■包囲殲滅戦

先に述べたように人類で最初に近代的な電撃戦を行ったグデーリアンは、高速性を活かして敵の不意を突き一気にその主力部隊を包囲殲滅する作戦だけを考えていました。ある意味でモルトケ以来、ドイツ参謀本部伝統の作戦です。すなわち最初から敵のOODAループの回転を止め、そこからパニックと混乱を引き起こして敵を壊滅させる戦術を考えていたわけでは無いのです。

この点、電撃戦が敵にパニックを引き起こす最大の理由は、退路を断たれる事、すなわち敵中に取り残されたまま包囲されてしまう状況への恐怖が主なモノとなります。よって歴代電撃戦はことごとく最後の包囲殲滅に失敗しながら、その恐怖を活かして勝ってしまった、という面が少なからずあります。よってここでは包囲殲滅戦について少し説明しておきましょう。

戦闘は通常、集団と集団の衝突で戦われます。集団でない敵が相手なら、数の優位を活かして速攻で叩き潰せるので問題にならないからです(素人100人対100人の喧嘩は痛み分け状態になる可能性が高いが、相手を1人ずつ呼び出し常に100人対1人の状況にしてしまえば最後までほぼ損害無しで勝ってしまえる。実際にこういった戦争をやったのがスペイン戦前までの全盛期のナポレオン)。このような単純戦闘を図にすると以下のようなモノになるでしょう。



このように正直一路で真っ向勝負、脚を止めての殴り合いとなった場合、勝っても負けても、多大な損害が出る事は簡単に想像できるでしょう。それでも勝てばいい、という場合は「ククク、いい勝負だったぜ中島」で済みますが、敵が中島さんだけではなく、花沢さんも波野さんも、さらには三河屋さんまでもが敵だった場合、大変な事になるわけです。その損失回復ができないまま花沢さんが攻めてきた場合、おそらく戦うまでも無く敗北は決定ですから、最初の勝利は無意味となります。

これを避けるために奇襲による一方的な勝利という手があるのですが、敵も警戒してますからそう簡単には成功しません。信長による「桶狭間の戦い 」のような成功例は珍しいのです。このため被害を抑えて一方的に勝てる一般的な戦術が求められる事になります。そんな都合のいい戦術があるか、というとあるんですね、これが。それが包囲殲滅戦なのです。

戦闘の基本形

まず集団で戦う場合、攻撃は前面方向に集中される事を知って置いてください。図にするとこうですね。



近世以前の主力である槍兵、そして現在までの主力である小銃を持つ歩兵を例に考えましょう。
その武装を正面方向の敵に対し最大限向ける=殺傷力を最強にする、にはなるべく横方向に広く並ぶ必要があります。前後に長く並べてしまうと、後部に配置された兵の武器は敵に対して使えなくなるからです。敵より多くの兵を集めても縦一列に並べてしまったら、敵方向に向けられた武器は先頭の兵の一つだけになってしまうので確実に負けます。

ただしこの陣形では正面以外から敵が来た場合、その殺傷力はガタ落ちになり、一方的に蹂躙される事になります。
例えば横方向から攻撃を受けた場合、正面に比べて数分の一程度の貧弱な武器しかその方向に向けられないからです。これこそ中国の古代戦国時代、さらにはギリシャ時代の昔から横方向からの攻撃、横槍が警戒された理由です。そしてより大規模な展開を見せる近代戦でも、実は大筋で変化がありませぬ。 

 

通常、横長の隊列を90度旋回させるのは一定の時間が掛かりますし、そもそも大部隊の場合、そんな機動はほぼ不可能です。対して敵は正面方向に最大の殺傷力を向けたまま横から突っ込んできますから勝てるわけがありませぬ。さらに後方からの襲撃の場合、奇襲になりやすい上に、隊列全部が反転する間にかなりの損害になる可能性が高く(全員が一斉に背後からの攻撃に気が付くわけでは無い)、いずれにせよまともな戦闘にならないまま、一方的に大きな損失を被る事になります。

当然その対策は考えられており、逆V字型のクサビ型隊列などは横方向から攻撃を受けても一定の反撃を可能にする態勢になっています。同時に背後からの攻撃でも全員が一気に叩かれない編成でもあります。それでも殺傷力を前面に全力投入して突っ込んでくる敵に対し不利となるのは避けれませぬ。とにかく正面以外に敵が出現するのは避けたいのです。



防御に徹するだけなら円陣、四角い方形陣などで四方に面した隊形を取る、という事もできます。ですがその隊形での移動は困難であり、攻勢に出るのには向きません。さらに殺傷力は四方に分散されて単純計算で数分の一になるため貧弱です。



