■戦いの始まり

さて、ようやくX-6日、5月4日がやって来たわけですが
珊瑚海海戦当日の二日間を別にすれば、
もっとも派手にいろいろな事がおきたのがこの日でした。

予想外と言っていいアメリカ側の強烈な先制攻撃、そして、
日本側の反撃の失敗と迷走が、この日の全てでした。
とりあえず順番に追いかけてみます。

この日はガダルカナル島の南側、
アメリカ空母機動部隊の動きから見てゆきましょう。
先手を取ったのはこの部隊であり、
先手を取った、ということはこの日の戦場を支配したのは彼らだからです。

ちなみに空母USSヨークタウンを中心としたTF17の行動については、
5月11日にフレッチャーからニミッツに対して提出された報告書
Attack made by Yorktown Air Group on Enemy Forces
in TULAGI and GAVUTU HARBORS.
を参照にしています。



とりあえずフレッチャー率いる空母USSヨークタウンを中心としたTF-17は、
4日の朝7時1分(現地時間 以下同)の段階で、ガダルカナル島南岸に迫り、
南緯11度10分、東経 158度 49分、ツラギの南西約300qの位置から
最初のツラギ空襲部隊を発進させます。

アメリカ側の報告書を見ると、ガダルカナル南岸付近には前線があり、
強風だわ、スコールはあるわで視界は悪く、さらにツラギ側に抜けても高度1000mまで雲が多く、
航空作戦には散々な日だった、といった事が書かれています。
(ただし日本側の戦史叢書には、この日の天気は晴れそうだった、とあるだけなので、
ガダルカナル北側は前線の影響が少なかった可能性がある)

だったら無理して強襲しなくても…と思ってしまうのですが、これをやるのが
フレッチャーで(笑)、この中で攻撃部隊を発進させているのです。
ちなみに、この作戦、どう見積もっても無謀で意味が無くほめられたものではないでしょう。
日本側の機動部隊がまだ無傷で周辺海域に居るのがわかってるのに、
わざわざ艦載機の損失を招くような作戦をやる意味はあまりないはずです。

そもそもツラギに陸上航空基地が無いのは連中も知っていたはずで、
水上機による索敵範囲の広がりは脅威ですが、
その脅威の度合いは致命的なものではないでしょう。
少なくとも空母の命である航空打撃力を損耗させてまでやる事ではありませぬ。

フレッチャーという人はこういった面があるのですが、
それでも常にピンチを切り抜けてしまう、という不思議な運を持った指揮官でもありました。
ナポレオンが指摘してるように、戦争指揮官にとって運は重要で、
その意味では、フレッチャーは歴史に名を残す資格があります。
(ただしナポレオン同様、最後にすべての運を払い戻させられ重傷を負うわけだが)
そんな無謀を絵に描いたような男に常にギャフンと言わされていた
日本海軍もまあ、アレですけども。

ちなみに、この時の空母航空隊の発進距離、約300qはかなり至近距離と言ってよく
(少なくとも日本側の空母機動部隊では距離240海里(約445q)が標準だった)
荒天中を飛行する機体の負担を減らすため、
可能な限り目的地に近づいての発進だったのかもしれません。

そんな状況でも、とにかく常に全力のフレッチャーですから、最初から飛ばしてまして、
第一波の攻撃で12機の雷撃機(VT)と
13機の索敵爆撃部隊(VS)、15機の急降下爆撃機(VB)を全機発進させてしまいます。
はい、前のページの表を見るとわると思いますが、
これ、手持ちの攻撃機、全部です。

最初に書いたように、この時期のアメリカの雷撃機は
とっくに生産中止となって残機は手持ち分のみ、というTBDデヴィステイターですから、
ここで大損害を出してしまうと、今後の作戦は完全にお手上げです。
無茶するなあ、という感じですが、これがフレッチャーなのです。

ちなみに日本の上陸地点に航空援護はない、と彼は知っていたようで
(ガダルカナル島にオーストラリア軍の一部が残って監視してた?)
この攻撃隊に戦闘機の援護はつけておらず、
自分の艦隊の護衛用に6機の戦闘機を発進させただけでした。

