グデーリアン軍団

マルトランジュをあっさり突破した、第1装甲師団の先行部隊は一気にベルギー国内に突入しました。楽勝ムードがあったかと思われますが、国境線から約4qほど入った渓谷地帯、ボダージュ(Bodange)の集落で想定外の激しい抵抗にあって進撃は食い止めらてしまいます。一帯は二つの道路が合流する交通の要衝で、ここにベルギー軍は要塞を築いていたのです。ここはアルデンヌ高地に近い山岳地帯であり(標高400m前後の丘陵部)、この場所で道路を封鎖されてしまうと機械化部隊の迂回は不可能でした。このため、以後、夜まで続く大激戦がこのボダージュで展開する事になります。

ここを守っていたのも第1アルデンヌ猟兵連隊配下の中隊で、その第3大隊第5中隊でした。そして何度か述べているように開戦初日、5月10日の昼ごろまでに一帯のベルギー軍には撤退命令が出ていたのです。ドイツ側が到着したのは昼の12時過ぎですから、本来なら既に陣地はもぬけの殻になっているか、せいぜい撤退を援護するための戦闘が起きる程度のはずでした。ところが前回見た「優秀過ぎるガルスキー」の活躍によって、ボダージュの陣地には一切、撤退命令が届いて無かったのです。このため、陣地化された高地に居る地の利を生かし、さらに夜になるまで砲兵部隊も戦車部隊も到着しなかった第1装甲師団の火力不足に付け込んで、これを足止めしてしまいます(ただし一部のオートバイ狙撃兵部隊が徒歩にてベルギー軍の陣地を迂回、西に向けて先行したらしいが)。この辺り、陣地戦の優位がよく判る戦闘でもありました。敵に強力な火力が無ければ一個中隊が一個師団を足止めしてしまえるのです。最終的に日没(21時過ぎ)までに到着した砲兵と戦車部隊によって突破されてしまいますが、この火力がなければ、翌日まで持ちこたえてしまったと思われます。

ではそのボダージュの戦いを地図でざっと確認して置きましょう。下の地図で道路とザウアー(Sauer)川以外の部分はほぼ丘陵で徒歩以外での移動は不可能でした。このため機械化師団が西のフランス国境に向かうにはその突破が必須だったのです。ちなみにザウアー川はせいぜい数メートルの幅しか無く、流れも浅いため歩兵にとっては特に問題になりませんでしたが渓谷のような谷底を流れていたため、機械化部隊はその渡河に苦労したようです(機械化部隊が進んで来た陣地北東の橋は落とされていたので工兵隊が日没直前の21時ごろに仮設橋を架けている)。



この一帯に最初に到着したのは今回もオートバイ狙撃兵の部隊でした。これらは国境の街、マルトランジュからザウアー川沿いに進んで来たものです。全部で四個中隊が早くも昼過ぎまでにこの一帯に到着していました(400名前後の兵力)。その内一つはマルトランジュで速攻を仕掛けてこれを突破してしまった第4装甲捜索大隊第3オートバイ狙撃兵中隊で、引き続きこの街での死闘に参戦する事になります。すげえな、と言う他なく、とりあえず5月10日にもっとも活躍した部隊は間違いなくこのオートバイ狙撃兵中隊でしょう。

残りの三つのオートバイ狙撃兵中隊は第1狙撃兵旅団に属する中隊でした。
第1装甲師団は大きく二つの旅団から構成されており、その内一つは当然ながら第1戦車旅団(二個連隊四個大隊)であり、もう一つがこの機械化(乗り物で移動する)歩兵からなる第1狙撃兵旅団でした。ちなみに狙撃兵(Schützen/ライフル兵といった訳もある)は1940年の段階では機械化部隊の歩兵を指す名前でした。後の装甲擲弾兵旅団(Panzer-Grenadier)に当たる兵種です。

