ここからは、実際の戦闘を通じて得られた情報を見て行きましょう。

その1 戦闘について

■ウクライナの反撃が始まったのは3月5日からだった。この段階では大隊司令部はバラクレヤ近郊に留まっていたので自分たちはまだ攻撃は受けてない。大隊司令部の戦車は納屋に入れてあったが、3月8日にウクライナ側から迫撃砲による攻撃を受けた。この時の戦闘で部隊は二台の戦車を失った。

■迫撃砲の砲撃が始まるとすぐに自分の指揮下にある二台の戦車を納屋から出し、高台に移動して反撃を試みた。だが周囲は森林地帯で敵が見えなかった(筆者注・すでにウクライナ軍はドローンによる誘導をやっていた可能性あり)。ところが戦闘開始から1分も経たないうちに私の後ろの戦車が燃えていた。誘導式の対戦車ミサイルが命中したのだと思われた。私はその乗員を救助して近くの集落へと行き、そこで負傷者を降ろした。この攻撃の後、別の攻撃があったが最終的に撃退した。

■攻撃中、唯一目撃したのはウクライナのピックアップトラックだった。恐らく特殊部隊の隊員と思われる乗員が乗っていた。もしかしたらNATOの戦闘教官かもしれない。
(筆者注・NATO関係者が前線に居るはずは無く、この頃からロシア側はNATOの兵員がウクライナ軍に協力している、と本気で信じていた事になる。)

■その後、部隊は補充と整理のため一度後方に下がり、後にイジュームの戦闘に参加した。

■ウクライナ軍は当初、本当に数が少なかった。それでもドローンを利用した迫撃砲の攻撃と、2014年の内戦による経験がウクライナ側を優位に立たせていた。

■ロシアの優位は航空攻撃だけだった。パイロットはシリアを経験したベテランだった。その攻撃は正確に命中していた。
(筆者注・開戦当初はロシア側の航空攻撃が有効だったこと、同時にそれ以外の点ではウクライナに劣って居ると現場の兵士がすでに感じていたことに注意が必要だろう)

■装甲車両はアメリカ製の対戦車誘導弾で劣勢を強いられている。ドローンも衛星通信(スターリンクの事)もアメリカのものだ。
(筆者注・敵はアメリカ製の兵器とNATOの兵員だ、ロシアが負けてるのはウクライナ軍ではない、という話は以後も他の兵士、それどころかロシア政府指導部からすら頻繁に出て来る事になる。明らかにナメてかかっていたウクライナ軍に勝てないなんて自尊心が許さないのだろう)

■赤外線カメラや、最大4キロの距離から攻撃できる誘導ミサイルなども敵は持っていた。部隊間の通信も優れていた。私は敵の通信機器を分析し、全装甲車両にモトローラ-XPR6300通信器、民生品のヘッドセット通信器を軍用に改造して搭載しているのを確認した。さらに現場の大隊長と司令官である旅団長の連絡に、衛星通信「スターリンク」が使われている。「スターリンク」ではインターネットへのアクセスも可能だ。
(筆者注・アメリカのスペースX社の提供するスターリンクとそれがウクライナ軍にもたらす安定したネット環境の重要性はかなり早くからロシア側にも認識されていた事になる)

■砲による待ち伏せでは我々の衛生兵の車がまず破壊された。これで我々は負傷者を避難させることができなくなる。実際、3月24日の戦闘では救急車両が真っ先に破壊された。

その2 ドローンと電子機器による最新の戦争

■現地のウクライナ市民とウクライナ軍の連携はよく組織されていた。私たちの兵器の種類と移動状況や現在位置など、すべてをスマートフォンで撮影し、アプリを使ってネットワークにアップロードする。敵はこのデータを分析し攻撃して来た。
(筆者注・こういった民間人の協力は敵軍による報復に巻き込まれやすい。この点、今回の戦争における戦争犯罪についても大きな関連性があると思うが、現状は全く闇の中である)

■同時にアメリカの人工衛星からの情報データもあったはずだ。バラクレアで敵から攻撃されたとき、彼らはロシア軍の完全な位置情報や兵員数の情報を持っていた。国境を越えた時、(ウクライナ側の)カメラタワーがあり、発電機やバッテリーで完全に自立稼働していたとように見えた。全てがアメリカ製だ(筆者注・これも根拠が無い主張)。ロシア軍の機材の映像はすべて、すぐに敵の司令部にすぐに送られていたと思う。後に国境警備隊と共に車で移動し、機関銃でこれらカメラタワーを撃って破壊した。

■後に戦闘があったルビジュネの街にもカメラが設置されていた。彼らは全てを指令室で観察することができ、退避壕から出ることさえしなかった。これらの全ての背後にNATOが居る。彼らは全員、NATOの教官から訓練を受けている。だから敵を過小評価してはならない。
(筆者注・これも我々はウクライナ軍ではなくNATO軍に負けたのだ、という自己弁護の一つだろう)

■敵は前線部隊にドローンを持たせている。ターゲットを発見するとタブレット端末やスマートフォンにダウンロードしたアプリを使って必要な計算をする。目標の座標はターゲットに印をつけることで自動的に入力され迫撃砲の射角も自動的に出てくる。こうして一発一発、正確に的を射抜いていく。

■電子地図をインストールしたタブレットを装備した偵察員が赤外線カメラを持つドローンを飛ばす。そして目標を発見すると電子地図上で目標地点を指でタップして入力する。するとその座標が自動的に砲手に送信される。そんなものは我々にはなかった。

その3 携行型対戦車ミサイル

■ウクライナ軍はジャベリン、NLAW、ウクライナ国産のRK-2などの歩兵が携行できる対戦車ミサイルを持っている。
(筆者注・ジャベリンとNLAWはいわゆるバズーカ砲のような携行型だがRK-2は三脚付きの大型ミサイルランチャーで厳密にはちょっと異なる。ただし歩兵だけで運用できる対戦車兵器、という意味ではこれも含むだろう)


