■MO作戦スタート

さて、話を戻しましょう。
前回までは珊瑚海海戦を引き起こしたMO作戦の内容について見ておきました。
今回は、実際のMO作戦の展開と、それに対するアメリカ海軍の行動を確認しませう。
そのグランドフィナーレとして、珊瑚海海戦が発生する事になります。

最初に確認しておくと、MO作戦は

●ニューギニア島南岸のポートモレスビーを攻略すること。
その上陸開始(X日)は5月10日とすること


という作戦でした。
さらに珊瑚海海域の哨戒任務のため、
ツラギ、デボイネに水上機基地を先に作るのじゃ、
といった細々とした各種作戦が追加されて行ったわけです。

対するアメリカは、

●日本海軍のポートモレスビー侵攻を防ぐこと

という目的で出動し、両者がそれぞれの目的のため、
空母機動部隊同士で衝突することになります。

すなわち両軍の空母艦隊決戦は、上の戦略のための手段であり、
その撃破が目的ではありませぬ。
この点は、注意してください。
空母が全部沈もうが、財布を落として無一文になろうが、
とにかく上に書いた戦略目的を達成したほうが、この戦いでは勝ちです。
そこから先は次の作戦の問題となります。

その目的のため、日本側は第四艦隊を中心とした南洋部隊、
そして一時的にその配下に入った空母機動部隊(MO機動部隊)が
中心になって戦う事になります。

対してアメリカ側はUSSホーネットを中心とした第17機動部隊(TF17)、
USSレキシントンを中心とする第11機動部隊(TF11)、
そこにアメリカとオーストラリアの巡洋艦と駆逐艦による
合同の第44機動部隊(TF44)が加わった陣容でした。

とりあえず日本側は、作戦参加の各部隊に対し、
現地の南洋部隊司令部から、1942年(昭和17年)4月23日づけて
作戦命令が出され、ここから作戦が動き出す事になります。

ただし厳密には、南洋部隊司令部からの全体的な指令を受けた上で、
前回見た各部署ごとに、その司令官からより詳細な命令が出されます。
(複数の艦が共に行動するとき、全艦長の上に置かれるのが艦隊/戦隊の司令官。
その司令官を複数配下に置いて、指揮を執るのが司令長官。
ただし複数の司令官の中で先任(着任が最も早い)司令官が全体の指揮をとる場合、
つまり専任の司令長官では無い場合(直接指揮する艦隊、戦隊を持つ)、
単に指揮官と呼ばれてるようだ)

で、ほとんどの部隊では、すでに準備されていた命令を同日中に出してるようですが、
空母機動部隊(MO機動部隊)の場合、これがやや遅れました。

当初予定されていたオーストラリア本土の基地空襲に反対したためですが、
前回見たように、その後命令から取り消されました。
よって4月28日になってから改めてMO機動部隊司令官によって
部隊内に対する最終命令が出され、これで全部隊に命令が出された事になります。

これらの命令の内、どれが無電で送られたものかはっきりしませんが、
アメリカ側は無電傍受と暗号解読で4月27日までに作戦の内容を大筋で掴んでました。
日本側が5月10日ごろまでにポートモレスビー攻略を目指し、ツラギを襲撃後、
2隻の正規空母の機動部隊を伴って南下してくる、というのは知っていたのです。
ただし改造空母 祥鳳の存在を知らず、
もう一隻正規空母がいるらしい、とだけ把握してた。

よって、これを迎え撃つべく、4月29日に全空母機動部隊(繰り返すが全部だ)
に対して、珊瑚海海域への出撃命令が下されるのです。
結局、何度も書いてるように、間に合うのは
USSヨークタウンと、USSレキシントンだけなんですが。
ただし、日本海軍の進撃ルートまではわからず、
とりあえずポートモレスビーの手前の海域で待ち構える、という事になります。

余談ですが、無線傍受だけなら日本側もやってまして
アメリカ陸軍の索敵機が護衛部隊のMO主隊を発見した時など、
それによって、あ、見つかったわ、と気が付いたようです。
が、暗号解読が伴わない以上、読み取れるのは平文のみで
その情報収集能力には限界があったのでした。
ただし、アメリカ側も傍受されてたのは知っており、
ここら辺り、平文で打たれた中には欺瞞電文もあったような気がしますが、
今となっては詳細はわかりませぬ。

