船の科学館に展示されていた、浦賀にやってきたペリー艦隊の模型。
これに日本はビビっちゃったわけですが、実は当時のアメリカ海軍としても、
かなり目一杯な構成で、ある意味ハッタリと言えなくもないんだそうな。

ちなみに旗艦のサスケハナ号は、忍者のサスケと花ちゃんの名前ではなく、
ネイティブアメリカン(アメリカインディアン)の言葉で広い川の意味らしいです。

余談ながら、最初にやってきたサスケハナ、ミシシッピともに南北戦争に北軍軍艦として参戦、
ミシシッピは1863年3月に座礁、その後、自沈しています。





■その1 関税について

もともと幕府が海岸防備を考えだしたのはアヘン戦争の結果が影響しています。
実際、香港総督のポーリングは、武力を背景に日本とも
英国に有利な「通商条約」を結ぶことを考えていました。

ところが、ペリーが日本に行って「和親」条約を結んでしまいます。
ポーリングは、この機に英国は日本との「通商」条約をと動くのですが、
クリミア戦争が始まって、「武力」を日本に割くことができなくなってしまいました。
さらに、ロシアの軍艦を追跡して英国艦隊が長崎に入港するのですが、
この際に半ば強引に、日本は「日英和親条約」を調印してしまいます。
内容は日米和親条約と同じで、ポーリングはこれに反対します
が、結局は箱館が利用できるということで、本国でも批准されました。

クリミア戦争が集結し、一息ついたと思っていると、
今度はアロー戦争が始まってしまいます。
この間にハリスが「日米修好通商条約」を締結します。
よく不平等条約といいますが、この条約は「不平等」であっても「不公平」ではないんです。
関税は日本有利に設定されています。
おそらく、ハリスは関税を低くすると英国商品が日本市場を席巻することを予測しており、
それを避けるために高い関税を提案したのでしょう。
アメリカの力がついてから、関税を下げれば良いのですから。

その後バタバタと通商条約が結ばれるわけですが、上記の理由
で英国の強欲政策は実現しませんでした。

幕府はこのあたりをハリスに感謝していたこともあり、
米国に軍艦の建造を依頼するのですが、南北戦争を理由に断れてしまいます。
その代わりにオランダに注文したのが開陽丸です。南北戦争が一息ついたこともあり、
結局米国は軍艦の注文を引き受けたのですが、例の馬関戦争の影響もあり、
リンカーンは引渡しを拒否しました。
最終的には解除されたのですが、幕府が注文した3隻ののうち、
結局引渡しされたのは富士山丸の一隻だけでした。
1000トンほどのスループですが、榎本脱走艦隊には加わらなかったため、
明治海軍の軍艦となりました。

日本有利だった関税率ですが、馬関戦争の賠償交渉の際に大幅
に引き下げられてしまいました。結果輸入品が増大して、
特に国産綿製品は大打撃を受けます。
が、このとき中小業者が壊滅したことが、
明治になって近代的な紡績工場を建設するさいの障害を少なくした一因でしょうね。


教科書では所謂「開国」はペリーの記述が大部分で、
現在の米国との関係から幕末も日米関係が重要だったような錯覚を起こ
してしまいますが、実際には日英貿易が70-80%と圧倒していました。
で、ハリスは当然それを予想していて、日米通商修好条約締結時に、
あえて輸入関税を高く設定しています。どうせ英国には勝てないから、
貿易量そのものを少なくし、米国の力がついた時点で
関税を改定しようと考えていたような気がします。

なので、日米通商修好条約は「不平等」条約と言われますが、
実際には日本有利な条約だったのです。
が、これも約5年後に税率が改定されます。
結果、イギリスの綿織物が大量に輸入され
日本の綿織物産業は大打撃を受けました。ちなみに、税率が改
訂されたのは、馬関戦争の責任を幕府が負うことになったからでした。





■その2 金銀の交換比率

金銀交換比率の差で金が大量流出したのは事実です。
また、金銀の等価交換を主張したのがハリスであることも事実です。

もともと日本の本位通貨は小判であり、一分銀は信用通貨に過ぎないですから、
等価交換を認めてはいけないのですが、
ハリスは銀を信用通貨とすることが信じられなかったようです。
なぜなら、そんなことをすれば欧米では偽造がまかりとおるから。

ところが当時の法律では偽金作りは重罪ですし、
さらに当時の幕府の捜査能力は非常に高いですから、
偽金はそんなに問題ありませんでした。
なお、幕府の捜査能力に関しては、幕末に来日した外国人は、みな感心しています。

それはともかく、実は当初の条約案では金銀の等価交換は含まれていましたが、
日本の通貨の海外持ち出しは禁止されていました。
従って、「海外流出」は防げるはずだったのですが、
何故か幕府の方から通貨持ち出しを許可することを申し出ています。
おそらく、幕府としてはそれとの引換に交換比率の訂正を
図りたかったのでしょうが、裏付ける証拠はないようです。
何故幕府が通貨持ち出しを認めたかに関する、納得の行く説明を
聞いたことがありません。正直、この部分は謎です。

一般には「ハリスが等価交換を押し付けたので金が海外に流出した」
となっていますが、ハリスは金銀交換比率の差で
儲けようと思っていたわけではないのです。
公使の給料じゃ、儲けもたかが知れていますしね。

不平等条約といえば、領事裁判権も問題とされていますが、
これも江戸時代は上手く機能していたのです。
代表的な例としては「アイヌ人骨盗掘事件」というのがあるのですが、
日本側が納得する判決が出ています。
領事裁判で外国人有利の判決が出るようになったのは、
実は明治になってからなのです。

また、外国人不利な条約の内容もありました。
外交官以外の外国人は日本国内の移動が制限されていました
(逆に日本人は海外で好きなところに行けた)。
幕末に日本の絹が大量に輸出されるのですが、
外国人商人は日本の現地価格が分かりません。
なので日本人の仲買が超高値で売りつけることが出来るわけ
で、これが物価高騰の原因になっています。

憶測に過ぎませんが、諸外国は江戸幕府に対しては
一定の尊敬を持っていたのに対し、明治政府に対しては
西欧のイミテーションとして軽く扱っていたのではないでしょうか。
でもって、明治政府は「これは全て幕府が不平等条約を結んだせいだ」
と説明した。それが現在も続いていると。


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