■戦う力が戦力ザマス

さて、今回からいよいよ珊瑚海海戦に入って行くわけですが、
前回見た日本側とアメリカ側の航空戦力比較に続いて、
艦船の戦力も比較しておきましょう。
まあ、実際に戦ったのはほとんど空母艦載機であり
後は空襲時の対空戦闘で少し参加した、という程度なんですけど、
せっかくなので紹介だけしておきます。

まずは日本側。
何度か書いているように、一体全体、何人がキチンと全体像を把握してたのか、
という位にややこしい部隊展開をしていた日本海軍の部隊の中で、
とりあず戦闘に巻き込まれたのは、二つだけでした。
ポートモレスビー攻略部隊に密着する形で護衛を務めたMO主隊と
日本側の主力打撃力、五航戦の空母2隻を中心としたMO機動部隊です。
(例の水上基地建設部隊である援護部隊は一瞬だけ登場するが戦闘はしない)

それぞれ、複数の部隊の寄せ集めなのですが、
補給艦など非戦闘艦を別にした両部隊の戦力を見て置きましょう。
まずはMO主隊から。

■MO主隊

●第六戦隊(重巡×4) 青葉 古鷹 加古 衣笠 
●第四航空戦隊(四航戦(改造空母×1) 
祥鳳
●第七駆逐艦隊(駆逐艦×1) 
漣(さざなみ)

この部隊の旗艦は青葉で、第六戦隊の後藤少将が指揮を執ってます。
(複数部隊の指揮を執ってるが専任ではないので司令長官ではない)
後藤さんが司令官で青葉が旗艦、というと、この後、
1942年(昭和17年)10月のサボ島沖海戦の「ワレ アオバ」の悲劇が
真っ先に思い浮かびますが(後藤少将も戦死)、
珊瑚海海戦時は祥鳳がタコ殴りにされた分、重巡に損害は無く終わってます。

ちなみにツラギ攻略部隊も彼の配下であり、この辺りは
南洋部隊司令部→MO主隊司令部→ツラギ攻略部隊司令部
というだいぶ冗長な指揮系統になってます。

ここに配属されていた祥鳳は、この年の1月に空母への改装が終わった後、
小型空母 龍驤と合わせて第四航空戦隊、四航戦を結成していたのですが、
それを無視して南洋部隊(第四艦隊)直属の空母として派遣されてます。
一、二、五の各航戦が常に2隻セットで運用されたのとはちょっと異なる部分です。

ちなみに祥鳳が誕生からわずか半年の珊瑚海海戦で沈んだ後、
四航戦は解隊になるのですが
残っていた龍驤もその直後に第二次ソロモン海戦で沈むことになり、
「四」航戦は縁起が良くなかったなあ、という印象があります。

ちなみにMO主隊は、なぜか駆逐艦が手薄だ、という変な特徴があり、
第七駆逐艦隊から単独で派遣されていた漣が一隻いただけでした。
ちなみに残りの第七駆逐艦隊はMO機動部隊に派遣されてます。
空母が居るから、対潜水艦はなんとかなると思ってたんでしょうかね。
(飛行機が潜水艦の最強の敵。南洋の明るい海なら潜航してても上から黒く見える)



このMO主隊には日本の重巡の始祖ともいえる古鷹型の2隻と、
ほぼ同じような構造を持つ青葉型の2隻の全4隻が参加していました。
戦艦で言ったら金剛型の4隻みたいな存在ですね。
ちなみに海戦の途中で古鷹と衣笠はMO機動部隊へ移管される事になります。

でもって、これらの巡洋艦にはご覧のようにゲタばき、フロート付の水上機が搭載されており、
これをクレーンのようなカタパルトから火薬の力で強引に打ち出して(笑)発進させ、
戻ってきたら着水後にクレーン(デリック)で回収(二機の機体の後ろに見えてるやつ)するようになってました。

この巡洋艦の索敵機が、空母搭載の索敵機よりはるかに重要な活動を行った、
というのが珊瑚海海戦の特徴の一つかもしれません。
歴史の長い艦なので、そこら辺りもベテランが乗っていた可能性もあります。

ちょっと余談。
写真の古鷹の模型は例の船の科学館にあったものの一つですが、
よく見ると艦尾のところに木製の板が積まれてます。
手前右の青葉の艦尾にもありますね。
よくこんなものまで再現したなあ…という感じですが、これは非常時用の舵で、
応急舵、流し舵と呼ばれたもの。
大戦中の多くの日本軍艦によく見られます。

これは魚雷などで舵がやられてしまった場合、これを3本の索(ワイア)に繋いで
艦後部から25mの位置まで流し、そのまま曳航して使います。
操舵用の左右の索が、この舵を頂点に三角形を造るようにし、
真ん中にもう一本、曳航用の索で繋ぎ、水中で直立するようにして引っ張りながら、
操舵用の左右の索を引いて、これを操ります。
といっても、さすがに限度はあり、あくまで非常用で9ノット以上の速度では使用不可でした。