でもって計画では約2週間、実際には1週間にわたって展開された
MO作戦は、大きく三つの時期に分類できます。

■第一段階 
4月28〜5月1日にかけて、日本が作戦を開始、
各部隊が最初の目的地、ツラギ攻略を目指して動き出し、
やや遅れてアメリカ空母機動部隊が珊瑚海に到着するまで。

この時、アメリカ側は日本の戦力も作戦も大筋で知っていたのに対し
日本側は情報がなくアメリカ側の空母は居ないか、せいぜい1隻出てくるだけと思っていた。
(南洋部隊司令部の命令文(居ない説)とMO機動部隊命令文(一隻説)による)
ただし、当初はアメリカ側でも日本の各部隊の位置は全く把握していない。
特に翔鶴、瑞鶴の空母機動部隊は最後の最後まで位置が掴めなかった。
ただし日本側もアメリカが2隻の空母を中心とした艦隊を派遣したとは
全く知らないままだった。

…ここら辺りの日本側の情報不足と見くびり、
どうせアメリカ空母は本気で出てこない、
という根拠の無い推測などについては、全く同じ内容のまま、
ミッドウェイ海戦でも繰り返されます。
珊瑚海の時は運もあって、それでもなんとかなったのですが、
さすがに二度目のミッドウェイでは高い代償を支払うことになるわけです。

■第二段階
5月2日深夜から3日朝にかけて日本の攻略部隊がツラギに上陸を開始、
水上機基地の建設を始める。
(ただし間一髪でオーストラリア部隊は撤収しており戦闘にはならず)
そういう作戦なのだから当然だが、先に動いたのは日本で、
当然、先に部隊の位置を知られたのも日本となる。

これを知ったアメリカ側は4日朝にUSSヨークタウンが単独でツラギに空襲を仕掛け、
この段階で日本側もアメリカ空母機動部隊が付近の海域に居ることを知る。

この後、全部隊が警戒態勢に入るが、ラバウルへのゼロ戦輸送で
丸1日以上の時間を浪費していた日本側の空母機動部隊は、
作戦海域からはるかに離れた地点におり、何の役にも立たなかった。
この海域における強力な航空戦力は、両軍とも空母のみなのに。

この5月4日朝の段階から索敵が本格化するが、両軍とも発見に手間取り
とにかく相手を捜し求める状態が6日まで続く。
このように両軍空母機動部隊がその接近に気がついて、
互いに捜し求めていたのが、第二段階。

■第三段階
5月7日、ようやく両空母機動部隊が敵を発見するが、
当初、日米両軍とも、別の艦隊を敵空母の主力機動部隊と誤認、
これに全力攻撃を行ってしまう。

ただし日本側が攻撃したのはなぜか燃料輸送タンカーと駆逐艦で、
対するアメリカが襲ったのは、単独投入されていた改造空母 祥鳳なので、
勘違いのレベルでは、日本側の完敗だが…。
この結果、アメリカ正規空母2隻から全力空襲され(涙)祥鳳は撃沈されることになる。

ここら辺り、人類初の空母決戦ならではの錯誤かもしれない。
で、とりあえず、この勘違い攻撃をもって珊瑚海海戦は開始となり、
やがて双方の主力空母のぶつかり合いへと発展して行く。


では、とりあえず実際に作戦が動き出した4月28日からの両軍の動きを
時系列にそって追いかけてみましょうか。


■4月28&29日
 

全部隊の中で最初に動いたのは日本側の援護部隊と呼ばれた艦隊です。
これは神川丸など水上機母艦を中心にした部隊で、
作戦開始12日前(X-12日)である4月28日に
北のトラック諸島泊地から出航、戦域を目指しています。
南洋部隊ではウェーク島以来おなじみの第18戦隊の軽巡洋艦、天竜、龍田も、
この援護部隊に入っていたようです。

この部隊の任務は、主に搭載水上機による水上機基地建設部隊の援護と
ツラギ、そしてデボイネといった基地に配備される水上機の輸送でした。
ちなみにこの部隊は直接ツラギやデボイネには入らず、
途中の海域で水上機を発進させ、現地に向かわせてました。
天竜、龍田はその護衛、といった役割だったと思われます。

