■攻撃的な高速化 その1

攻撃的なOODAループの高速化には大きく二つの種類があり、どちらもループの最初の段階、「観測」への干渉が主要な手段となります。もっとも良く見られるのが「敵に欺瞞情報を“観察”させ正しい“判断”そして“行動”に至らせない」です。正しくない行動にどれだけ速く辿りついても無意味ですから事実上、敵のOODAループを停止させるのと同じ事になります。電撃戦ではマンシュタイン計画によって、北の平野部から侵入するB軍集団を主力と思わせ、逃げ場の無い一帯に敵の主力を誘い込む、という作戦が行われたわけです。その間の敵の行動は全て間違った物ですから、その背後に回り込むA軍集団の機甲部隊に対し、連合軍はなんら正しい「行動」に移れないまま、あっという間に包囲殲滅に追い込まれてしまう事になったのです。



この地図を再度見てもらえば、連合軍側が見事にドイツの「欺瞞情報」に引っかかった事が判ります。ただしその中にはメレヘン事件のようにドイツ側が意識的に行ったのではない、偶発的な事件も含まれますが。

開戦半年前、1939年11月の段階から連合軍というかガムラン閣下はドイツ軍は第一次大戦と同じ進路で攻めて来ると思い込んでいました。偵察などからこの点に気付いたドイツ軍は、マンシュタイン作戦案が採用された後、様々な欺瞞工作でこの点を裏付けるように見せかけます。さらに最終的に空挺部隊を含む盛大な攻撃でB軍集団がオランダ国境を越えて開戦、この結果、ガムラン閣下は大喜びで主力部隊、第1、第7軍、そしてイギリス遠征軍にダイル線までの前進を命じてしまいます(さらに第9軍も進撃を命じられたが一部がマース川を渡ってベルギー国内に入った直後にロンメル&グデーリアン必殺アタックを受け大混乱に陥る事になる)。

地図を見れば判るようにその一帯は北は海、南は丘陵地帯、そして狭い前方の戦線にはドイツB軍集団が待ち構えるタコツボ、閉鎖空間だったのです(この点は長篠の戦を拡大した戦術とも言える)。後はそのケツを封じてしまえば包囲殲滅戦の完成です。そのためのA軍集団のクライスト装甲集団は、高速で敵主力部隊の南側を反対方向、海峡に向けてに進撃、その目的を見抜かれる前に完全包囲に成功します。ただし最期はヒトラーの要らぬ介入によってイギリス遠征軍などは取り逃がしてしまうのですが。

■攻撃的な高速化 その2

もう一つの攻撃的なOODAループの高速化が、「膨大な情報を送り付け敵のループを麻痺させる」です。敵の行動を完全に封じ込めるため、OODAループ戦に置いて最も攻撃的な運用と考えていいでしょう。これには大きく二つの種類があります。



まずは同時多発的に多くの「事件」を引き起こして敵の処理能力を超える情報を「観察」段階に送り込み、そのOODAループの進行を麻痺させるもの。当然、いつまで経っても「行動」段階に至れないため、敵は一方的に蹂躙されるままとなります。これは戦争以外でも同時多発テロなどに利用される手で、この点を恐れたボイドは一時的にOODAループに関する公演を自粛していました。最終的に知らない方が危険だと判断して再開するのですが、その危険性は今でも有効です(ただし対策も簡単で、多数の事件に対応できるだけの指揮官を置いて各自に対応させればいい。ただし正しい判断を下せる能力を持った複数の人材の確保が必須条件となる)。

もう一つは時間差を付けて無数の情報を送り付け、敵のOODAループを麻痺させるもの。この場合は「観察」段階で情報処理能力の飽和は発生しないのですが、OODAループがその先の段階まで進んだところで新しい情報が「観察」されるため、せっかく回していたループは再度、最初からやり直しとなります(北から敵が襲来という情報に対処していた所に、南からも来た、という情報を与えれば敵は新たな事態に対処するため、ループの回転を最初からやり直すしかない)。これも最終的に「行動」段階に至れない、という点は同じなので、敵は何も出来ないまま、一方的に蹂躙される事になるのです。

電撃戦では、グーデリアンと何故か知らんがその横を走っていたロンメルによる高速進撃でフランス側は無数の情報を一斉に送り付けられ、さらにに高速移動で新たな戦場に出現するため時間差攻撃も同時に受ける事になりました(あまりに移動が速いためフランス側は同じ部隊の高速進撃ではなく別の部隊が出現したと思い込んでいた様子がある)。それに加えて、例のガムラン総司令官は現場への大幅な権限移譲を嫌ったので、あっという間にフランス側のOODAループの回転は麻痺してしまう事になるのです。この無数の情報による敵ループへの干渉は極めて有効で、連合軍がほとんどまともな戦闘もしないまま、次々に降伏してしまう、という魔法のような状況が引き起こされたのはこの攻撃的な干渉によるものが大きいと考えていいでしょう。この辺りの状況を簡単な図にまとめると以下のようになります。



