■OODAループの独自展開

さて、最初に説明したようにボイドの主要な興味は戦闘理論の構築にあり、OODAループはその道具にすぎませんでした。このため晩年に至るまで図式化すらしておらず、その概念はやや曖昧だったのです。私が確認できた範囲内では単独でOODAループを取り上げて講義を行った事はほぼ無く、よってその曖昧さは彼の死後も残ってしまいます。ただし彼の戦闘理論は現在、かなり詳細に追いかけられる資料が手に入るので、そこから逆演算の形でボイドの頭の中にあったOODAループを再現することは十分可能です。

何が言いたいの、と言えば、今回辺りからボイドの理論の応用、筆者なりの研究、結論がかなり含まれて来るのです。ただしボイドの基本的な思想は「物理法則のように戦闘の根本法則も普遍であるはず」だったので、その理論は論理的な構造を持ちます。よって基礎が判ってしまえば、後は力学と同じく様々な演算によって新たな発見が次々に出て来るのです。

そういった部分に今回からは入って行きます。まあ、前回までの段階でも一部はそういったものなんですが、今回からは特に「ボイドの残したものの一歩先」を目指して筆者が考察した話になって来ます。この点はご了承のほどを。

■集団のOODAループ

本題に戻りましょう。
前回までOODAループの高速化を見て来ましたが、それはあくまで個人でループを回す場合、すなわち個人対個人の対決、あるいは競技中に個人として動く場合のものでした。が、現実には多くのスポーツ、ゲーム、戦闘で集団としての対決が行われ、球技などでは個人対個人より集団対集団になるのがむしろ一般的です。そして人類の対決の最高峰、戦争もまた集団対集団の勝負となります。

困ったことに個人のOODAループ運用は集団戦には使えません。なぜなら集団行動はまとまりに欠き、その結果、無秩序で混沌化しやすいからです。よってまず集団を制御、統制する必要が出て来ます。そしてその「統制」もまたOODAループで行う、という点が重要なのです。集団でのOODAループの運用は、高速化して相手より速い「テンポ」で勝利するだけでなく、人間の集団を秩序だった組織にまとめ上げる事も同時に担当します。

このOODAループによる統制は勝負に勝つための手段であると同時に組織内での秩序ある行動の確保にも有効なため、組織運営面などでは主目的になる場合があります。すなわち対決する敵は居ない場合にもOODAループは役立つ事例があるのです。とりあえずOODAループの華は今回から説明する集団運用にあり、同時にOODAループの核心部に入って行く事になります。

■集団の混沌化

OODAループの集団運用といっても、どんな集団でも可能なわけではありません。最初はこの辺りから見て行きましょう。



まずは、どこにもで発生する集団である「群衆」で考えます。
これは異なる目的を持った人間が無秩序に集まったものです。当然、なんら共通の目的を持たない、無目的集団となります。その結果、集団内の全員が独自にOODAループを回し、個人、あるいは数人の小規模集団で独自に動き回るため、無秩序で混沌としたものになるのが「群衆」の特徴です。「人間ブラウン運動」みたいな集団と思ってください。

そんな群衆が、集団OODAループを回す必要がある事態に直面したらどうなるかを考えましょう。例えば会場内で火災が起きた場合、「落ち着いて安全な場所まで避難する」という「正解行動」の必要が群衆内に発生します。

ところが群衆では混沌からパニックとなりやすく、その結果、秩序だった行動は不可能となり倒されたり踏みつけられたりで事態を悪化させてしまう事が多いのです。これは各個人が独自に無数のOODAループを回してそれぞれ勝手に行動した結果で、このため最初から最後まで混沌のまま終わります。

ここで逆に、OODAループの運用が可能な集団とは何か、を考えてみましょう。
まずは集団内で無数のループが無秩序に回るのを防がねばなりませんから、統率が取れた集団、具体的に言うなら厳格な指揮系統を持ち、それがキチンと働いている集団となるはずです。責任者、あるいは指揮官が集団内全員の意思決定権をまとめて、各自が勝手にOODAループを回さないよう管理できる集団とも言えます。よって「指揮系統の確立」が、集団としてOODAループの運用を行う必須条件となるのです。

■問題は「観察結果への適応」段階で生ずる

通常のOODAループの流れを再度確認して置きましょう。
以前にも述べた通り、ループの最初にある「観察」段階ではほぼ個人差は生じません。誰が見ても火事は火事なのです。個人差が生じるのは第二段階、「観察結果への適応」からとなります。よって混沌化の原因が生じるのもこことなります。

そして「観察結果への適応」は次のような五つの要素によって決定される、というのもすでに見ました。その違いで「同じモノを見てるのに異なる判断に至る」わけです。これも再度確認して置きましょう。
 

「火事だ」という情報を「観察」から受け取ったとしても、この「観察結果への適応」段階で各自に大きな違いが生じます。
「遺伝的な資質」で落ち着きのない人はすぐにパニックになって「とにかく逃げなきゃだめだ」という適応を示し、冷静な人は「どの程度危険な状況なのか確認しよう」、あるいは「消化器か消火栓を探して俺が消す」くらいの事を考えるかも知れません。そして別々に動き始めるのでさっそく押し合いが始まる事になるわけです。

当然、それ以外にも「経験則」で火事の経験がある人と無い人、ある人の中でも特に怖い目に会った人などではその「正解行動の推測」は異なって来ます。こうして無数の「正解行動の推測」が個人ごとに成立、各自がバラバラに無秩序な「行動」を取りはじめ、その結果として混沌からパニックへと至るのです。

さらにそこに「新しい情報」として「奥の方にガスボンベがあって危険らしい」といったものが入って来ると、再度、正解行動の推測のやり直しですから、ループは「行動」に移れなままグルグル回り続けて最後は麻痺状態に陥り、あとは死を待つだけになりかねません。これが「群衆」による混沌化です。

すでに気が付いた人も居るかもしれませんが敵をこの状態に追い込んでしまえば以後は何もできない、例の「ずっとオレのターンでタコ殴り」が集団勝負でも成立する事になります。すなわち「敵集団を統率された組織から群衆の状態にまで移行させる」「その上でパニックによる麻痺を引き起こし何もできないようにし蹂躙する」ですね。実際、その通りでありボイドの戦闘理論で目指したのが、まさにそれなのです。

これを実際にやってしまったのがドイツの西方電撃戦であり、やろうとして失敗したのが湾岸戦争による地上戦でした。
ちなみに歴史上名の知られた大勝利、カンネーの戦い、ファルサルスの戦い、長篠の戦、そして西方電撃戦などでは必ず戦闘中に敵の軍団内に「統率を失った組織の群衆化」から「パニックによる行動の麻痺」が発生、最後に「一方的な蹂躙」が起きています。

よって集団のOODAループ運用が完全に成功したら、戦争でも圧勝できてしまうのです。そして、これこそがボイドと1989年以降のアメリカ海兵隊が目指した到達点でした。この点はいずれ電撃戦の話で触れる事になるでしょう。


NEXT