■フォッケを売るふ




第二次大戦のドイツを代表する戦闘機の一つ、Fw190。
ドイツに爆弾落としに行った連合軍の爆撃機を、一時はケチョンケチョンにした。
今回はこれを造ったフォッケウルフの話です。



本題のGM&フォードinジャーマンに入る前に、
もう一つだけ、脱線したい。

ナチスと取引していたアメリカの会社で、大きなものの一つにITTがある。
おそらくナチスに協力した大企業で、
戦後、最初に注目されたのがここだ。

日本での知名度はイマイチだが、世界的な巨大複合企業の一つで、
当時は、電話を中心とした通信系の企業だった。
アメリカに本社を置きながら、その主な活動はヨーロッパ、
南米、アジア方面など世界各地にわたっていた会社である。
(現在は3つに分割され通信部門は売却された)

この会社がナチスドイツとかなりの取引を行っていたのは間違いないが、
キチンとした資料が見つからなかったので、
ここではオマケ的に触れるだけにしたい。

ちなみにキチンとした資料が見つからないのは、
あまりに膨大な取引を、やっていたからで(ナチスの一部に食い込んでいた)、
潔白の可能性があるからではない(笑)。
ITT、英語圏においては、連合軍とナチス両方を相手に稼ぎまくった、
もっともドス黒い企業、とされていることが多いのである。

この会社は移民だったソスシーンズ ベーン(Sosthenes Behn)が
一代で築き上げた企業で、戦前のアメリカで既に有数の大企業だった。
1929年の大恐慌でもほとんどダメージを受けず、
ベーンは当時の最強経営者の一人と見なされていたようだ。

そのベーンが、ITTをナチスとの取引に引っぱって行くことになる。
ただし、ヘンリーのような思想的な思い入れから、ではなく、
純粋に「儲かるから」という理由だったように見える。

とりあえず、ITTが当時関わっていたものとして、
ドイツ爆撃機の機内インターコム、Uボートの艦内電話、
さらにはレーダーのパーツなどがあったとされる。
V1飛行爆弾の誘導装置のパーツもあり、とされるが、
それはどうかなあ…。



帝国戦争博物館ダックスフォードの方にある第二次大戦期の防空指揮センターの復元展示。
手前にいろんなスイッチ類が見えてますが、こういった施設の
電話とかレーダー網とかもITT、関係していた可能性が高いです。

当時としては最新のIT企業だったんですよ。

で、レーダーに関しては、アメリカ、ドイツの両方にパーツを
提供してるらしいので、まあ、情報筒抜けでしょうね(笑)。



が、もっとも注目すべきなのは、ITTがドイツに設立していた子会社、
ロレンツ(Lorenz)社である。
オランダの電器メーカー、後にソニーとCDを開発したことで知られる
フィリップスが子会社として戦前に設立した会社で、
それをITTがドイツでの事業展開用に買収したものだ。

で、1938年、ITTはドイツ空軍のトップ、
ゲーリングと会談を重ね、ある合意に至った、とされる。
それは、ITTの子会社である上記のロレンツを通じ、
ドイツの航空会社の株式を買い取る、ということ。

その航空会社の名は「フォッケウルフ」。
あのFw190でおなじみ、皆大好きフォッケウルフである。

この話、英語圏のWebサイトなどではよく見るのだが、
そのネタ元は、全てジム ホーガン(Jim Horgan)の著作
「Spooks(諜報員 1979年刊)」からの引用らしく、正直、その信憑性は微妙だ。
ホーガン、スパイ小説とか書いてる人だし…。
だが、いくつかの状況証拠を考えると、ありえるような気もする。
(ANTHONY SAMPSON の「Musical Flags」という本にも出てくるらしいが、未確認。
こっちは本人がナショナルアーカイブスで書類掘って確認した、としてるらしいが…)

総発行株式の28%(25%説あり)を取得した、と言われれている。
これは、当時のドイツの商法にもよるが、通常、重大な案件への拒否権が発動できる
33%よりやや少な目、といったラインだろうと思う。
外国の企業が買える量としてはほぼ限界に近い数のはずだ。
つまり、ホントに株式の売買があったなら、結構、現実的な数字だと思えるのだ。

