■次々と役者が舞台に上がる日々

さて、お次は4月30日。
X日から10日前のこの日から日本側の動きが本格化し始めます。

■4月30日


まずツラギに上陸してこれを占領、さらに水上機基地を建設する部隊、
すなわちツラギ攻略部隊が2隻の輸送艦に乗って南のラバウルから出航します。
先にも書いたように、ツラギまでならまだアメリカの勢力圏外と思われていたので、
護衛についたのは菊月、夕月の2隻の駆逐艦と、第1号&2号掃海特務艇だけでした。
余談ながら掃海特務艇は、漁船用の船体の設計を流用した
戦時急造の機雷掃海艇で、今回の記事を書くのに調べていて初めて
あれが実戦投入されていたのか…と知りました。
そのほかには機雷施設艦の沖島が補給品の輸送用に配備されています。

一方、北のトラック泊地からはポートモレスビー上陸部隊に
近接して護衛する艦隊、MO主隊が出航します。
これは4隻の重巡洋艦からなる第六戦隊(古鷹、加古、青葉、衣笠)と、
改造空母 祥鳳などによる、それなりに強力な部隊でした。
この艦隊はあくまで、ポートモレスビー上陸部隊の護衛用で、
ツラギ上陸部隊に関しては、基本的に護衛対象とはしてません。
最後の上陸時に祥鳳から上空援護の機体を飛ばしてはいますけども。

で、そのポートモレスビー攻略部隊はツラギ攻略部隊より4日遅れ、
5月4日にラバウルを出航予定だったので、
この段階で護衛艦隊がトラック泊地を出ておけば、十分間に合うわけです。
もっとも普通に考えると、両者一緒にラバウルを出た方が良い気がしますが、
ラバウルの湾内に、これだけ多くの艦は停泊できなかったのと、
補給の問題があって、おそらくトラックからの出撃を選んだのだと思われます。

でもってこの日、2日前にトラックを出航した水上機母艦と
軽巡洋艦からなる援護部隊が
アメリカ陸軍の哨戒機に、早くも発見されたようです。

が、連合軍側の情報網も、日本並みに悪くて(笑)、
陸軍が得た情報は侵略目標であるツラギ駐留のオーストラリア部隊にも、
さらにはアメリカ海軍の機動部隊にも伝えられた様子がありませぬ。
この連合国側の情報の錯誤も、あとあとまで続きます。

といった辺りが4月30日の動きですね。


■5月1日
 

さて、お次は5月1日。
この日で、珊瑚海海戦の日米の主役、両機動部隊が、
お互いそうとは知らずに戦域に登場する事になります。
といっても、まだ両機動部隊は北海道と九州以上の距離、
軽く2500q以上離れており、その出現には両者とも全く気がついてませんけども。

まず、北側のトラック泊地から、日本の空母機動部隊、MO機動部隊が出航します。
主な戦力は五航戦の正規空母、翔鶴と瑞鶴で、それの護衛として
巡洋艦艦隊である第五戦隊(羽黒、妙高)がこれに付き、
さらに第7駆逐艦隊、第27駆逐艦隊が加わっていました。
(ちなみにこの第五戦隊もドゥーリトル空襲後、独自に追撃に参加してたのだが、
巡洋艦だけで何をやる気だったのだろう…)

ただし、ややこしい事に翔鶴、瑞鶴を擁する五航戦司令官の原少将より、
第五戦隊の司令官高木少将の方が先任(着任時期が早い)だったため、
このMO機動部隊全体の指揮官は、巡洋艦隊の高木少将が執る、
という妙な状況になってしまいます。

が、それは無理がある、という事で航空戦闘に関しては
原少将の独断で動いていい、という話し合いが付いていたらしいのです。
ただ、どうもこの両艦隊の意思疎通はうまくいっていたとは思えない部分があり、
後に作戦中、別行動が目立つようになってます。

ちなみに5月1日から3日ごろこかけ、トラック南方からビスマルク諸島にかけて
天候が荒れており、この日の夕方に発艦した索敵&対潜直衛機は
任務終了後、母艦まで帰還不能となってしまいました。
このため、艦攻2機、艦爆1機が付近の島に不時着、
この3機は回収不能となって、そのまま作戦が続けられる事になります。
(全て瑞鶴の機体だと思われるが確認できず)
すなわち、それだけ戦力が減ってしまったわけで、幸先は良くないですね。

また、同日に第四艦隊(南洋部隊)司令部が、作戦全体の指揮を執るため、
トラックからラバウルに向かって出航しました。
1000q近い距離を隔てて展開する作戦ですから、
陸上戦と違って第一戦に近いところに司令部が出る、といっても限界があり、
どうもこの移動は、無線状態がよくなるように現場に近づいた、
といった意味合いが強いように思います。

ちなみに司令部艦隊といっても、前にも書いたように旗艦は
非武装の練習艦、鹿島ですから、戦力は無いに等しいものです。
とりあえず、第四艦隊で手に入る艦の中で、もっとも無線の設備がいい、
という理由で、この艦が旗艦を務めていたみたいですね。

ちょっと余談。
すでに何度か書いてるように、グアム、ウェーク島から南下して、
ラバウルを始めとするこの一帯の制圧を
担当していたのが海軍の南洋部隊でした。
その中核を担っていたのが、鹿島を旗艦とする第四艦隊で、
このため、その司令部が南洋部隊の司令部を事実上兼任しています。

南洋部隊そのものは、他にもいくつかの部隊を併合し、
さらに随時、各種応援部隊を取り込んで構成されているので、
南洋部隊=第四艦隊とは言えないのですが、
その司令部に限っていえば両者は事実上、同じものと思って問題ないと思われます。
余談終わり。

ここで同じ地図をもう一度。



一方、アメリカ側の空母部隊もこの日、ついに戦域に登場します。
すでに珊瑚海に入っていて、フィジーの南東、トンガで補給中だった
USSヨークタウンの第17機動部隊(TF17)と
東からこの海域を目指していたUSSレキシントンの第11機動部隊(TF11)が、 
5月1日の朝に、珊瑚海東、ニューカレドニア沖で合流したのです。

が、両空母とも燃料補給が必要な状態で、合流直後から燃料タンカーからの給油を始めます。
このため、補給中を襲われて全滅するのを避けるため、
(補給を受けるため低速運転中は、以前書いた理由により艦載機の離着艦はできない)
両艦は100海里(約185q)近い距離をとって、それぞれ補給を開始する事になります。

お互い、完全に視界の外に去ってそれぞれ補給、という事です。
この間、両者は存在を知られないように無線封鎖していたはずで、
どうやって意思の疎通を図っていたのか謎なんですが、
駆逐艦とかが伝令になってやり取りを仲介したんでしょうかね。
空母航空機は上で書いたように使えないので、
あるいは護衛の巡洋艦の水上機を飛ばしたか、
短距離しか飛ばないVHF波長の無線でも使ったのかなあ。

で、この補給はかなりの時間がかかっており、5月1日中には終わらず、
2日になるまで、両艦はこの一帯で補給を続けます。
アメリカ側の航跡図を見ると、1日から2日かけて、両空母が
アリが這い回ったようなヘンテコな動きをしてるのはこのためです。
(補給でも停船せず低速移動しながら行う。機関を一度止めてしまうと再起動は大変なのだ)
面倒……否、そこまで正確に再現しても意味がないので、
上の図ではその辺りは省略しております。

といった辺りまでが、5月1日の動きですね。


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