■ボイドの戦闘理論とOODAループ

さて、今回は中間決算的な記事なので、前回までのOODAループの基本理論、そして次回から見て行く実戦編への橋渡しとして、最後に覚書程度の話を少します。

ボイドが最初にまとめた理論は、最初にも少しふれたように“破壊と創造(DESTRUCTION AND CREATION)”という、非常に難解なものでした。ネットで原文は読めますので、興味のある人は読んでみると判ると思いますが、これがどうして戦闘理論に繋がり、その基盤となるOODAループの「発見」に繋がったのか、全く理解できないのが普通でしょう。
実際、結果的に戦闘理論にたどり着いてしまい、最終的に海兵隊の戦闘理論改革を通じて従来の戦闘の概念を変えてしまう事になったものの、本人は当初、そんな事は微塵も考えていなかったのです。

ボイドは後に論理的な帰結として導かれたように発言してますが、周囲から見るとなんでそうなったのかは極めて難解です。ボイドが通った道、創造と破壊、分析と統合、そしてそこからOODAループを見出し、これを利用する戦闘理論を組み上げる過程を第三者が理解するのは極めて困難だと思われます。この点、私も例外ではありませぬ。

さらにボイドの場合、言葉の定義に強いこだわりを持つため、問題を非常にやっかいにしてます。
例えば1989年5月2日から二日間に渡って行われた海兵隊相手の講義の中で、weakness(欠点、弱点) と vulnerability(脆弱性)の言葉の定義について延々と説明、参加者とも激しいやり取りをしています。一部は二日に渡ってこの単語の定義で紛糾しており、日本語を基本言語とする人間には正直、よく理解できない部分となっています。

ボイド的には敵も自覚している弱みがvulnerabilityであり、本人も判っている以上、これを厳重に守るため、攻撃目標とするのは賢くない、という事になります。そうではなく、相手を困らせる事ができ、しかも守りが固くない状態にあるものを探し出せ、それがweaknessで、こちらを狙って攻撃せよ、そうすれば最終的に敵はvulnerabilityまで守り切れなくなる、という事らしいです。
ちなみにボイドがあまり評価してなかったクラウゼヴィッツの「戦争論」の第八章で、戦争における主要攻撃目標とした「敵の重心」と、彼の言うvulnerabilityはほぼ同じものだとしています。

ボイドは敵の重心、vulnerabilityの攻撃について、敵だってここを攻撃されるとまずいと自覚してる以上、防御を固めおり、そこに飛び込んで行って力と力の真っ向勝負、消耗戦にに持ち込む奴は馬鹿だ、とするのです。よって、そういった固定概念を捨て、敵が油断し、防御を薄くしてる中で比較的重要な場所を探せ、その予想もしてなかった場所を攻撃して主導権を奪って敵の鼻面をつかんで引きずり回せ、という考えだったのでした。これは「孫子」が述べるところの虚実における「無形」に近いもので、彼は孫子から強い影響を受けてましたから、なんらかの参考にはしたのでしょう。

最終的に、ボイドの戦闘理論は、自らの組織では、variety, rapidity, harmony,and initiative, All plays together、すなわち多様性、迅速さ、組織内の調和を統合して先手を取って主導権を握りOODAループの回転を高速で安定させるのが対前提です。
そこから敵のOODAループに割りこんで、Put uncertainty, doubt, mistrust, confusion、不確実性、疑念、組織内の不信感、そして混乱を押しつけよ、その上で敵ループの麻痺から組織的指揮系統の崩壊と戦意の喪失を引き起こせ、とします。

すなわち正面から戦わず、余計な損耗を避けて効率よく勝て、という事です。ここで使われるのが観測段階への干渉なのは、前回見た通りです。この辺りの理解に関しては、ボイドの戦闘論でもっともやっかいな敵の moral の破壊、精神性、道徳性を破壊せよ、という主題が避けられないのですが、この点はまた後で。

といった感じで、ボイドの理論はなかなか手ごわく、これをキチンと理解し、解説するのは簡単ではありませぬ。
それでも、できる限りの手を尽くし、さらに単にボイドの理論だけではなく、そこから論理的な帰結として導き出されるさまざまな新しい発見まで、これから述べて行くことになります。

という感じで、今回はここまで。


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