すでに見たようにオートバイ部隊も機械化部隊の一つだったので、第1狙撃兵旅団にもオートバイ狙撃兵大隊が一つ存在しました。その大隊の第1中隊が12時30分ごろ、ヴィーゼンバッハ集落の西で最初にベルギー軍と接触、戦闘になります。ちなみに本来の西に向かう主要道路はもう一本北側、本日のMVP戦隊、第4装甲捜索大隊の第3オートバイ狙撃兵中隊が進んでいる道でした。ただしそのMVP中隊はその道を経由してボダージュに向かわず、バイクを捨てて徒歩でこの南の道に抜けて来ているのです。なのでこの一帯は道路が封鎖されていた可能性が高いと思われます。

ちなみにザウアー川の北から一帯に進出して来た残りの二個中隊、第3、第4中隊は地図上では道路が無い場所を走ってるように見えますが、当時ここには鉄道線路があったのです。今は廃止されてしまってるんで現在の地図を見ても訳が判らんと思いますが、こういった点にも注意しないと良く判らないのが戦争を調べる、という事なのです。結構大変なのよ、ホントに。



■Photo:Federal Archives 

南部のベルギー軍は、各地で道路を封鎖する破壊工作を行ってから撤退しており、この地味な妨害によってドイツ軍の進撃は予想以上に苦労する事になります。写真のように単純に樹木を切り倒しただけのものから、鉄骨を地面に打ち込んで壁を造ってしまうものまで(未舗装の道路なのでこれが出来た)さまざまな物がありました。そして、この戦闘でザウアー川沿いにベルギー軍陣地に向かったオートバイ狙撃兵中隊は全て南に迂回してますので、一帯には堅固な防壁が築かれていた可能性があります。

いずれにせよ、この12時30分の最初の戦闘でボダージュのベルギー軍陣地はドイツ軍が早くも一帯に到達した事を知り防御態勢に入ってしまいます。すなわちマルトランジュの時のような速攻と奇襲は不可能となってしまったのです。このため14時30分に開始されたオートバイ狙撃兵中隊の攻撃はあっさり撃退されてしまいます。小銃と機関銃程度の装備しか無く、奇襲に失敗した以上、当然の結果でした。

その直後、15時ごろに北東の道路から南下して来た第1狙撃兵連隊本隊の先行部隊、第3大隊が別方向からの攻撃を開始するのですが、こちらも大口径の野砲は無く、あっさり撃退されてしまいます(この部隊が北東から南下して来たのはザウアー川沿いの道路は狭く大規模部隊の進行に向かないため別の進路から進撃したからだろう)。

以後、小型の野砲が徐々に到着し始めるものの高所に位置するベルギー側の陣地を破壊することは出来ませんでした。最終的に17時50分頃、ベルギー軍陣地対岸の高地に88o FLAKが据え付けられ、これによってようやく敵陣地の防壁を撃ち抜く事に成功します。その後、歩兵が一帯に突入、19時ごろまでかかってベルギー軍を掃討して戦闘は終了となりました(ベルギー側もさすがに十分だと思ったのかあっさり投降して多くが捕虜になったらしい)。



夕撃旅団認定オレの考えるドイツ軍最強兵器、88o対空砲。すでに触れたように、本来なら対空砲だったこの強力な兵器は電撃戦の成功に大きく貢献しました。対戦車戦だけでなく、今回のような対陣地戦でも活躍しており、これが無ければ電撃戦は成立しなかった可能性もあったと思われます。

ただしその捕虜の尋問でザウアー川の岸辺は地雷原となってる事が判明、このため機械化部隊を渡河させる仮設橋の懸架にも時間がかかり、日没ギリギリの21時ごろになってようやく仮設橋が完成しています。すなわちドイツ軍はここを突破するのに9時間も掛かってしまった事になります。これは大誤算で、以後の進撃が急がれる事になるのですが、その原因は前回見た空挺作戦に参加した「優秀過ぎるガルスキー」だったのです。無論、当時の第1装甲師団はそんな事知るはずもの無く、ベルギー軍がここまで激しく抵抗するとは、という驚きを持ってこの戦闘を見たと思われます。実際はこれ以降、一帯のベルギー軍は既に撤退済みで、国境を越えて来たフランス第2軍と対決する事になって行くのですが。そしてその辺りから「電撃戦」が本格的に展開して行く事になります。

といった感じで今回はここまで。


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