■1942年の空母の戦い



第二次世界大戦における海戦は、
ほとんど田舎侍の小競り合い、というレベルだった大西洋戦域を別にすると、
これは空母による決戦がその勝敗の鍵でありました。

海戦の本場、インド洋、太平洋においてはより強力な空母戦力がある方が強いしエライ、
という単純な図式がほぼ成立していたわけです。
(そして空母が無い場合は、大抵レーダーがある方が砲撃戦で勝つ)

そしてアメリカ軍の戦争計画より、かなり早い段階で迎えてしまった開戦直後だと、
日米の空母戦力はまだ互角であり、この結果、本格的な海上戦闘が始まった
1942年は壮絶な空母決戦の年となります。

ただし、両者の空母戦力が拮抗していたのは1943年前半までで、
それ以降はバケモノと言っていいエセックス級正規空母を大量生産してきた
アメリカの工業力によって一方的な戦力差が付いてしまうのです。
この結果、第二の空母決戦の年である1944年の戦いは戦闘と言うより、
アメリカ海軍による日本空母部隊の一方的な虐殺に近い状態になって行きます。

とはいえ、全世界で空母による艦隊決戦を行った経験があるのは日米両軍だけです。
(ついでにゴジラと地上戦、航空戦を展開したのものこの日米両軍だけ)
そして単純な戦力差ではなく、純粋に両者の戦略、戦術が勝敗を決した、といえる
正規空母同士の戦いは1942年の5月の珊瑚海海戦(Battle of coral sea)、
6月のミッドウェイ海戦(Battle of Midway)、8月の第二次ソロモン海戦(Battle of the Eastern Solomons)、
そして10月の南太平洋海戦(Battle of the Santa Cruz Islands)のみでした。

つまり人類60万3452年(夕撃旅団調べ)の歴史において、“まともな”
空母決戦はたった4回しか行われてません。
でもって、その割にはあまりキチンと調べられてないのがこの4つの海戦です。
(太平洋における海戦のほとんどがまともに調べられて無いとも思うが…)

特に、あ、沈んだわ、と誰でもわかる艦船系の損失などに比べ、
航空機の戦闘における戦果と損失をキチンと調べた資料は
日本でもアメリカでも、ほとんど無く、少なくとも私は見たことがありませぬ。
空母決戦に置いて重要なのは航空戦力の打撃力であり、
この破壊力と、それに対する防御が全てを決しているのに。

といっても、航空機の損失は両軍が戦闘後にまとめた被害報告を丹念に調べるしかなく、
これは大変…と思ってたんですが、ある日気がついてみると、
最初の二つの空母決戦、珊瑚海海戦とミッドウェイ海戦に関しては、
現状手に入る全ての資料が手元にありました(笑)。
あれま。
…ならばやらねばなりますまい。

具体的にはアメリカ側空母の戦闘報告書(Action report)と
海軍と海兵隊の各日付ごとの機体損失を記録した
事故調査報告書(USN/USMC accident investigation reports)
の各日付における機種別の損失表、
そして日本側の各空母で記録された戦闘詳報です。

どれも現場で戦った皆さんの報告に基づいて造られた公式報告書ですから、
これ以上の資料は、作戦参加者一人ひとりにインタビューするくらいしかない、
というもので80%レベルで信頼が置けると数字が出てると考えていいでしょう。
(日本の戦闘詳報は沈没後、生き残った担当者が証言をかき集めて記述したものが多く
微妙に怪しい部分があるのだが…)

ただし、日本側の戦闘詳報は例によって終戦時に燃やしまくった結果、
一部に欠損があったり、それに加えて書き手によって
極めていい加減な内容だったりするのですが、
そこら辺りは可能な限り二次資料で補うとします。

とりあえず人類最初の正規空母決戦の珊瑚海海戦と、
空母決戦の破壊力をまざまざと見せ付けたミッドウェイ海戦という
二つの空母決戦を航空戦力の点から見てゆきましょう。

ただし、その前に、幾つかの基礎知識が必要ですから、
今回は基礎知識編となります。


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