■USSヨークタウンの回復力についての一考察

さて、珊瑚海海戦の結果、アメリカ側は空母USSレキシントンを喪失、
USSヨークタウンにも損傷を受けてしまったわけです。

そしてよく知られてるように、このUSSヨークタウンは
アメリカ本土に一度戻って3カ月の修理が必要、と見積もられていたのに
いわゆる奇跡の3日の突貫工事で戦線復帰、ミッドウェイ海戦に登場します。

3カ月の工事を3日間で!という事と、
対して日本の翔鶴はその後2カ月も修理にかかった、
という対比で語られる事が多い
この修理について、少しだけ詳しく見て置きましょう。

この海戦でUSSヨークタウンは250s爆弾の命中を一発受けただけでしたが、
それ以外の至近弾による水中衝撃波で船体に歪みが出たらしく、
海戦後は重油が船体から漏れて尾を引く、という状況でした。
このため最高速度は20ノット(約37km/h)以下に規制されたのですが、
帰還中は安全性を確保して15ノット前後の低速で航行してたと見られます。

このため、その帰還には18日もかかってしまいました。
この結果、後から出たはずのUSSエンタープライズとUSSホーネットより
1日遅れて27日にようやく真珠湾に帰り着きます。
ちなみにこの間にUSSヨークタウンの修理班は自前で
飛行甲板の穴を塞いでしまってました。

同時に損害報告書が艦内でまとめられ、
これを元に、TF17指揮官のフレッチャーは
完全修理には90日以上かかる、と判断し、
太平洋地区の海軍責任者、ニミッツに知らせます。
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■Image credit: U.S. Naval History and Heritage Command Photograph.
Catalog #: NH 95572


USSヨークタウンの爆弾の侵入孔を下から見上げたもの。
第三後半の天井の穴から最上層部の飛行甲板と、その下の格納甲板が見えてます。
これらを突き抜けてここまで到達したわけです。
一番上、木版が見えてる飛行甲板が応急処置で塞がれてるのがわかります。

また、飛行甲板と格納甲板は単に穴が開いただけで、
意外に軽い損傷で済んでるのも見て取れます。

日本側の爆弾は遅延信管を装備した徹甲爆弾だったと思われ、
薄い飛行甲板と格納甲板をあっさりぶち抜いてしまったわけです。
ちなみに飛行甲板から50フィート(約15.2m)ほど侵入して爆発した、とされてますから
相当な深さではあります(格納庫の天井が高いという面もあるが)。
ちなみにその間にぶち抜いた鋼板の厚みは合計で1.68インチ(約4.2p)だそうな。

急降下爆撃では、着弾時に600q/h前後まで爆弾は加速されてるはずで、
対戦車砲などに比べると低速ですが、それでもそれなりに高速であり、
突入した爆弾は砲弾並みの貫通力を持ちます。
(初速ではなく着弾時の速度なのに注意。後から加速される爆弾は最後に最高速となる)


■Image credit:Naval History and Heritage Command Photograph.
Catalog #: NH 95573



実際に爆弾が爆発した第3、第4甲板の状況。
さすがに床が吹っ飛んで、2階層が吹き抜けになってしまってますが、
実際の爆発による穴は意外に小さいのが見て取れます。

ただし爆発によって周辺の船体に歪みも出てたはずで、
この部分を完全に修復させるには結構な時間が掛かったと思います。
が、とにかく戦闘に出ろ、という事なら大きな支障が出るほどの
損傷ではないのも見て取れるでしょう。

むしろ、命中弾ではなく、至近弾の水中衝撃波による船体の歪みの方が、
補修は大変だった可能性もあります。

ただしここは船員の居住地区となっており、ここで待機していた補修技術班に
多くの死傷者を出してます。




ところが5月下旬の段階で、既にミッドウェイ作戦の内容も、
そして投入される日本側の空母戦力も知っていたニミッツは
何としてもUSSヨークタウンを海戦に送り込まなければ日本側に対抗できない、
と正確に判断していました。