で、現地時間10時には攻撃隊は帰ってくるのですが、さすがフレッチャー(笑)、
この部隊に再武装させると、11時34分から再出撃させてます。
(機数は減ってる。VS13機、VB14機、VT 11機)

ところが日本側はツラギの水上機基地用にゲタ履きの水上機ながら、
武装を持った水偵(機種不明)を送り込んでいたため、
これが第二波の攻撃隊に対して、微力ながら反撃を加えてきます。
驚いたフレッチャーは13時40分に4機のF4F-3をツラギに向かわせ、
その後、14時30分から第三波となる最後の攻撃隊、12機の索敵爆撃機(VS)と
9基の艦爆(VB)を発進させています。

結局、三波に渡って延べで100機近い攻撃隊を送り出しており、
これはほとんど正規空母どうしの艦隊決戦に近いものです。

最終的にフレッチャーは18時ごろまでに全作戦を終了させると
(つまり朝から夕方まで、やりたい放題だった、という事だ)
23ノットの高速航行で南東方向に脱出してしまいます。

が、その割には戦果は意外に乏しく、日本側の損害は数隻の機雷掃海艇と
駆逐艦 菊月が沈没したものの、後はせいぜい小破といった被害で、
本来なら艦隊が全滅しても不思議は無い規模の
攻撃のわりには意外に軽微な損害に終わってます。

ちなみに戦史叢書には“アメリカ側資料によると”菊月に命中したのは
500ポンド爆弾とされてますが、アメリカの報告書を見る限り、
そんな記述はどこにも無く、この日使われたのは
全て1000ポンド爆弾だったとされてます。
これもモリソン戦史を鵜呑みにしたんじゃないかなあ…。

その変わり、USSヨークタウン側の損害も軽微で、
損失は戦闘機のF-4Fが2機と、雷撃機のTBDが1機の計3機だけで、
他に8機が軽い損傷を受けたのみでした。
ちなみに戦闘機2機はガダルカナルの南に抜けてからの不時着で、
パイロットは全て救助されてます。
その戦闘機の損失は駆逐艦からの対空砲による、とされてますが、
雷撃機の損失原因は詳細不明。

ついでに他の損傷の内容は1機はエンジンのシリンダーが
一本ダメになったのが最大で、あとは軽微だったようです。

さらに言うなら、アメリカ側の攻撃機は艦艇攻撃にばかり注意が行き、
地上施設をほとんど攻撃しなかったようで、報告書には艦船攻撃の件ばかり出てきます。
このためツラギの水上機基地は意外にあっさりとこの後完成してしまい、
少なくとも6日から、珊瑚海一帯の哨戒活動に入るのです。
(もともとオーストラリア軍が残していった施設があったのでそれを利用した)

すなわちこの空襲、全体的に失敗じゃないかなあ、という結果だったわけで、
しかもそれまで日本側が気づていなかったアメリカ空母の存在を
暴露してしまう結果となりました。
やはり、あまり褒められたもんじゃ無い気がしますね。

さて、ここで再度、同じ地図を掲載。



この間、南に居たUSSレキシントンのTF11もさすがに補給を終えており、
その後、USSヨークタウンとの合流をもくろんで西に向かってました。
ところがアメリカ空母機動部隊は3日の段階で完全に無線封鎖していたため、
フレッチャー率いるTF17が予定を変更して北上、
ツラギ空襲に向かったと知らなかったのです。

なので、合流地点に行ってみたら、補給艦のUSSネオショーと、
その護衛、駆逐艦のUSSシムスしかおらず、驚くことになります(笑)。
ここで初めて新たな合流地点が知らされたため、慌てて反転することに。
さらにその途中で、オーストラリア海軍とアメリカ海軍混成の巡洋艦と駆逐艦の艦隊、
第44機動部隊(TF44)と合流します。
上の図でまっすぐに東に向かわず、一度南東に向かってるのは、
このTF44との合流のためです。

