■万国の労働者諸君

というわけで、ナチスがイギリス、アメリカでどう見られていたか、
という点を考えるには、共産主義を知る必要がある。

共産主義ってのは、実はかなり定義が難しく、マルクスの考えたモノ、
エンゲルスが考えたモノ(をマルクスの考えとして発表してしまったモノ)、
さらには愉快な暴走貴族ことレーニン(ペンネーム)の考えてたモノ、
そして、どう考えてもイロイロ変なんだけど、当時宇宙で唯一の
実例共産主義社会だったスターリン閣下運営によるソ連のもの、などがある。
(モンゴルは勘弁してあげて下さい…)
違うと言っても、さすがに根幹部分は共通するから、それを見てみよう。
(もっとも、私も上記の全てを完全に理解してるわけがないのだが…)

第一の共通点として、生産手段の個人所有の禁止、
人民共同体による管理、というのがまずあった。
これは個人の会社経営の禁止、自由市場の禁止である。

なんでそんな事がするの?というと、
自由市場で売るために、様々な会社がやたらめったら過当生産に走り、
19世紀には恐慌、不景気といった経済的破綻が頻発していた。
これによって、多くの労働者が生活苦に追い込まれていた。

だったら、キチンと経済(基本的には工業生産による需給)
を管理コントロールして、暴走も加熱もさせないようにしたい。
これには、必要な量だけを生産して行けばいい。
そうすれば、製品過剰による暴落、あるいは不足による暴騰は起きない。
つまり、価格は常に一定だから、自由市場は自動的に消滅する。

その「計画的な生産を行う」ためには、個人所有の工場ではだめで、
全体的な一元管理の下に置く必要がある。
なので、「生産手段の個人所有の禁止」というルールが登場する。
本来の目的は過当競争をさけ、キチンと計画的な生産を行えば不況も恐慌もなくなり、
この世界はバラ色なんだヨ!という、マルクスの考えに基づく。
だが、これは「労働者階級による、工場設備の簒奪」という形になってしまった。
当然、ブルジョワジー、資本家の皆さんは、自分の資産を強奪されたあげくに
さんざん悪口まで言われて吊しあげられるのだから、たまったものではない。



共産主義ってのは本来
「科学的な経済理論に支えられた理想社会の実現」
が本題だったのだが、いつの間にか、
その手段である「生産手段を個人から取り上げる」
が焦点になってしまい、結局、それは階級闘争に変わってしまった。
というか、それを考えたマルクス&エンゲルスコンビがそうしてしまった。

まあ、20世紀初頭の資本家の皆さんは
ご覧のゼロ戦一家こと三菱財閥の総帥、岩崎さん邸宅のような豪邸住まいで
いい生活しまくりですから、憎まれてたんでしょうね。

もっとも「科学的」な部分はマルクスがあまりに長考
していてため(本人の生存中には半分も発表されてない)、
あっという間に現実に追い抜かれて骨抜きにされてしまった。
こうなると、残ったイデオロギーだけが暴走するから、
1920年代以降の共産主義は単なる一種の宗教だと考えてよい。

 

だが、マルクスの考えた
「管理された生産、管理された市場による、完璧な経済」が、
悪夢のような幻想でしかないことを、21世紀の我々は知っている。

経済は、現代科学をもってしても地震を防ぐ手段が無いのと
同じレベルで、制御不能なのだ。
いたずらに管理しようとして、戦後、幾つもの国家が経済的な破綻を経験した。
残念ながら、彼の理想は世に出る前から、既に古くなりつつあった。
ヘンリーがあっさりその理想を実現してしまうことも、
この話の冒頭で書いたとおりだ。

で、もう一つ、各種共産主義の大きな共通点がある。
「国家」という枠組みの否定だ。
労働者階級の共同体が全経済活動を管理し、
それらが世界的なネットワークで結ばれていれば
「地域ごとに人民を管理する国家の存在」なんてイラク、
否、いらん、というのがその考え方だ。

それだけならまだいいが、この幸せをみんなに分けてあげようと考えた(笑)。
考えちゃった。どうなるか?
現在ある国家を次々に転覆させ、どんどん人民共同体に巻き込んじゃおう!
と主張し、それどころか、その為には暴力も戦争も全然オッケー!とする。
実は、「国家を超えた生産組織」という考え方は、
後の国際巨大企業の出現を予言するような、
意外に正統な内容でもあるのだが、なぜか、その結論は
上記のようなむちゃくちゃでんがな、な方向に行ってしまう(笑)。
ソ連周辺の国は、そりゃ恐怖しますね。

で、ここまでが、前フリ。
実はナチス党は、この二番目の共産主義の特徴、
人民共同体の全世界暴力革命に対抗する、
というのを大きな主張の一つとしており、
これがナチスを「対共産主義のキリフダ」
と思わせてしまった大きな原因の一つとなる。

ナチスの主張の一つは「ドイツ民族って最高だと思うでゲルマン」である。
そこに
「そんな最高の民族による優秀な国家を造ってどんどん東(ロシアである)に行こう」
という点を加えれば、ほとんど後は言うことがない。
わかりやすいな(笑)。

で、この「単一民族による国家」というのは、民族主義、国粋主義的な思想、
と考えると半分しか正解ではない。
元もとの主張は、そういう意味だったろうが、1920年代後半(要するにナチ設立時)には、
「全世界の労働者諸君の団結」に対抗する、という意味もあった。

すなわち「ドイツは共産主義には組み込まれない」という事である。
「全世界の労働者」という枠組みではなく、あくまで「民族」を枠組みとした。
それは従来型の国家の保持をする、という宣言になっている。
資本家の皆さんにとって、それはとても力強い主張に見えた。
ポーランドなんてみんな覚えてないから(涙)、
「ソ連のすぐ横に、共産主義がヨーロッパに流入するのを防ぐ強大な壁が誕生した」
ように見えたろう。
アメリカの資本家は、歓喜した。

というわけで、今回はここまで。
次回から、実際のドイツにおけるアメリカ企業の活躍を見ていく…
はずだったが、もう一回だけ、脱線します(笑)

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