■Photo ARMY INFORM

今回の戦争の初期段階で、多くのロシア戦車を撃破したとされるジャベリン。ただしそれには一定の数が要るし、命中しても必ずしも必殺の一撃になるとは限らない、という事をアレクセイ氏は述べています。興味深い情報でしょう。

■3月24日の戦闘で初めて歩兵が携行する対戦車ミサイル、ジャベリンの攻撃を受けた。
ジャベリンの命中は10回あったが、砲塔が吹き飛ばされるほどの爆発し完全に破壊されるのは一回しか見てない。一般的には全員(乗組員)が装甲された車内にに閉じこもっていれば被弾しても生き残れる。

■自分の戦車にジャベリンが命中した時は、成形炸薬のジェット噴流が砲塔の装甲を貫通したが乗員は顔と手に火傷を負っただけだった。

■ジャベリンは電池が切れると使えなくなる。しかもウクライナにあるジャベリンの半数は電池が稼働しないガラクタだ。
(筆者注・この話の根拠は不明。現地で破棄された使えないジャベリンを見たのかもしれない)


その3 戦訓

ここからは彼が今回の戦争で経験した情報、そして戦訓に関してまとめます。

■ウクライナ軍の部隊は雑木林に陣地を取る。そこに10人前後の部隊が交代で入っている。偵察と破壊工作を行う部隊が多い。

■実戦で有効だったものとして戦車の爆発反応装甲がある。ずっと半信半疑だったが、実際に有効なのを経験した。最後の戦闘で上方から砲塔部にジャベリンを食らったが、爆発反応装甲のリアクティブアーマーのおかげで無事だった(ただし筆者はこの時、頭を打って気絶、脳震盪を起こし、これが原因で一時入院する事になっている)。

■対戦車ミサイル対策として戦車の砲塔上側に付けられたカーテン(Обвесы)と呼ばれる金属製の網は全て撤去した。被弾した時の脱出が困難になるうえ、砲塔上の機関銃が使えなくなる、さらに無線アンテナがショートして使えなくなるなど有害な面が多すぎたからだ。
(筆者注・誘導式の対戦車ミサイルや対戦車地雷は一度上空に飛び上がってから、戦車の防御が脆弱な上面に突っ込む攻撃モードがある。それの対策だが、映像等で見る限りロシア側の戦車はほぼ全てこれを撤去している。役に立たないのだろう)

■全ての戦闘は、4キロメートル以内の距離で行われたが、接近戦、銃剣突撃のようなものはない。接近戦は特殊部隊が夜間に森林地帯に入り、赤外線カメラを駆使して敵の歩兵を銃撃して終わる。

■偵察が何より重要だ。特にドローン。そして赤外線カメラを搭載したドローンを飛ばすこと。雑木林に車が走った場合、車は必ず痕跡を残す。その後、森や茂みに隠れても、赤外線カメラを通せば人の存在をはっきりと確認できてしまう。

■赤外線カメラも必須である。夜のウクライナでは伸ばした手より先は全く見えないが、赤外線カメラを使えば、3〜4km離れた場所でも見ることができる。これは21世紀の戦争であり、高い技術を持つ者が勝つのだ。

その4 最後の戦闘

■自分が負傷し、病院送りになった戦闘は3月24日、イジュームの南に位置するカミャンカ(Кам'янка )の集落で始まった。集落で待ち伏せに会い、先頭の戦車が地雷で足止めされ動けなくなった所を、他の戦車はグレネードランチャーで攻撃された。さらに無反動砲のカール・グスタフで先頭の戦車が撃たれるのが見えた。

■翌25日に自分の戦車は高台に居て赤外線カメラで雑木林の中を移動する敵の対戦車砲部隊を偵察していた。3q以上の距離があり、朝霧が出ていたので目視では敵からは見えない位置だった。大隊長に報告すると攻撃命令が出た。敵を砲撃中にジャベリンによる反撃を受けた。ミサイルは上方から砲塔に命中したが、爆発反応装甲によって内部は無事だった(ただし既に見たように筆者は気絶している)。

■10台の戦車が損傷したが、完全に破壊されたのは一台だけだった(これが先に見た完全に損傷するのは10台中1台の根拠かもしれない)。自分は気を失っていたので、戦車から引きずり出された。その後、ヘリでイジュームに送られた後、ロシア本国に送還となった。退院したら、また戦場に出るつもりだ(実際、再度出陣して戦死した)

以上となります。このインタビューから、いろいろな事が読み取れますが、赤外線暗視装置(または暗視スコープ)の重要性、リアクティブ アーマーが実戦でも有用だった事、そしてドローンとネットワークによる戦闘の有意性など、今回の戦争の特徴となる部分が開戦直後から既に有効だったのに注意が要るでしょう。少なくともウクライナ軍はドローンとネットワーク、そして赤外線暗視装置による新しい戦争に備えていた、という事です。後に見るように作戦レベルで史上最強級の天才が少なくとも一人、ウクライナ軍に居るのですが、同時にこういった近代化を進めていた人物が居たことになります。同一人物か、別人かは判りませんが、その存在がウクライナ軍を救ったと筆者は見ています。天才ってホントに一人で全部をひっくり返しちゃう事が歴史上、稀にあるんですよ(アレクサンダーとかカエサルとか信長とかグデーリアンとか)。

とりあえず、今回はここまで。

https://www.mk.ru/politics/2022/05/24/tankistgeroy-rasskazal-o-specoperacii-i-pogib-pobedim-no-legko-ne-budet.html


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