を受けて学生時代の資料を探したんですが、散逸してしまっているのか、見当たりませんでした。記憶ばかりで話をして申し訳ないです。。。


野毛山動物園もそうですが、若干動物たちの種類と量は減りますが、川崎の夢見が先動物園や和歌山の和歌山公園動物園などもクマやレッサーパンダ、ペンギン辺りはちゃんと飼育していながら無料の動物園でした。公立の動物園はそういうところ、結構ありますね。
ちなみに和歌山公園動物園、和歌山のお城の中の動物園なのですが、園長さんは中々に若い女性の方(22歳くらい)でして、毛深くて、我々とはフェンス越しに接してくださいます。


[3708] いろいろ 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/09(Wed) 18:31  

CONIさん、行った事なかったのですが、野毛山動物園って入場料ないんですか。
横浜市、太腹ですね…

MURAJIさん、資料の評価は難しいところですがギリシャ語で聖書研究やってるような連中に比べれば(笑)
甲陽軍鑑くらいの分析はそう難解ではなく、文章の内容、記述の仕方、などから
複数の筆者がいるだろうなあ、というのは素人にもわかりますし、
他の資料と突き合わせて、この文体の部分は信用できそうだ、という風に自分で見て判断しております。

歴史の研究は結局、「オレの考えた新説」と表題に書くか「最新の研究による成果」と書くかの違いで(笑)
言ったもの勝ちで声のデカいやつが勝つ、的な部分が大きく、まあ、あまり近づかないようにしております。



[3707] 同じ資料でも色々と解釈違って大変です 投稿者:MURAJI 投稿日:2016/11/08(Tue) 22:27  

 失礼しました。三河物語は彦左衛門ちゃんの性格が出てるのは確かにそのとおりですねw 日本書紀とかみたいに「報告文と地の文の違いや章ごとに頻出する単語の違いとかで色んな推測」とかが無意味な感じしますしw

 あとおっしゃる通り、大抵の事例において「画期的な発見やアイデア」と称する代物は「とっくの昔に誰かが思いついてたけど提唱者が知らないだけ」ですねw
 でもまあ、同じ資料でも色々と解釈は違ってくるわけで、甲陽軍鑑も昔はダメ資料と言われてましたが、国語学者の酒井憲二の研究で「取扱注意だけど信用できる歴史資料」に変わったりとかの事はあります。
 織田信長も前のイメージからの反動もあるでしょうが、URLみたいな感じに歴史マニアのイメージが変わりつつあります。
 あとは発掘考古学は昔より明らかに様々な事実が明らかになってて「長篠の戦いでの武田軍とそれ以外の同時代の鉄砲玉の成分含有量の違い」とか、「大化の改新は確実にあった」と今年2月に確定したりと面白いです。

 何はともあれ、こないだの長篠行きでの成果をアナーキャさんがどのような感じで解説されるか楽しみにしてます。

http://togetter.com/li/731133


[3706] 説明してくれる人 投稿者:CONI 投稿日:2016/11/08(Tue) 20:57  

ずいぶん前の事ですが、横浜の野毛山動物園に予約せずに団体で行ったら、
作業服をきたおじさんが気さくかつ丁寧に説明してくださいまして、
飼育係の人かなと思ったら、なんと園長さんでしたという経験をしました。
あとで大いに恐縮しました。
ちなみに野毛山動物園、それなりにメジャーな動物がいるのに入場料無料で、私のお気に入りです。


[3705] アツタ 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/08(Tue) 19:15  

信長が熱田を経由したと明確に記録されてるのは桶狭間戦と
長篠戦の二回のみで、高天神城救援の時も、さらには熱田から目の前の
伊勢・長島戦の時も立ち寄ったという記録は無いのです。
よって乾燥した平地で軍の集合場所に適してた、という話は全く根拠がないヨタ話と思っていいでしょう。