逆に言えば、敵と正面からぶつからず、その両脇、そして背後に回ってしまえれば一方的に優位に戦える、少ない被害で勝てる、という事になります。その状態の究極型が四方から敵を囲んでしまう包囲殲滅戦になるわけです。さらに退路が無くなってしまった事で兵は恐怖心からパニックになりやすく、通常、この状態に追い込まれた兵力はほぼ壊滅します。さらに言えば包囲される側は四方に火力を分散する上に、狭い面積に押し込まれるため全兵装を敵方向に向けれなくなります(縦方向に重なり合って邪魔になる)。

対して包囲する側の兵の配置は、最初に見た最強の殺傷力を活かす陣形、横一文字を丸めた状態になるのに注意してください。包囲殲滅する側は全兵装の殺傷力を真正面の敵に集中できる理想的な陣形を取っているのです。





ちなみに敵を丸ごと包囲するんだから数倍の数が居る、そんな大軍があるなら正面から戦っても勝てる、と思ってしまうかもしれませんが、包囲殲滅戦の場合、数で劣っていても勝ってしまう事が多いのです。包囲殲滅戦の史上最大の成功例と言っていいハンニバルによるカンネー、そしてルーデンドルフによるタンネンベルク、どちらも包囲する方が少数でした。この点に関しては包囲側は全兵装を使える理想的な陣形となる、といった理屈によるものばかりではなく、狭い空間に閉じ込められて退路を絶たれた兵の恐怖など、心理的な面もまた大きいと思われます。

■レッツ包囲殲滅

ではどうやって敵を包囲するのか。弓と槍、あとはせいぜいライフリングのない先込め式のマスケット銃しかな無い時代は、その殺傷力の集中のため幅数百メートル程度の狭い一帯に万単位の兵を集結させ合戦となっていました。この場合、対象が狭い範囲に固まっているので、包囲そのものはそれほど大変ではありません。ただし当然、敵も馬鹿ではないので部隊正面の左右に翼陣を広げたり(利家夜話で利家本人が書いて見せた前衛と後衛の二段布陣がこれだろう)、機動力の高い騎兵部隊を左右に付けて、簡単には陣地の背後に敵が回り込めないようにします(ローマのカエサルが良く採用した陣形。というかローマ軍が得意とした陣形の一つ)。



これらの陣形は敵を背後に回り込ませない対策であると同時に、機会があれば突入して来た敵を正面で足止めした上で包囲できる陣形なのにも注意。攻防一体なのです。ちなみに前田利家が陣形1を二段に構えるのが最強としたのは日本には伝統的に高速機動の騎馬兵部隊が無かったからでしょう。原理的には陣形2の方が優れています。

よって、これを包囲するには何らかの工夫が居るわけです。ちなみに山間と峡谷の地形を使って敵を閉じ込め前後から鉄砲で滅多撃ちにした信長による「長篠の戦」、湖畔の逃げ場がない街道上に敵を誘い込みその横腹から襲撃、ローマ軍を殲滅してしまったハンニバルによる「トラシメヌス湖の戦い」といった地形を使った例もあるにはあるのですが、やや例外的であり、どちらの天才にしかできないよね、普遍性は低いね、という戦いなのでここでは取り上げません。

一般的には敵陣左右の兵力をけん制して脚止めし、その隙に騎兵が一気に囲んでしまう、または自軍の中央部が欺瞞退却をして凹字部分を生み出し、そこに追撃してきた敵を取り込んで囲んでしまう、といった手法が取られました。特に後者はハンニバルがカルタゴでやった事で有名ですし、記録などを見る限りでは元寇の時に元軍側が日本の騎馬兵をこれで討ち取ったらしい様子が見られ、よく使われたようです。





ただし時代が進み、強力な殺傷力を持つ野砲や機関銃の登場した事により、密集隊形は過去の物となりつつありました。まとまっている所に攻撃を食らったら速攻で壊滅するからです。敵は広く分散して配置されるため、これを完全に包囲するのは至難の技になったのです。このため時代が進むにつれてこの必勝戦術は見られなくなってゆきます。

それでも包囲殲滅戦にこだわったのが19世紀の天才、プロイセンのモルトケ閣下と、以後、その影響下にあった歴代ドイツ参謀本部でした。モルトケは進軍、集合の速度という考えを戦争に持ち込み、再びこの強力無比な戦術を戦争に甦らせます。

そのモルトケ本人が指揮した普仏(ふふつ)戦争では鉄道を活用して部隊の高速移動を行い、フランスのボス、ナポレオン三世率いる部隊を「セダンの戦い」で包囲し圧勝(ただしフランスはナポレオン三世を廃位して戦争を続行したが)、さらにいろいろしくじった第一次世界大戦でもルーデンドルフが「タンネンベルクの戦い」で約20万人と言われるロシア第二軍を完全に包囲殲滅しています。この時も鉄道による高速移動がカギになっているので、この辺りがグデーリアンによる高速進撃の電撃戦のヒントになった可能性はあるでしょう。

といった辺りが予備知識ですね。とりあえず今回はここまで。


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