■日本の空母事情1942

さて、今回から世界初の空母決戦、珊瑚海海戦の話に入りたいとは思ってるのですが、
最初は、そこに至るまでの日米空母事情の話を幾つか書いておきます。

まず、前回見たように当時は既に空母の持つ破壊力が認識されつつあり、
それが一気に開花したのが日米の太平洋戦争でした。
では、1941年(昭和16年)から1942年(昭和17年)の珊瑚海海戦まで、
両軍の空母戦力はどんな感じだったのか。

まず開戦時の段階で、日本側で排水量(=艦重量)2万5千トンを超える正規空母は
赤城(あかぎ)、加賀(かが)、瑞鶴(ずいかく)、翔鶴(しょうかく)の4艦。

2万トン以下、1万5千トン以上の中型空母は
飛龍(ひりゅう)、蒼龍(そうりゅう)の2艦。




ただし中型空母とはいえ、飛龍、蒼龍の搭載機数は正規空母に比べても
それほど遜色なく、この6隻が日本の主力空母と見ていいでしょう。
参考までに模型ショーで撮影した写真で、空母のサイズを確認。
中型空母と言っても、飛行甲板で見るとこの位の差しかなく、
十分な航空打撃力を持った航空母艦でした。

この点、アメリカの中型空母も似たようなもので、USSワスプとUSSレンジャーも、
その打撃力は正規空母に比べて、あまり見劣りがしません。
ただしその代わり防御面が弱く、後にUSSワスプは潜水艦による雷撃であっさり沈んでしまいます。
この点、二度も潜水艦の雷撃を食らいながら(涙)、そのたびに生き残った
大型正規空母USSサラトガと対照的です。
一方で日本の中型空母2隻は、正規空母の赤城と加賀と同時に沈んでしまったので、
果たして他より防御面が弱かったのかどうか、どうもよくわかりません。

さらに1万トン以下の小型空母と言うべき存在があり、これは
龍驤(りゅうじょう)の1艦。

そして商船や潜水艦母艦から改造した補助空母とでも言うべき艦が
瑞鳳(ずいほう)、春日丸(後に大鷹(たいよう)に改名)の2艦で、
さらに数隻の改造空母が1942年の夏までにかけて完成してます。

ただし、これら小型&改造空母は基本的に補助戦力とでも言うべきもので、
正規空母の決戦に持ち込めるようなものではありませぬ。
よって、ここでは空母戦力からは除外します。
(実際はその決戦に巻き込まれて常に悲惨な目にあってたんですが…)

その他に“完成順だけで言えば世界初(笑)”の空母だった(1922年12月竣工)
鳳翔(ほうしょう)がありましたが、太平洋戦争時では
とても実戦に耐えるものではなく、これも除外します。
(草鹿龍之介参謀長いわく“ボロ空母”。あんたが言うか…)

ついでに言うと空母では速度も重要で、
高速な戦艦や巡洋艦の艦隊と行動を共にするためにも、
また艦載機の発艦に必要な風速を稼ぐにも、速度が大きな問題となってきます。

速度に関しては、小型空母、改造空母だと、やや厳しいものがあり、
これらは決戦戦力として艦隊空母として使えないのが普通でした。
一隻でも脚が遅いと、その艦が艦隊全体の最大速度を制約してしまうからです。
そんな空母が艦隊に入ってきたら、相手を追いかけるのも、
逆に敵から逃げるのも極めて不利になってしまいます。



とりあえず開戦半年前、1941年(昭和16年)の夏に完成した
最新型の大型正規空母、それが翔鶴(しょうかく)と瑞鶴(ずいかく)の2艦でした。
この二艦が珊瑚海海戦の主役です。

写真は以前、船の科学館に展示されていた瑞鶴の大型模型。
この二艦の完成によって日本海軍は一気に
従来の二倍近い空母打撃力を手に入れることになりました。
これが日本海軍の皆さんに余計な自信を与えて、
真珠湾に繋がった、という面はあるでしょうね。

ちなみに翔鶴と瑞鶴を主戦力とした空母機動部隊が第五航空戦隊、
いわゆる五航戦で、日本の空母機動部隊の戦闘部隊としてはもっとも新参のものでした。
それゆえ古参の第一航空戦隊(赤城 加賀)、そして第二航空戦隊(飛龍 蒼龍)に
比較すると、その正規空母艦隊としての戦闘力はもっとも劣る、
と見られていたのがこの戦隊でした。

ちょっと待て、三と四の航空戦隊はどこに行った、と思われるところですが、
第三航空戦隊は例の“いわゆる世界初”空母の鳳翔と
改造空母の瑞鳳で編成された艦隊護衛部隊で、
第四航空戦隊は小型空 龍驤によるもので、
これも基本は艦隊護衛用であり、とても空母決戦に耐えうる戦力を持ちません。
太平洋戦争開戦時に、空母打撃力として十分な破壊力を持っていたのは、
第一、第二、第五航空戦隊だけと思っていいでしょう。
その中で、もっとも新参だったのが、翔鶴、瑞鶴の五航戦だったのです。

ところが、いざ空母決戦をやってみると、1942年の空母決戦の年を通じて、
常に翔鶴、瑞鶴が日本側の主力として踏ん張っておりました。
対して古参の第一、第二航空戦隊は空母決戦デビュー戦の
ミッドウェー海戦において速攻で地球上から消滅してしまいます。
(ただしミッドウェイ後に航空戦隊の大変更があって五航戦も解散となった。
よって珊瑚海海戦と第二次ソロモン海戦、そして最後の南太平洋海戦では
翔鶴、瑞鶴に搭乗していた乗員は艦載機パイロットも含めかなり異なる)

ちなみに翔鶴と瑞鶴が揃って参戦した海戦中、
常に敵の攻撃を受けて損傷するのは祥鶴で、不思議と端鶴は常に無傷でした。
瑞鶴が幸運艦といわれる由来がこれです。

ちなみに瑞鶴に関しては、神野正美さんによる著作、
日本語の空母戦記資料としては最高峰といえる「空母 瑞鶴」があます。
この本は1944年のレイテの時の記録が中心で、
今回の記事では参考にできませんでしたが、これほどの記録は
今後出てこないと思うので、日本の空母戦闘に興味がある人は一読をお勧めします。

ちょっと脱線。
日本の空母を並べてみると、赤城と加賀の名前が
妙に浮いてるの、気がついたでしょうか。
これはもともと両艦は巡洋艦として起工された後から空母に設計変更されたため、
巡洋艦時代の名前を受け継いでるからです。

それ以降、空母として建造された艦はすべて“想像上の飛行生命体”という
妙な命名基準を持って名づけられてます。
なので鶴だの鳳だの凰だの龍だのが出てくる事になるわけです。

ちなみに瑞鶴は唐代の漢詩などに出てくるめでたい鳥、という意味ですが、
翔鶴についてはどこから持ってきたのか、私にはよくわかりませぬ。
他の艦は、適当な漢字並べただけじゃないか、という気もしますが(笑)、
おそらく漢文の古典に出てくる想像上の飛行生命体だと思われます。

この辺り、当時の日本文化に飛行生命体は少なかったので、
その命名には苦労したのでしょう。
が、21世紀の日本ならガメラ、ラドン、ウルトラマン、アンパンマンと
空飛ぶ生命体の連中がやりたい放題ですから、
今後、自衛隊の空母就役とその命名には大いに注目したいところです。


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