さて、お次は空母機動部隊を。

■MO機動部隊

重巡艦隊

●第五戦隊(重巡×2) 
妙高、羽黒
●第七駆逐艦隊(駆逐艦×2) 潮(うしお)、曙(あけぼの)

空母艦隊

●第五航空戦隊(五航戦)(正規空母×2) 
瑞鶴、翔鶴
●第二十七駆逐艦隊(駆逐艦×4) 時雨(しぐれ)、夕暮、有明、白露(しらつゆ)

こちらは大きく重巡艦隊と空母艦隊に分かれてるんですが、
空母も重巡も戦隊番号が第五なので、ちょっと注意が要ります。
とりあえず重巡艦隊が第五戦隊の重巡二隻と第七駆逐艦隊の駆逐艦二隻、
空母艦隊が五航戦の正規空母二隻に第二十七駆逐艦隊の駆逐艦四隻。

こちらの指揮を執っていたのが何度か書いてるように
重巡部隊の高木少将で旗艦は妙高でした。
対して、空母艦隊も一定の自由裁量の指揮権を得ていたのは先に書いた通りで、
こちらの原少将は瑞鶴を旗艦にしてました。
ちなみに高木少将は、後に南雲指令長官と共に、
サイパンに送り込まれ、玉砕に追い込まれています。

軍令部や連合艦隊司令部のお偉いさんは、なんら責任を問われてないのに、
こういった現場責任者を死に追いやる、ってのを
平気でやるんですよね、日本海軍。

さて、最後はアメリカ側の戦力を。
こちらは基本的には一つの部隊として行動してたので、話は簡単です。

とりあえずフレッチャー率いる空母USSヨークタウンを中心とした第17機動部隊(TF17)、
空母USSレキシントンを中心とした第11機動部隊(TF11)、
そしてアメリカとオーストラリアの巡洋艦&駆逐艦による合同艦隊、
第44機動部隊(TF44)の三つからなり、これらが5月5日に合同した後は
全て第17機動部隊に統合され、その中で全く別の機動“班”(Task Group/TG)に再編成されます。

例えば空母は2隻でまとめられて、そこに4隻の駆逐艦が配属され、
第17機動部隊の第17.5機動班(TG17.5)になり、
旧TF-44を基幹とする艦隊はTG17.3と呼ばれてました。

ここでは最初の配属、独立した機動部隊だったTF時の編成で見ておきます。

■第17機動部隊(TF17)

●正規空母×1 USSヨークタウン(Yorktown)

 ●重巡洋艦×3 USSアストリア(Astoria)、USSポートランド(Portland) 
USSチェスター(Chester)

●駆逐艦×6 USSモーリス(Morris), USSアンダーソン(Anderson)
USSハムマン(Hammann), USSラッセル(Russell), USSシムス(Sims),USSウォーク(Walke)

■第11機動部隊(TF11)

●正規空母×1 USSレキシントン(Lexington)
●重巡洋艦×2  USSミネアポリス(Minneapolis), USSニューオリンズ(New Orleans)
●駆逐艦×6  USSフェルプス(Phelps), USSエイウィン(Aylwin),
USSモネハン(Monaghan), USSウォ−デン(Worden), USSデュウィー(Dewey)
USSファラガット(Farragut)

■第44機動部隊(TF44)

●重巡洋艦×2 USSシカゴ(Chicago), HMAS オーストラリア(Australia)

●軽巡洋艦×1 HMAS ホバート(Hobart)

●駆逐艦×1 USSパーキンス(Perkins)

**TF44で名前にHMASが付く2隻はオーストラリア海軍の艦だがアメリカ指揮下に入っていた。


で、何度も述べてますが、こちらの指揮系統は単純明快、
空母機動部隊のボス、フレッチャーが一人で全部の指揮を一括して執ってます。
当然、旗艦はUSSヨークタウン。
ただし、後で見るように、7日朝に巡洋艦部隊TG17.3を分離して別行動にした後、
そちらは別の指揮官が指揮を執るのですが、それでも日本に比べ、
単純明快で、わかりやすいです。

とりあえず、空母以外の艦艇の数を比べると、

重巡 連合軍:5隻 日本:6隻
軽巡 連合軍:1隻 日本:なし
駆逐艦 連合軍:13隻 日本:7隻


という感じで、巡洋艦でほぼ互角、駆逐艦ではアメリカが圧倒、という感じになってます。
まあ、どっちにしろ、海戦の行方には何の影響も及ぼさないのですが(涙)。
といった感じで、いよいよ珊瑚海海戦を見てゆきますよ。


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