というわけで、へー、フォッケウルフの大株主は、アメリカ企業だったんだ…
で、終わってはいけない(笑)。

当時のドイツが、国防企業を気楽に上場するはずもなく、
この取引が株式市場で調達されたモノでないのは明らかだ。
新規発行か、ドイツ政府が所有する(たぶんこっち)ものを一気に買い取っている。
すなわち、膨大な資金が、直接フォッケウルフ社、
またはドイツ政府に渡っていることになる。
事実上の、フォッケウルフ社への資金提供なのである。

ここで注目したいのが1938年、というタイミング。
これは帝国航空省(RLM)がフォッケウルフ社に
Fw190の開発を正式にスタートさせた年だ。

で、ぶっちゃけ、ドイツに金はなかった(笑)。
1939年、開戦した年の歳入が約31億ライヒスマルク、
支出が約63.5億ライヒスマルクだったと言われるから、
いきなり支出が収入の倍です。生活費の半分は借金状態(涙)。
まあ、その前年の1938年でも似たようなものだろう。
余談ながら、ドイツはどうも戦時国債というものを発行した様子がなく、
基本的に税収と、占領地から巻き上げる上納金で財政をまかなったようだ。

 

現代のステルス爆撃機などに比べれば安いものだが。
それでも主力戦闘機の開発にはそれなりに金が必要だったろう。

で、当時のドイツは海軍も陸軍も同時進行で兵器買いまくり、だったから
なにしろ金が無かったはずだ。
で、ふと周りを見ると、金持ってそうなアメリカ人が!いるじゃん!
こりゃいいや、タダで出せとは言わん、株主にならない?
ということになったのだろう。

だが、当然、フォッケウルフの株を市場で売ることは不可能だし、
配当が出たかもあやしい。
そんな株を買ってもITTには何のメリットもない。
よって、なんらかの「見返り」が取引されたはずだが、その点は謎だ。

とりあえず、事実上、この機体の開発費かなりを
アメリカ人(ベーンはアメリカ市民権を持ってる)が出した、と思われるのである。



だから、後にドイツ本土爆撃で、アメリカ軍のB17、B24に膨大な損害を与える、
Fw190は、そのアメリカ自身の金によって開発された、という可能性が高い。
事実だとすると、米軍の爆撃機クルーは、あまりに浮かばれない。

最後に、もう一つ注目したいのは、フォッケウルフの創立者の一人、フォッケさんの処遇だ。
彼は1937年の株主総会で取締役を解任される、すなわちクビになった。
これはFw190の開発のスタート以前で、
その後は、Fw190の設計者であるクルト タンク先生が会社を事実上、牛耳って行く。
でもって、その直後にはFw190の受注に成功してる。

で、この株主総会が問題なわけだ。
ミュンヘンの鍛冶屋の親父や、ベルリンの有閑マダムたちが総会で
「フォッケの鼻の形が気に食わないから、解任動議を提出します!」
などとするはずもない。つーか、そもそも国防企業が株式市場で、
多くの一般市民に株式を公開していたとも考えにくい。
で、当時の航空会社は多かれ少なかれ、国からの出資を受けていたはずなので、
この解任は、国というか空軍というかナチスというか、ぶっちゃけゲーリングの意思だろう。

フォッケはナチスぎらい、というかイチイチ開発に口を出されるのが嫌で、
航空省などとも衝突したらしいから、軍部からニラまれていたはずだ。
その結果、フォッケさんは会社を追い出され、後釜にはタンクが座った。
だが、フォッケは追放直後にフォッケ アガリスを設立、
後にヘリコプターなどを軍に納入しているので、
完全に軍から危険人物と見なされていた、というわけでもなさそうだ。
だが、追放された。

…タンク博士って、実はかなりキナ臭い
ような気がするんですが、どうでしょう(笑)?

はい、今回はここまで。
後、少し…かなあ…。

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