最初の桶狭間戦では単に通り道だったから、というだけの話ですが、
二度目の長篠戦の時は、岡崎に向かう北周りの道(後に長久手戦で池田親子が突破を試みる)
をあえて通らずにこのルートを取ってますから、目的は参拝以外に無いでしょう。
ただし記事の繰り返しになりますが信長本人に信仰心なんんて微塵もないですが。
それでも伊勢戦の時も伊勢神宮にわざわざ立ち寄ってます。

水族館はまた専門知識が必要そうで、本気でガイドするなら相当な知識が求められそうですね…


[3704] 熱田神宮と博物館のスタッフ 投稿者:すぅ 投稿日:2016/11/08(Tue) 11:35  

信長が東に進軍する際に熱田神宮に集合しているのは周りが低湿地帯の濃尾平野でほぼ唯一乾いていて(0m地帯ではない)かつ広くなっていて兵を集合させられる場所だったから…と大学の歴史地理学の授業でやった記憶がありますね。だから必ずしも信仰心からだけではなかったはずです(兵の士気のためにという理由もあるだろうが)。今でこそ海岸線から離れていますが、当時は伊勢湾へアクセスする港もあった場所ですしね。
日本経済史家みんな大好き信長さん/家康さんのお話ですから、連載楽しみにしております(というかすでに楽しい)。


少し前に話されていた博物館のスタッフについては日本も結構酷い人多いですけどねー。水族館のこっち側(客側)にいるスタッフなんかはさもいろいろ知っている様に見せかけて、飼育されている生き物が飼育されている水が淡水か海水かすらわからない場合も多々ありますし。。。飼育員さんはさすがにいろいろ知っていますが、彼ら彼女らは大変忙しそうにしているのです(実際水族の飼育は忙しいのですが)。


[3703] 無題 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/07(Mon) 23:49  

何をどう考えるかは個人の自由ですが、ここでそれを表明されても対応に困るので、
Face bookでも始めてみてはいかがでしょうか。


[3702] 無題 投稿者:名捨て 投稿日:2016/11/07(Mon) 23:12  

木曽馬は、かなり小柄な馬だから鎧を着た武者が乗ったら
へばっちゃて大変だろうなぁ〜と思う次第…

暴れん坊将軍のオープニングも木曽馬に乗っていたら
多分視聴率が取れなかったろうなと思う次第。


[3701] 戦国 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/07(Mon) 23:00  

いや、そうでもないですよ(笑)。
信長も家康も呼び捨てなのは三河物語の特徴であり、
甲陽軍鑑では敵は呼び捨て、対して自分の主筋にはきちんと信玄公、勝頼公とつけてますし、
同様に信長公記でも信長にも家康にも公を付けて記述してます。
誰もかれも呼び捨ての三河物語は彦左衛門ちゃんの性格を伺え知れる記述となってます。

長篠の戦いは、この時期の戦いとしては珍しく資料がそろっており、
今さら新規の発見なんて出てくる余地がない戦いでして、
そこら辺りを次回、ちゃんと見てみましょう、という話になっています。
歴史的な“新説”というのは魅力的ですが、そんなの陸軍参謀本部や菊池寛がとっくに指摘してるがな、
といった内容のものも多いので、私は興味がわかない分野です(笑)。


[3700] 最上級の敬意表現です 投稿者:MURAJI 投稿日:2016/11/07(Mon) 22:06  

 長篠レポの執筆お疲れ様です。

 信長と呼び捨てとの記述ですが、戦国時代のみ「目上の人物対象に当人の諱呼び捨てが最大限の敬意」という例外事項が多発してますので、敬意の記述でしょう。

 長篠の戦いは、日本史の中でもトップクラスにトンデモ的記述というか好き勝手な論考が飛び交ってる歴史上の事件ですからね。もう何が何やら。
 周り回って、今では歴史学者の間でも平山優とかが、
「実は武田騎馬部隊も鉄砲三段撃ちもあったんじゃね? 昔のイメージとは違った形だけど」
とか言い出して、かなりの賛同を得てる始末です。


[3699] それは 投稿者:アナーキャ 投稿日:2016/11/07(Mon) 21:21  

違うでしょうね(笑)


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