運命の5月11日

今回は再びドイツ電撃戦の主役、グデーリアン軍団こと第19装甲軍団の動きを追いかけます。開戦初日にルクセンブルグをあっさり横断、昼ごろまでには第1、第2、そして分散進撃となっていた第10の三師団全てがベルギー国境に到達、間もなくこれを突破してしまいました。ですがその後は丘陵地帯でそもそも道路が少ない事、その道路をベルギー軍が巧みに破壊、封鎖していた事、さらに予想外の戦闘に巻き込まれた事で一気に進軍速度は落ちてしまいます。

中でも優秀過ぎるガルスキー中佐の巻き添えを食らった主力部隊、グデーリアン閣下も同行していた第1装甲師団の遅れは深刻でした。初日の目標地点だったヌシャトーより20q近く手前、国境近くのマルトランジュ一帯、特にボダージュの戦闘でほぼ半日に渡って足止めを食らってしまったからです。その北を進む第2装甲師団も国境のすぐ横、ストレンシャン一帯で戦闘に巻き込まれて足止めされてしまいました。南を分散進撃していた第10装甲師団だけがほぼ無抵抗で一定の距離ベルギー国内に進出できていたのです。

念のためその状況をもう一度確認して置きます。



ただし何度か指摘しているように、ベルギー軍は南部地帯を全く重視しておらず、一帯の道路の封鎖工作を行った後、10日の午後には首都ブリュッセルに向けて、即ち北部に向けて撤退を開始してしまいます。優秀過ぎるガルスキー中佐が引き起こしたボタージュの戦闘は例外中の例外で(あまりに大きな例外だったが)、以後、ベルギー軍の集団的な抵抗は起きなくなるのです。

■フランス側の事情

代わりに第19装甲軍団の相手をする事になったのが、フランスの第2軍でした。例のガルスキー中佐率いる先行空挺部隊が接触したのも第2軍に属する第5軽騎兵師団、一定の機械化装備が成された部隊でした。このフランス第2軍は開戦と同時にベルギー国境を超え、展開を開始していたのです。このあたりも地図で再確認して置きましょう。



A軍集団の先頭を切ってベルギー&フランスに突入して来るクライスト装甲集団の進路真正面に配備されて居たのがこのフランス第2軍でした。

フランス軍で二番目にエライはずのジョルジュ将軍率いる北東方面司令部、その管轄内で最南端に配備されていた集団となります。北部の平原地帯が主戦場になると考えていたフランス軍が一帯の最南端部に配置しただけあって精鋭集団ではなく、練度、装備の点では二線級と言わざるを得ない軍でした。その第2軍は開戦直後に国境を越えてベルギー南部に展開した後、よりによって最強最悪のグデーリアン閣下率いる第19装甲軍の攻勢に直撃され、静かに消滅してしまいます。さらに言えばその電撃戦の完成に大きく貢献してしまう事になるのです。

ここで第2軍の戦力を確認して置きましょう。主力は以下の五個師団でした。

■第2軽騎兵師団
■第5軽騎兵師団
■第41歩兵師団
■第55歩兵師団
■第71歩兵師団

それに予備戦力に近い植民地兵からなる三個師団が加わっています(ちなみに大戦中、数十万単位の兵をアフリカの植民地からフランスは強制徴用している。セネガルだけで20万人と言われ、戦後、その補償を巡り多くの悲劇が起きた。これが戦後フランスの第五共和制に繋がる一端であり、フランスの最大の暗部となって行く。あの国が無意味に非白人を殺しまくったのはインドシナだけではない。フランス革命直後のキチガイざたとか見ても判るように、クソみたいな国民性の国なのだ)。

■第1植民地歩兵師団
■第3植民地歩兵師団
■第3北アフリカ歩兵師団

さらに機械化部隊として、一個旅団が加わっていました。

●第1騎兵旅団

数だけで言えば、全八個師団+一個旅団であり、十分すぎるものでした。ドイツ側で先頭に立って突っ込んで来たグデーリアン軍団は全三個師団+一連隊(大ドイツ歩兵連隊)+一個高射砲軍団(第一高射砲軍団)に過ぎないのです。精鋭部隊では無いとは言っても、圧倒的な数の差であり、本来なら一定の足止めが可能だったはずです。ところがその第2軍はわずか三日足らずで、地上からキレイに消滅してしまう事になります。さらにその戦いの中で敵より速いOODAループ回転による高速戦闘をグデーリアン閣下が完成させてしまい、その必殺技の練習台にされてしまいます。まあ歌いながら走って来るジャイアンにのび太とスネ夫連合軍が立ち向かったようなもので、数以前の問題という部分もあり、気の毒といえば気の毒な存在だったとも言えます。

ヌシャトーの戦い

再度同じ地図でヌシャトー(Neufchâteau)の位置を確認して置きましょう。ここが本来なら初日の目標地点であり、さらに作戦二日目の最大の戦闘があった土地でもありました。さらにこの地で電撃戦はほぼ原形が完成する事になるのです。

グデーリアン閣下自らが率いる主力部隊、第1装甲師団はルクセンブルグ、ベルギー、どちらもそのど真ん中を突破して最短距離でフランス国境に向かう経路を取ることになっていました。その経路上、ベルギー横断のほぼ中心点に位置し、最初の目的地とされたのがヌシャトーです。ルクセンブルグとの国境から約20q、本来なら初日の段階でここまで到達する予定だった街でした。多くの道路が通過する交通の要衝のため、一帯には防衛陣地が築かれており、ベルギー軍とフランス軍が防衛線を構築するならこの一帯と考えられたからでしょう。よってその陣地に敵が本格的に展開する前に強襲したかったのですが、残念ながらそれには失敗したわけです。



ただしドイツ軍の予想に反してベルギー軍はここに防衛線を築かず、さらに残るフランス軍相手の戦闘でも予想外の圧勝を収めてしまう事になります。そしてその圧勝には初めて電撃戦的な戦法が採用されており、事実上、ここの戦闘から電撃戦は始まったと思っていいでしょう。ちなみにヌシャトーに陣取っていたのはフランス第2軍に属し、前日から既にドイツ軍と接触していた第5軽騎兵師団でした。さらにちなみに一帯はフランスの第5軽騎兵師団と第1騎兵旅団のちょうど作戦地区の境界だったのですが、第1騎兵師団はほとんど戦闘には参加していないと思われます。


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