ツラギあたりまでなら、まだアメリカ海軍の勢力圏ではなく、
オーストラリアやポートモレスビーから陸軍機も
簡単には飛んでこれる距離ではないため、
これらで十分援護が務まる、と思われていたようです。
ちなみに水上機による援護は対空援護というよりは、対潜援護が主で、
空中からなら発見しやすい(日中なら上から見ると水の中で船体が黒く見える)
潜水艦の警戒に飛ばしたのだと思われます。

ちなみに、ほとんど無視されてる事が多いですが(笑)、
この対潜水艦警戒は艦隊水上機の重要な任務の一つです。
が、どういうわけか昭和19年以降の日本海軍はこれを怠ってる事が多く、
臨戦態勢で臨んでいるはずの艦隊の軍艦が
搭載されてる水上機を対潜哨戒のために飛ばさないまま行動してます。
この結果、パカスカとアメリカ側の潜水艦に沈められて行く一因になるのです。
 
ちなみにツラギ占領後には4発エンジンの九七式飛行艇(大艇)と
単発エンジンの水偵が両方持ち込まれる予定でした。
対してデボイネには単発の水偵のみが持ち込まれる計画だったらしいのですが、
実際にどういった機体配備になったのかはよくわからず。

見づらくなったので、ここで同じ地図をもう一度載せますよ。



で、次に出航したのが哨戒隊でした。
こちらはより南で戦域に近いラバウルから、翌29日に出航してます。
この部隊は各上陸予定地付近の機雷掃海が主任務でした。
よって、最初はツラギに向かうのですが、
後に後から出航した上陸部隊と現地近海で合流しており、
なんで先行して出航したのかよくわかりません(笑)…。

で、この部隊はツラギの任務が終わったら、そのままポートモレスビーでの
機雷掃海に当たる予定になっていたようです。
(デボイネ以降の水上機基地建設予定地は敵守備部隊不在のため、
どうも機雷掃海作業は省かれていたみたいだが、詳細はよくわからず)

といった感じで、MO作戦はその前座ともいえる、
ソロモン諸島東部、ツラギ攻略の下準備部隊から動き出した事になります。
が、この二つの部隊は作戦上も、後の珊瑚海海戦においても、
大きな影響を与えてないので、以後、その動きは追いませぬ。
この辺りまで細かく見てたら、記事が終わらなくなってしまいますので…。
とりあえず、彼らの活動から、MO作戦は動き出した、という事だけ見といてください。

で、この地図には入ってませんが、ラバウルの哨戒部隊が動き出した
4月29日に、アメリカ側では迎撃作戦開始の命令が出されました。
完全に動き、読まれてますね(笑)…
この日、真珠湾に居る太平洋方面の海軍責任者ニミッツから
4隻のアメリカ空母と、それらが率いる機動部隊に指令が送られたのです。
(この正式命令発令前、22日にすでに珊瑚海を目指して集合せよ、
という指令がUSSレキシントンとUSSヨークタウンに出されていた、
という話もあるのだが、確認できず)

このうち、何度も書いてるようにUSSホーネットとUSSエンタープライズは
まだドゥーリトルの東京空襲から戻ったばかりで真珠湾におり、
急いで出航はしたものの、戦闘に間に合うかは微妙でした。

なので、最初から珊瑚海海域に居たUSSホーネット、
(ただしこの時は珊瑚海より東のフィジーの南東、トンガで補給中だった)
そしてフィジーとニューカレドニアの中間に近い海域にいた
USSレキシントンがこの海域に向かう事になるわけです。

ちなみにUSSホーネットを中心としたのが第17機動部隊(TF17)で、
フレッチャーがその指揮を執っておりました。
USSレキシントン側は第11機動部隊(TF11)で指揮官はフィッチ、
この二つの機動部隊が、珊瑚海東部、
ニューカレドニアの北西部300海里(約830q)の
会合地点に向けて動きだす事になります。

さらに、ここにオーストラリアとアメリカの巡洋艦と駆逐艦の合同艦隊、
第44機動部隊(TF44)が護衛につき、
(ただし合流は空母機動部隊より遅れる予定だった)
それら全てが合流後、全体の指揮はTF17のフレッチャーが執る事になっていました。


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