■夜の着艦 in 珊瑚海

前回は無謀と無意味に主翼とエンジンを付けて飛ばしました、
というほか無い五航戦の薄暮攻撃が、TF17側の予想外の迎撃にあって
一方的に撃破されてしまった過程を見ました。

この空中戦の直後に日没となりましたから、
迎え撃ったアメリカ側も、大損害を受けた日本側も、
何とも滅茶苦茶だった一日もようやくおしまい、
と考えたのではないか、と思われます。
何も見えなくなってしまう夜間の航空戦闘は
当時では全く不可能だったからです。

ところがこの直後、さらなる最後の混乱が待っていました。
人類の戦史史上、ただ一度のみ派生した珍事、
攻撃隊による敵空母への着艦未遂事件です。

この辺りを理解するため、再度、地図で状況を確認しておきましょう。



18:10ごろ、瑞鶴の艦攻隊が奇襲に近い形でUSSレキシントン所属の4機のF4Fに襲われます。
これによって瑞鶴、翔鶴の艦攻隊は大損失を被り、
さらに編隊はバラバラになって魚雷も投棄されたため、
間もなく帰還命令が指揮官機より出されたようです。

さらに後から追いついて、USSレキシントン隊のF4Fと
入れ替わったUSSヨークタウン隊の6機は、
97式艦攻の編隊だけでなく、99式艦爆隊にも攻撃を加えたため、
こちらも爆弾を投棄して逃げる事になりました。
よって、間もなく艦爆隊にも帰還命令が出されたようです。
ただし、すぐに日没になったのと雲が多く視界が効かない悪天候だったため、
F4Fも深追いはせず、まもなく引き上げてしまいます。
これによって艦爆隊は、損失を出さずに逃げ切る事に成功します。

ただしこの時、艦爆隊と艦攻隊は完全に分離してしまい、
それぞれ別々の飛行経路で母艦を目指す事になりました。
この辺り、MO機動部隊司令部の戦闘詳報の添付図では
北と南にキレイに分かれて一直線に飛んだ事になってますが、
艦攻隊に関しては、完全にバラバラになっており、
実際はこんなキレイにまとまって一直線で飛んできたわけでは無いはずです。
また、一部の艦攻が艦爆隊と合流した、という話もあるのですが、
この辺りは確証は無し。

が、ここで問題なのは北側を飛んで帰ってきた艦爆部隊です。
敵の奇襲を受けてから約40分後、その攻撃をようやく振り切って、
母艦に向かっていたとき、雲の切れ間から、
海上に空母機動部隊を発見してしまうのです。
(艦攻の一部の機体もこれを発見していたらしいが、
こちらはすぐに敵空母と気が付いて退避したようだ)

真っ暗闇の中で、艦載機の収容中だった2隻の空母は
着艦誘導灯を点灯したまま航行しており、
昼間よりもむしろ発見は容易だったようです。
これは当然、先に彼らを襲った戦闘機隊を収容中だった
アメリカの空母機動部隊、TF17でした。

ところがこれを見た艦爆部隊は、なぜか自分たちを迎えに西まで進出して来た
五航戦の二空母だと勘違いして、着艦のため接近してしまいます。
ここから、この日最後の悲劇と喜劇が始まるのです。

この戦史史上まれに見る珍事について、MO機動部部隊の戦闘詳報は
艦爆隊が帰路、敵空母機動部隊を発見したが夜間だったので、
これを攻撃することができなかった、とあっさり書いてあるだけです。
(だったら何で夜間攻撃隊を出したんだよ、という疑問は誰でも抱くだろう。
もう少しマシな言い訳はできないのか、この人たち)
ついでに、この間、敵からの電信に対する妨害電波がひどかった、
との報告がありますが、アメリカ側にその記録は無く、
スコールによる雷雲の影響か、あるいはオーストラリアの陸軍がやっていた
妨害電波が、ここまで届いてたんでしょうか。
個人的には雷雲説に一票。

ところが実際は、攻撃できなくて残念、どころの騒ぎではなく、
敵空母に着艦直前まで行ってしまう、という事態が発生していたのでした。
(ただし南洋部隊(第四艦隊)の井上司令長官には詳細を報告していた。
だったらなんでキチンと記録に残さないのだろう?)

ちなみに、MO機動部隊の戦闘詳報によると、
これは南緯13度、東経154.4度の地点だったとされますが、
これを地図に書き込むと、上のようにちょっと北過ぎます。
TF17の航路図は何度も書いてるように、かなり怪しいのですが、
それでも20時の現在位置は観測でキチンと計測したものらしいので、
やはりちょっと北過ぎるようです。
よって、恐らくこの辺りであろう、という座標で今回の地図は造ってあります。


■Image credits:Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
Catalog #: 80-G-416531


■Image credits: Official U.S. Navy Photograph




とりあえず、この海戦に参加していた日米空母の形状を比較。
上からUSSレキシントン、USSヨークタウン、そして瑞鶴(=翔鶴)。

最初に書いたように、この時期の日本の空母は煙突を艦上に突き出さず、
横にまげて排気するようになっていたため、飛行甲板横には小さな島型艦橋しかありません。
(瑞鶴、翔鶴以降の正規空母、信濃、大鳳らは米軍式になるが)
対してアメリカの空母は煙突をそのまま艦橋の後ろに突き出していたので、
飛行甲板横の構造物がかなり大きめになってます。

瑞鶴、翔鶴は同型艦ですから、構造はほとんど同じで、写真で見てもわかるように、
着艦体制に入るほど接近していたなら、アメリカ空母と見間違るような形状ではありません。

どうやら既に日没後で艦影の判断が困難だった事、
アメリカ空母が夜間着艦用の誘導灯を点けていたため、
これにばかり目が行ってしまった事、などが錯誤の原因でしょうか。
ついでに言うなら、この時は日米の空母の数が全く同じ、というのも
誤判断に影響があったかもしれませぬ。
ちなみにアメリカ側の報告書では、この日は月のない真っ暗な夜だったとの事。
(雲で隠れていた可能性もあるが)

ただし、戦闘機の攻撃による混乱によっておそらく正確な位置を見失っていたとはいえ、
本来の五航戦の二空母との会合地点から100海里(185.2q)以上西ですから、
時間にして30分以上早く空母機動部隊が出現してしまった事になります。
空母が時速50海里(92.6km/h)とかで海上を走れるなら話は別ですが、
普通、どう考えても変だと思うんですが…。
特にこの時の搭乗員はベテランばかりですから、どうも理解に苦しむところです。

さんざんな一日だった、さっさと帰りたい、という願望が、例によって
“自分が見たい事実”、すなわち母艦が迎えに来てくれた、
という幻想を見せてしまったんでしょうかね。


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