■祥鳳は何をしてたのか

改造空母がたった一隻で切り離されて、二隻の正規空母と戦う、
というのは戦術としては純粋に自殺行為で、こういった配置を行った
南洋部隊(第四艦隊)司令部の判断は批判されてしかるべきものです。
祥鳳の沈没の原因の7割が彼らにあると思います。

ところが調べてみると祥鳳自身の戦いも何ともよく判らない部分が多く、
一体全体、何があったんだ、という多くの疑問が残るのです。
ほとんど注目されてませんが、あまりに謎めいてるのが
この時の祥鳳の行動である、と言っていいでしょう。
この点をちょっと確認しておきます。
未だかつてこの点を指摘してる資料を見たことないですし。

とりあえず、この時の祥鳳の戦力を再度確認しておくと、
以前も見たように、以下の通りです。

雷撃機である艦攻は97式艦攻が10機、
戦闘機隊はゼロ戦7機と旧式の96式艦戦5機でした。
急降下爆撃機(艦爆)はありませぬ。

●祥鳳

 雷撃隊(艦攻)

 10機

 戦闘機隊(艦戦)

 12機

 

 合計22機

10機の艦攻(雷撃機)があるのなら、うまくやれば正規空母の1隻くらい撃沈可能で、
MO主隊司令部が命じた攻撃命令そのものは、それほどムチャではありません。

が、当然、それには護衛の戦闘機をつける必要があり、
12機しか戦闘機を持たず、しかもその内5機は旧式戦闘機の96式艦戦なんですから、
攻撃はすなわち艦隊上空防衛の放棄を意味します。
敵空母機動部隊もこちらの位置を掴んでる以上、
その攻撃部隊による空襲は必至な状況下で、です。

そもそも祥鳳は、MO攻略部隊に参加した陸軍部隊の不安解消のため、
無理を承知で艦隊上空護衛用として単独配備されたものでした。
となると艦隊護衛を放棄してしまったら、その後どうするつもりだったのか、
命令の詳細が残ってないので、正直、よくわかりませぬ。
どうもポートモレスビー攻略部隊を一時的に北西に退避させ、
その間に祥鳳から攻撃を仕掛ける気だったような感じですが…。

が、さらによく判らないのが、この戦いにおける祥鳳の行動なのです。
上の戦力は、最低限とはいえ、この時、一矢報いるだけのものはありました。
が、祥鳳はほとんど何もしないまま、一方敵に攻撃されて沈む事になります。
先に見たように、索敵に関してはアメリカ側と互角に近い成果を出していながら、
攻撃に関しては、ほとんど何もしないまま、沈んでしまうのです。
この辺り、どうも理解に苦しむ部分があります。

とりあえず、そんな祥鳳の行動をざっとまとめるとこんな感じです。
ただし、一番知りたい時間帯の記録が残ってないのですが(涙)…

●祥鳳の動き

7:30 ポートモレスビー攻略部隊上空護衛のため
艦戦(機種不明)×4、艦攻×1 発艦

8:30 MO主隊(第六戦隊)司令部より敵空母攻撃準備命令受ける。

(この間の記録なし。紛失ではなく最初から作られてない)

10:08 敵空母機動部隊より艦載機発進の報が入る。
これによりMO主隊(第六戦隊)司令部より飛行機全力発進の命令受ける。

10:30 艦隊護衛用戦闘機3機発進(機種不明)。
ほほ同時に7:30に発進した護衛機5機を収容。

11:17 さらに3機の戦闘機が発進。これが祥鳳の最後の発艦。
(計6機の戦闘機が上がった事になる)


これでおしまい。
まず7:15〜30頃に4機の艦戦と1機の艦攻を護衛に送り出した後、
8:30に敵空母の攻撃準備命令を受けた、というのまではオッケー。

その直後の8:38に古鷹、衣笠の索敵機による敵空母発見の報が
MO主隊司令部に届き、攻撃に必要な情報も手に入った事になります。
(報告の座標はズレてたが索敵機がまだ現場に居る以上接触は容易だ)
アメリカ側索敵機のMO主隊発見(既に見たように錯誤の連鎖だったが)
より15分以上遅れていたとはいえ、まだ十分相打ちに持ち込める時間でした。
後はどれだけ早く攻撃隊を出せるかの勝負です。

参考までに、この朝、敵発見から攻撃部隊発進終了までにかかった、
各空母の時間を比較すると、MO機動部隊(五航戦)が約40分、
USSレキシントンが約1時間半、USSヨークタウンが約2時間。

この中で、当初から攻撃準備をしていたと思われるのが五航戦の翔鶴、瑞鶴、
そしてUSSレキシントン、とにかく緊急発進させたのがUSSヨークタウンとなります。
USSヨークタウンがやけに遅いのは、先に見たように、
この日の緊急発進当番を外れていたからですが、それでも第一報から2時間で
攻撃隊全機が発進を完了しています。
ところが、祥鳳だけが異常なまでに時間を浪費してるのです。