ドイツ軍の場合、各部隊の指揮官が、独自にOODAループを回し行動段階に至る事が許されていました。よって不測の事態が生じた場合、最高司令部に報告し指示を待つ、という無駄な時間を使う必要が無かったのです。さらにそれぞれが好き勝手に判断して混乱が生じないよう、明確な「絶対的な指針」による統制が行われていました。例の「5月13日までにマース川に到達、14日までにマース川渡河」という明確な指示をグデーリアンが与えてあったからです。これによって戦場で起きる無数の想定外の事態に対し、各現場で素早く対処でき、最高指揮官であるグデーリアンも含めOODAループが「行動」段階に至らず停滞する事態が避けられました。同時にこれは「判断または仮設作成」段階を跳ばす高速ループでもあり、より高速な行動にも繋がっています。

ただしこれが可能だったのは、十分な訓練と教育を受けた士官、下士官が揃っていた当時のドイツ軍だったから、という面もあります。彼らはほぼ正しい判断を下し部隊を指揮したのですが、後にソ連に対して攻め込み、膨大な人的損失を受けたドイツは、この優秀な士官、下士官の不足から、OODAループ的にも苦しめられる事になります。




対してフランス軍は、現場での独断を許さず、当然、各部隊指揮官に「絶対的な指針」も与えてませんでした。全ての情報はガムランの最高司令部、あるいは対ドイツ軍の作戦司令部だった北東方面軍司令部に集められ、そこで「観察結果への適応」から「判断」までが行われました。ドイツ軍は広大な戦線で一斉攻撃を仕掛け、さらには欺瞞も行っていたわけですから、たった二つの窓口で全ての情報を受け取り、判断に至るまでを行うのはどう考えても不可能でした。よって既に指摘したように、アッと今に情報の飽和からループの麻痺が生じます。そしてOODAループが麻痺した以上、決して行動段階には至りませんから、戦わずして敗北する、という異常事態が各所で発生する事になります。それこそが「OODAループの麻痺」による敗北の特徴であり、電撃戦の本質でもあります。
同時に「絶対的な指針」を与えていなかった事も致命的で、このため一部の指揮官たちが独自に行った反撃も全てがバラバラな目的と行動の基に行われたため、なんら効果的な戦果を上げる事ができぬまま終わります(その代表例の一つが後で見るド・ゴールの第四機械化師団による反撃)。

以上が電撃戦将軍グデーリアン閣下によるOODAループの戦いですが、同じように高速ループを本能だけでブン回して戦ったロンメルはちょっと面白い考え方を持っていました。この点を最後にちょっと見て置きましょう。

ロンメル回ってる

暴走将軍ロンメルも敵より速く「行動」に至れば勝てる、という点を本能で見抜いていたのは残された手記などから間違いありません。ただし彼の場合、「正しい行動」でなくてもとにかく動く点を重視していた、という特徴があります。戦後、リデル・ハートによってまとめられた手記の記述によると、

■先に攻撃を開始した側が有利になる事が多い。これを避けるため敵の銃声を聞いたらすぐに反撃を試みなければならぬ。
■攻撃を受けた時、一旦停止して慎重に周囲の状況を観察してから戦闘に入るのは良い戦術とは言えない。
■反撃せずに遮蔽物の陰に逃げ込んだり、援軍の到着を待つ事をやってはならぬ。
■敵の正確な位置が判らなくても、攻撃を受けたと思われる方向にすぐ反撃せよ。それだけで損失は大きく減る。
■敵が居ると思われる場所に、とにかく撃ち込むとだけで敵は撤退するか、少なくとも反撃を抑え込む事ができる。
■敵戦車の装甲を撃ち抜く兵器が無くとも、先制して砲撃を浴びせるだけで撤退に追い込める場合がある。

といった感じにとにかく攻撃の「行動」に出て機制を制する事を重視し、正確性は二の次としているのです。必ずしも「正しい行動」でなくとも、大筋で間違って無ければ問題ない、という考え方であり、ロンメルはこの点を実戦経験から学習したようです(恐らくポーランド戦の経験。ただしこの時のロンメルは歩兵部隊の指揮官で機甲部隊とは無縁だった)。

これは大筋で間違って無ければとにかく「行動」段階に入る事が重要だ、完全な正解を探して時間を失う方が問題である、という指摘です。「完全に正しい行動」よりも「少なくとも間違っていない行動」の方が重要だ、という事ですが、その原則通りに行動した結果、ロンメルは何度もピンチに陥ってますし、後のアフリカ戦などでも怪しい部分があるのですが…。それでも彼が何度も戦闘で圧勝した指揮官なのは事実であり、参考にする価値はあるかと思われます。

といった感じで今回はここまで。次回、いよいよ開戦です。


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