■私はニャロメ
19世紀末以降、艦橋をどんだけの高さに上れば、どこまで見ることができるの?
というのが、軍艦を建造するにあたり、重要なポイントと成って行きます。
この頃から、強力な大砲が搭載され始め、「水平線の向こうまで届く兵器」が現実のものとなるからです。
せっかく強力な主砲を積んだのに、船を造ってしまってから、
「この艦橋からでは主砲の最大射程までは見渡せないでヤンス!」
などという事になっては困るわけですね。
着弾点が見えなければ、照準を合わせる事さえできません。
積んでる武装が、せいぜい数kmの射程しかないなら、
視界の広さ(長さ)が相手より優れていても、必ずしも決定的な要因とはなりません。
戦闘時に有利なポジションを取るため、より早く相手を発見する必要があるとはいえ、
18世紀くらいまでの軍艦の速度を考えれば、そんなに遠くまで見えなくてもいいはずです。

16〜18世紀前半くらいにかけ、ヨーロッパ海軍にバカウケ大人気だったガレオン船。
写真は例の国家公認海賊船長ドレークの旦那のゴールデン ハインド号の原寸大レプリカ。
ご覧のように見張り台はマストの真ん中より少し上、といった程度の高さしかありません。
せいぜい10m前後で、一応戦闘艦であったゴールデン ハインドでもこんなものでした。
高いマストを立てて、こちらから遠くの敵が見えるということは、
その敵からこちらも見えるわけで、必ずしも有利ではない、ということです。
見張りがヘッポコだったりすると、敵の方が先にこちらを発見し、
わざわざ敵に見つけられるためにそんなものを付けてる、
という結果になりかねません。
とりあえず、軍艦の主砲の射程が10kmを超えてくる19世紀末まで、
艦橋や視点の高さはそれほど大きな問題と思われてませんでした。

近代軍艦の艦橋の歴史その1。
アメリカ南北戦争(市民戦争)の際、北軍が使った
世界初の回転砲塔搭載 装甲軍艦「モニター」。
艦の中央にあるのはその「回転砲塔」で、艦橋はありません(笑)。
数百m前後の距離で撃ちあったという話なので、
上にあるハッチから、直接照準したと思われます。
多分右側が前で、先端部にある四角い箱が操舵室。
なんか船員が出入りしてるハッチが、着脱式煙突の穴かな。
シカゴ産業科学博物館の展示物なんですが、ちょっと微妙な部分、ありにけりかも。
で、まあ、ご覧のようにほとんど潜水艦みたいな船(重かった)なので、
その艦橋(?)高度はほとんど海面上0m。
ここから近代軍艦の歴史は開始されます。
もっとも外洋航海能力はほとんどゼロなので、まだまだ、という感じですが。
1862年初頭に完成、その年末には沈没してしまう悲劇の艦でもあります。
日本じゃ未だ幕末、寺田屋だ生麦だとかやってたころに、
アメリカはこんな戦争をやってました。
ペリーを浦賀に寄こした後、しばらく音信不通になるのは、
アメリカは自分のトコの戦争で忙しかったからなのですね。
が、主砲の射程距離が10kmとかを超えてくると、艦橋、戦闘指揮を行う場所の高さが、
重要なポイントになって来ます。水面高度では敵は全く見えないのです。
その高度が十分でないと、周囲で何が起きてるのかさえ把握できず、
最悪、水平線の向こうにいる、見えない敵から一方的にメッタ撃ちにされて終わります。
軍艦、特に戦艦の艦橋が、時代が進むにつれて、どんどんノッポになって行くのは、
主にそういった事情によるわけです。
やがて1901年、まさに20世紀になったタイミングで完成したのが、
日露戦争時、日本の連合艦隊旗艦となった戦艦 三笠(イギリス謹製)です。
この艦の主砲は約10000m、10kmとされていました。
で、三笠の艦橋の位置(屋上部)は水面上約14m前後ですので、その最大視距離は約13km。
主砲の射程距離よりちょっと先まで見えます。
ちょうどいい感じの場所に戦闘を指揮する場所があるわけです。
(見張り台はさらに上、海面上約25mなので約18km先まで見えるはず)

