■こっちはこっちでまた怪しい

ただし、実はこの辺りもまた、謎に満ちています(笑)。
一通り、説明が終わったところで、念のためその辺りも書いておきます。

とりあえず、再度、地図で五航戦の薄暮攻撃隊の飛行経路を確認すると、以下の通りですね。

ちなみに18:10〜18:15のわずか5分間で100q近く移動する、
というアフターバーナーを点火したジェット戦闘機並みの移動距離になってますが(笑)、
これも実際のMO機動部隊の戦闘詳報の付図の通りで、トレースの際に10q前後の誤差が
出てる可能性はあるものの、大筋では間違いありませぬ。



ここで気になるのが、翔鶴の飛行機隊戦闘行動調書です。
それによると16:05(現地時間18:05)、アメリカ側の戦闘機の襲撃を受けたのは、
予想索敵地点に到着した後で、既に周囲の索敵を始めていた、といった記述があります。
(ただし瑞鶴側にはそういった記述は一切ない。
ちなみに瑞鶴側の記録では18:10に攻撃を受けたとされる。地図ではこちらの数字を採用した)

これが正しいとなると、MO機動部隊上空を離れてわずか1時間半の段階で、
彼らは敵空母機動部隊との予想接触地点に到達していたことになります。
99艦爆、97式艦攻の巡航速度はせいぜい250q/hかそこらですから、
わずか375q、すなわち200海里(!)前後の距離が、
最初から予定されていた進出距離だった、という事になります。

これは全く持って正しい距離で、実際、そこに敵の空母機動部隊は居ました。
すると彼らは正しい敵位置の情報を知っていた事になります。
が、それは散々検討して来たように、ありえません。
そもそも、そんな近所に敵が居る、と正しく知っていたなら、
先行した索敵機は意味がなく、最初から攻撃隊を出せたはずです。

さらに薄暮攻撃部隊が帰還後、この近距離に敵が居るとの報告を受けて、
MO機動部隊司令部は驚き、慌てて北方向に離脱を始めるのです。
彼らは、明らかに何の根拠もなく、200海里前後の地点を索敵の基準にしてた事になります。

そして200海里、という数字も気になります。
これは先に出た索敵機が命じられた距離と全く同じです。
これは日没までに安全に帰ってこれる距離、として出されたもので、
通常の索敵距離よりも50海里も短いものでした。
敵との接触を本気で心配してるものではないと思われます。
…何か臭う気がしますね、これ。

こうなってくると、岩本徹三さんの手記にあった
“彼我の距離はわずか300キロ”と伝えられた、という記述が、どうも引っかかります。
攻撃隊は、実際に五航戦司令部が考えていた、
敵機動部隊は350海里(648q)の彼方、という数字を知らされて無く、
やはり適当な数字を教えられ、近所に居るから行ってこい、
と言われていたのじゃないでしょうか。
そして不幸にして、その適当な進出距離が、実際の敵までの距離と
ドンピシャで一致してしまったのではないか、という事です。

あるいは攻撃隊の指揮官たちも、この出撃は一種の言い訳のための出撃だ、
と実際は知っていたんじゃないか、という疑問も完全にはぬぐえません。
それならば、彼らが航空参謀から薄暮の出撃を相談されたとき、
これにあっさり賛同したのも理解できます。

どうも最初から200海里を超えた段階で、簡単に周囲を索敵しそのまま帰る、
これで攻撃隊が出撃した、という既成事実ができ、
五航戦のメンツが保てるからそれで充分、という段取りになっていたのではないか。
そして、その油断しきった索敵中、
敵からの不意打ちを食らってしまったのではないか、という事です。

ここら辺りは何ら確証がないので全て推測ですが、少なくともこの攻撃が

●MO機動部隊司令部が持っていた情報では最初から成功の見込みは全く無かった
●出撃した攻撃隊は最初から必要最低限の進出で戻るつもりだった可能性が高い

というのは確かです。
この辺りは関係者がすでに皆故人ですし、さらに生きていても
絶対本当の事は教えてくれないでしょうから、真実は永遠に謎でしょう。
ただ、とりあえず、あまりに怪しい部分が多いのも、また事実なのです。

と、この辺りの検討はここまでにしておいて、
お次は、この段階に至るまでのアメリカ側の行動を見て置きましょう。



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