まず8:30に攻撃準備命令を受けた後、出撃準備に入ったはずですが、
その1時間半後、10:08に飛行機全力発進の命令を受けた段階でも、
攻撃部隊は一機も発艦できてませんでした。

攻撃準備命令を受けてから1時間半という時間は、
USSヨークタウンが発艦開始まで掛かったのとほぼ同じ時間ですが、
こちらは先に述べた理由に加えて、祥鳳の倍以上の機体を
準備して送り出している事になります。
祥鳳の場合、機数も少なく、前の晩から敵空母との接触は予想されていて
その準備の時間は十分あったはずなのに、です。

そして祥鳳はこの段階で攻撃隊の発艦ができなかったばかりか、
さらにその40分後、アメリカ側の攻撃部隊が既に上空に現れた
10時50分ごろまでかかっても、一機の攻撃機も発艦できてませんでした。
すなわち、攻撃準備が命じられてから2時間20分経った段階でも、
まだ一機たりとも攻撃機は出撃してません。
後のミッドウェイの武装交換大混乱でもここまで時間はかかってませんから、
異常事態と言っていいでしょう。

ちなみに祥鳳は10:30ごろに朝一で発艦させた護衛部隊5機を
一度収容した以外、この2時間20分の間、何の戦闘行動もしてません。

なぜそんな事に?というと、誰も何も記録を残してないため、
実はさっぱりわかりません(笑)。
全く記録が残ってない1時間38分の間に何かあったのか、という気もしますが、
全てが推測になってしまうのです。

が、それでもちょっと検討はしてみましょう。



まずは改造空母ゆえに作業効率の悪さ。

祥鳳(左)と五航戦の正規空母、翔鶴(右)を模型で比較すると、
その飛行甲板の小ささが目につきます。
上の写真では、祥鳳には11機、翔鶴には13機の機体が置かれてますが、
どう見ても数が少ない祥鳳の方がギリギリな感じの搭載状態になってます。

当然、全長も短いので、同時に甲板に出せる機体の数は限られ、
艦内格納庫から甲板に機体を上げるエレベーター(甲板上で灰色の四角い部分)も
翔鶴の三基に対し、祥鳳は二基しかありません。

ここら辺りが発艦に手間取った理由かなあ、とも思うんですが、
その分、機数も全部合わせても22機と少ないわけですから、どうも納得がゆきませぬ。
(この朝、翔鶴だけで41機飛ばしてる)

同じ日本海軍で、艦歴は半年前後しか変わらない
翔鶴、瑞鶴の3倍以上の時間をかけて、一機も攻撃隊が出ていけない、
という事態は、これだけの理由からでは、ちょっと考え難いでしょう。

他には祥鳳は開戦直後に完成したばかりの艦で、
この段階でもまだ半年も経っておらず、
乗員の練度が低かった、という可能性もあります。

この点は、翔鶴、瑞鶴もせいぜい半年先輩だっただけですが、
この段階まで五航戦は真珠湾、ラバウル占領、インド洋とそれなりに
実戦経験を積んでおり、一定の練度を持っていたと思われます。
(後で見るように夜間離着艦はできなかったのだが)

対して祥鳳は、開戦後も南洋各地への機体運搬を主にやっており、
実戦らしい実戦は、例のドゥーリトル爆撃の時、
アメリカ機動部隊の捜索をやったくらいのものでした。
事実上、実戦経験はゼロだったと見ていいでしょう。

この辺りが複合的に影響してしまったんでしょうかね。

ちなみに祥鳳は撃沈されてしまったため、生存者が記憶を頼りに
その戦闘詳報を後からまとめているのですが、上で書いたように
8:30の攻撃準備命令の後、いきなり10時30分の大混乱まで
その記述が飛んでしまい、この間の2時間の記録がありません。

もう一つの記録、MO主隊司令部の戦闘詳報では、
10:08の段階で“飛行機全力発進”を命じた、とありますが、
これもその間の1時間38分の記録が全くありません。

ついでにこの命令が攻撃部隊の発進を意味するのか、
あるいは攻撃は諦めて、艦隊防衛用に艦攻から戦闘機まで全部飛ばせ、
と命じたのかはよくわかりませぬ。
上で見たように、この後、祥鳳は戦闘機しか飛ばしてないので、
後者の可能性高いですが、実は前者で、
やっぱり発進できなかっただけ、という可能性も否定はできませぬ。

さらにその命令に対し、MO主隊の戦闘詳報では、
祥鳳は上空警戒機の収容補給中で、急速発進の見込み立たず、
といった報告が書かれてるのも謎です。
8:30から10:08までの間に祥鳳は一度も航空機の発艦も着艦もしてないんですよ。
この点は飛行機隊の行動調書にも何の記録もないので、間違いないでしょう。
最初の着艦は先に書いたように10:30からなのです。

…やっぱり、甲板上のエレベーターが何かの手違いで使えなくなったとか、
突如、亜空間転移して来たアンドロ梅田星人と
艦内で人知れず死闘が繰り広げられていたとか、
とにかく記録に残せてない何かが起こってたんじゃないか、
という疑惑は残りますね。

といった感じで、今回はここまで。


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