よって定められた安全基準の工程を守らなくていい、
最低限の応急処置とせよ、という超法規的処置を決定、
必要最低限の工程でUSSヨークタウンの工事を済ませる、
という事を早い段階で決断していたようです。

このためハワイから航空機で到達できる距離にUSSヨークタウンが到達した
5月25日、ハワイの海軍工廠長、さらには艤装主任といった
主だった関係者が飛行機で艦に向かい、
その作業の段取りと、前準備を始めてました。

その後、27日にUSSヨークタウンは真珠湾に帰着、
その日のうちにドッグに入れられ、ニミッツの視察を受けます。
空母の損害状況を太平洋方面の最高責任がわざわざ確認する、
というのは極めて異常な事態ですが、
とにかく彼は自分の目で見て、最後の決断を出す気でした。
まず船体を外側から見て、さらに艦内の状況も確認して歩きます。

その見学が終わった後、ニミッツは修理担当の士官を振り返り、
「我々はこの艦を3日で取り戻さねばならんのだ」
(We must have this ship back in three days)
とだけ言って、後は黙ってしまう、という手に出ました(笑)。

言われた修理担当者も驚いたと思いますが、なにせ軍隊、
上官があれがパンダだと主張したら、それがシロクマでもタヌキでも
Yes, sir ! と答えねばなりませぬ。
ましてや相手は太平洋方面の最高司令官です。

さすがに、この時は長い沈黙があったものの、
それでも船体の修理担当士官だったフィンスタッグ(Pfingstag)大尉は
ただ一言、Yes, sir ! と答えた、と言われてます。
そして、ここから奇跡の3日間が始まるのです。

■Image credit:Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
Catalog #: 80-G-13065



出航前日、5月29日の撮影とされる真珠湾のNo.1 ドライドッグに入ったUSSヨークタウン。
一部の資料には修理2日目の28日には既にドッグに注水された、とされてますが、
この写真のキャプションが正しいなら、それは間違いとなります。

艦首右側に作業用の足場が組まれてますが、これは例のキャットウォークをかすめて
艦首部右に落ちた至近弾の破片で開いた孔を塞ぐための作業用だと思われます。
ちなみに船体をゆがめた至近弾はこれではなく、反対側、
左舷中央部すぐ横に着弾したものです。

これは位置的に艦橋後部に命中した爆弾のすぐ横で、
この両者が艦中央部に衝撃を与えたため、
燃料漏れを起こすほどの歪みが船体に生じたものと思われます。

ドッグの左側にチョー広い幅のレールが見えてますが、
これは一番奥に見えてる大型クレーンの移動用のもの。
そのレールの間にやや狭軌のレールがありますが、
こちらは作業用のトロッコというか貨車のためのものなのが見て取れます。

余談ですが、左奥のクレーンの奥、対岸に戦艦らしき艦が見えてますが、
これ、真珠湾攻撃の後、引き上げられた戦艦 USSヴァージニアらしいです。
結局、あの攻撃で沈められた戦艦は、2隻を除いて全て復活してますからね。
さらに日本海軍は工廠のドッグなどを全く攻撃しなかったので、
このUSSヨークタウンもあっさり修理ができたわけです。
…何だったんでしょうね、あの攻撃って。

ちなみに船体の修理には電気溶接が使われていたので、
ハワイ中の電気溶接機が持ち込またそうです。
さらに一気にここに電気を供給したため、
電力不足から、ホノルル市内は断続的な停電に見舞われたと言われてます。

ちなみにこの段階でもまだ、艦橋上のマスト部には
CXAMレーダーのアンテナが見られないのにも注意しといてください。

といった辺りが、USSヨークタウンの奇跡の修理の全貌ですが、
本気で直すなら、やはり三カ月はかかっていたと思われる損傷だったと思われます。
が、致命的な損傷は受けてなかったので、とにかく戦場に送り出すだけなら
3日の緊急修理で何とかなった、というのが実情な感じですね。


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