でもって、USSヨークタウンンによるツラギ空襲は
以前に書いたように、アメリカ空母なんて出て来ないんじゃないの、程度
甘い考えだった日本側に、ちょっとした混乱を引き起こします。

まず、ソロモン諸島の南岸側にいて北上中だった護衛部隊、
MO主隊は4日朝にツラギ空襲の報を受け、
祥鳳を伴って急遽反転、再度南東方向のツラギに近海を目指します。
この間、戦史叢書によると祥鳳から索敵機が飛んだ、となってますが、
祥鳳の戦闘詳報にはそのような記述はありません。
が、ここは普通に考えて、出していたと見るべきだと思います。
でないと、艦隊がいきなり敵の機動部隊から空襲を受ける恐れがあるのです。

が、結局600q以上先行して逃げてる敵を追いかけたところで、
これに追いつける見込みはなく、
夜11時(日本時間9時)の段階で追跡を諦め、再度反転、北東に向かいます。
実際、この段階ではヨークタウンははるか南東に逃走済みで、
どう考えても燃料の無駄、という状態になっていたのでした。

ここでもう一回、同じ地図を。



が、さらに問題だったのが正規空母2隻を抱えていたMO機動部隊で、
こちらは4日朝、ブーゲンビル島北東沖で燃料補給中にツラギ空襲の報を受けます。
午前7時(現地時間)ごろ補給艦の東邦丸と合流、補給を開始するのですが8時42分に
ツラギ空襲の報を受けた結果、補給を中断し9時20分には反転、南東に向かって出航します。

なんで反転?というと、どうも本気で再度北上して
ラバウルにゼロ戦を空輸するつもりだったらしく、
燃料補給は北上しながら行っていたためでした。
よって、この分、さらに余計な距離を浪費しています。

が、ツラギが空襲された、すなわち敵の空母機動部隊が現れた、となると
さすがにノンキなことを言ってられず、ゼロ戦の空輸は中止して
急きょ反転、ソロモン諸島を南東方向から回り込んでそれを追いかける事になるのです。

が、すでに丸1日以上、無意味に浪費していたMO機動部隊が、
全力で南東に向かったところで追いつけるはずがなく、
こちらも全く打つ手がないままでした。

ちなみに、もしラバウル空輸による無駄な一日以上の浪費が無かった場合、
4日の朝の段階で予想される到達地点が×印の場所でした。
実はこれでも当初の予定より遅れてるのですが(涙)、
それでも4日の朝の段階でこの地点に居たら、
ツラギ空襲の報を受けた瞬間、すぐさま反撃に出れました。
ツラギの部隊からガダルカナル島の裏側から敵機が飛んできた、
という報告は受けてるのですから、索敵は即座に終わった可能性が高いのです。

となれば2対1の圧倒的に有利な状況、
しかもUSSヨークタウンはツラギ空襲でドタバタしてるところですから、
それこそミッドウェイの逆で、日本側がこれを奇襲できた可能性が高いのです。
索敵による発見さえ失敗しなければ、間違いなく、日本側の圧勝で終わったでしょう。
唯一の問題は例の天候で、スコールの雲の中に隠れてると
見つけられない可能性が高いですが、ここらあたりは最後は運でしょうね。

が、いずれにせよ、日本にとってこの作戦中、最大最高のチャンスは、
信じられないような時間の浪費によって逃げ去ってしまったのです。
ここでアメリカ側の空母を1隻沈めて置けば、歴史は大きく変わってたはずなんですが…。

一方で、この日ラバウルから出港予定だったポートモレスビー攻略部隊は
予定通り、午後には出航しています。
これはアメリカ機動部隊まで、かなり距離があり、
さすがにこれが北上はして来ないだろう、という予測、
そして攻略部隊が南下するまでにはMO機動部隊が何とかしてくれるだろう、
という楽観からの行動だと思われます。

とりあえず、このポートモレスビー攻略部隊の出航をもって、
全ての部隊がこの戦域に登場したことになりました。

といったところが、4日の動きですね。


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