■大英帝国は生産された

フォード社は1903年の設立後、かなり好調に成長し、
さて、そろそろ新しいマーケットを考えようか、という時期が1910年代に入って到来する。
で、最初に白羽の矢が立ったのが、当然、ヨーロッパ。
最初はフランスに支店を作ったようだが、
最終的に生産拠点までを考えると、同じ英語圏、
文化的にも近いイギリス、ということになったのがだいたい1910年ごろらしい。
(後にフランスにも工場を造るが、これはドイツウハウハ編にてちょっと触れる)

まあ、当時のイギリスはカナダを含んでるから、もっとも仲良しな国でもあるわけで。
その結果、1911年、早くもフォード UK(United Kingdom、連合王国、つまりイギリス)
を設立、1913年からはマンチェスターの南、
トラッフォード パークに工場を建設し、本格的な現地生産をスタートさせた。
これは本国アメリカでベルトコンベアが導入された年だから、
まもなくイギリスにもこれを持ち込でいる。
これにより、イギリスに初めて「流れ作業による大量生産システム」が登場することになった。
もっとも流れ作業による生産性の向上、アセンブリーラインというアイデアは
イギリス産まれなので、それが海を渡って巨大化して帰ってきた、
という感じではある。

この時期、ロールス ロイスが設立されてまだ5年、というタイミングだから、
フォードは、イギリスにとっても最古参クラスの自動車メーカーということができる。
でもって、この1913年の段階で、早くもイギリス国内の自動車販売において
30%のシェア(1位)を確保、以後、フォード社は
イギリスの自動車産業をリードする存在となって行く。



ダックスフォードに展示されてたエンジン始動車。
上部、手前に突き出した物干し竿のような部分を、
プロペラスピナー前部の出っ張りに引っ掛け、
この車体のエンジン動力を使ってをまわし、
プロペラを回転させて機体のエンジンを始動させる。

スピットファイアはMk.IIの段階からエンジンスターターを装備したから、
ここ、ダックスフォードでは1940年ころまでは現役で使われてた可能性あり。
で、どうもこのボディとサスペンションからして、フォードT型のように見えるんですが…。
多分、第一次世界大戦の時に大量導入されて、
戦後あまったトラックタイプのTT型を流用してるんじゃないかなあ。


この1913年というタイミングが絶妙で、翌年に第一次世界大戦が始まった。
イギリス政府は、フォードの工場にも兵器生産を依頼する。
とりあえず、兵員輸送用にトラックタイプのフォードTT型を大量発注、
この機動力はイギリス、フランスにとって大きな武器となった。
このとき、フォードは工場から日産100台のペースでTT型を送り出して
イギリス軍部を驚かせ、同時に強烈な印象を残すのだ。

一方、純イギリス企業のロールス ロイスは
兵員輸送用の車両生産とかには駆り出されず、
航空機エンジンという、当時はさほど大量生産を必要としなかった製品に
その工場を振り向けられていた。
実はこの構図は、第二次世界大戦でも、そのまま再現される。

で、第一次世界大戦後、フォードは、再び自動車生産に戻ってゆく。
当時、イギリスでも自動車の需要はうなぎ登りとなり、
従来の工場が限界に達するのは時間の問題だった。
そこで、マンチェスター南部、トラッフォード パークにあった工場を閉鎖、
エセックスのダゲナムに移転させることになる。
だが、フォードは閉鎖したトラッフォード パークの土地を売却しなかった。
これが、後にイギリス航空省の目にとまることになる。

でもって、第二次世界大戦が開戦。さあ、本題だ。
毎度のことながら、前置きの長い話(笑)。


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