近代軍艦の艦橋の歴史その2。
横須賀に置かれてる戦艦三笠。
マストの前、四角い箱の上(人が立ってるのが見える)が戦闘指揮所で、
日本海海戦時、東郷さんの居たところ。
モニターに比べればはるかに高い位置ですが(笑)
マストはもちろん、煙突よりも低い位置にあります。
それだけの高さで、まだまだ十分だったわけです。
最もこの三笠、一度はほとんどスクラップと言っていいほど朽ち果ててしまっていたので、
現在の艦上構造物はほとんどレプリカに近いものです。
正直、あまり再現性はよいとは言えません。
とりあえず、だいたいの感覚をつかむだけ、と思ってくださいませ。
でもって、さらに時代が進んで、1920年に完成した日本海軍の戦艦 長門。
当時最新鋭の戦艦は海面上40mの艦橋を持っていました。
その主砲の射程は約30km(建造時)。
で、計算してみると、40mの艦橋から見えるのは22.6km前後。
…あれ?だいぶ足りませんよ(笑)。
なんだこりゃ、と思って第二次世界大戦に投入された日本海軍の戦艦、
これの艦橋の高さを調べて見るとだいたい海面上40m前後で、
射程42km近い主砲を積んでいた大和級でさえ海面上約45mとされます。
45mじゃ24km前後しか見えません。
が、アメリカ海軍の戦艦の艦橋もだいたい同じくらいの高さですから、
どうもここらへんが艦船として物理的に限界、これ以上は高くできなかったみたいですね。
ただし、米海軍はノースカロライナ級あたりからレーダーで索敵する、
という設計思想となり、レーダーマストのみを高くし、
艦橋そのものはそれほど高さをとっていません。
このため、日本の戦艦にくらべ、さほど背が高くない印象を受けます。
ついでに言うと、視界の不良に左右されないだけでなく、
レーダの方が実は索敵範囲が広いので、同じような高さなら、
レーダー搭載艦の方が圧倒的に有利となります。
ここらへんは、また後ほど。

近代軍艦の艦橋の歴史その3。
戦艦長門。艦橋、高い高い(笑)。煙突より高く、マストとほぼ同じくらいの高さ。
で、どうもこれ以上は高くできなかったようで、日本の戦艦は主砲の射程距離が
30km前後から40km前後まで延びて行くにもかかわらず、
最高でも大和型の海面上45m前後より高くはなりませんでした。
あれま。
こうなると、22〜23km以上の敵は照準できません。
(レーダー索敵だと理論値で25〜27kmとなる。後はレーダーの性能次第)
ただし、見えない、というわけでもなく上の数字はあくまで水平線までの距離。
通常、軍艦が海面上0mの高さしかない、何てことはありえませんから、
40m程度の高さの艦橋を持つ戦艦相手なら、水平線を中心に同距離でお互いが見えます。
すなわちこちらから22〜23km、相手からも22〜23km、よって44〜46km先で発見可能。
が、見えたといってもそれはマストの先端とかですから、とても狙えません。
ましてや戦艦以外、そんな高いマストをもってる軍艦はありませんから、
通常は35km前後が視認限界となります。
でもって、見えたところでマストだけでは正確な距離測定は極めて困難であり、
弾を撃ったところで海面、見えませんから、直撃して煙でも出ない限り、
どこに弾が行ったかすらわからず、2回目の射撃の前に行わなけばならない
距離、包囲の正確な調整は不可能です。後はもう、勘の世界となります。
(この点、レーダーは当時でも距離測定は結構正確なのでやはり有利。
方位は誤差がでるが、これは見えてる方向に撃てばいいのだ)
ついでに30kmも向こうでは時速2000km近くは出た、と言われる
戦艦の主砲弾でも1分近く到達までかかります。
回避運動を行う1分先の相手の位置を予測するのは神業でしょう。
どうするねん、というとどうしようもないんですね(笑)。
実際、レイテ沖海戦の途中で行われた、サマール沖海戦で栗田艦隊は
一方的ともいえる有利な状況でアメリカの護衛空母艦隊に接触、約30km前後から撃ちまくりながら、
護衛空母1隻(6隻居た)と駆逐艦数隻を仕留めるのがやっとでした。
戦艦4隻、重巡6隻で駆逐艦と護衛空母しかない艦隊に主砲射程距離で接触、という
負けるほうが難しいような状況です。
日本軍の砲撃技術がヘッポコ、というのもあるでしょうが、
実戦で30km以上の射撃は実効がなかった、と見るほうが自然でしょう。
実際、この海戦後「24km以上の遠距離目標に対する射撃は困難」
というレポートが戦艦 金剛から提出されてるそうで、
この24kmというのはまさに40m艦橋の上から目視できる距離なのです。
戦艦の主砲の射程距離、25kmから先は、まあなんというか、
絶頂を極めた生物が絶滅寸前になんだか妙な進化をしてしまう、
そんな感じの「ようするに何だったんだ」という世界です。
もちろん、戦艦には着弾観測用の水上機が積まれていて、
これで誘導するつもりだったのかもしれませんが、
実際に戦争になってみれば、そんなノンキな事してる余裕は皆無なのでした。
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