■USSヨークタウン隊 vs 翔鶴

さて、今回は最初にMO機動部隊に到達したUSSヨークタウン隊の攻撃と
それによって翔鶴の受けた損傷を見てゆきます。

この時、翔鶴と瑞鶴が完全に分離し、
かなりの距離を開けて行動中だったことはすでに説明済み。
さらに先を進んでいた瑞鶴と愉快な仲間たちは敵の攻撃が始まるのとほぼ同時、
11:00の段階で目の前にあった雨を伴う積雲の下に逃げ込んでしまい、
以後、全く戦闘には関わらなくなってしまいます。
(雲の下に逃げ込むまで対空砲撃は行っていたが攻撃は受けてないはず)

よって戦闘は翔鶴とその護衛艦隊 VS USSヨークタウン攻撃隊、
という形で展開する事になるのです。
とりあえず、例の図を再度掲載。

USSヨークタウン攻撃隊は早くも10:32ごろ、上空からMO機動部隊を発見しています。
ちなみに攻撃隊の報告書では、こちらも戦艦が1隻いた(伊勢級)、としてるのですが、
上の図を見る限り、BB表記の艦艇はないので、最終的には
正確に日本側の艦隊構成を掴んでいたと思われます。
(図中のCAが重巡CLが軽巡、DDが駆逐艦を意味する)

この発見段階では、5000m以上の高高度を先行していた
急降下&索敵爆撃隊だけが戦域上空に到達しており、
巡航速度で約80q/h遅い上、低空で進撃していた雷撃機はまだ後方にいました。
(実際は爆撃隊が速度調整をして、それほど距離が開かず飛んでいたはずだが)
このため10:49には爆撃隊は既に攻撃位置に到達していたものの、
雷撃隊との同時攻撃を行うため、10分近く上空で待機態勢に入ります。

普通に考えると、これは迎撃するMO機動部隊からすれば大チャンスです。
急降下爆撃隊は高高度に居る間に叩かないと、
その攻撃を完全に防ぐのは困難なんですが、
それが攻撃に入らないでグルグル飛んでるだけなんですから。

ところが雲のせいか、日本側の迎撃ゼロ戦はこれに全く気が付いた様子が無く、
最後の最後、爆撃態勢に入られるまで、何もしてません。
瑞鶴の戦闘詳報にも、艦爆が雲の間から急降下爆撃に入って来てから
その迎撃に行った、と書かれてますから、おそらく護衛のゼロ戦は、
ほとんど敵の攻撃阻止には成功してなかったと思われます。
実際、後で見るように、この攻撃におけるアメリカ側の損失は
軽微なものに留まっています。
この辺りは雲の多い海域、というのがアメリカ側に有利に働いたのでしょう。

ちなみにUSSヨークタウン攻撃隊の6機のF4F戦闘機の配置は、
上空の爆撃機隊に2機、低空の雷撃隊に4機となっていたようです。
すなわち、ただでさえ少数なのに、さらに分散してしまったと見られます。

いずれにせよ倍の数の12機の戦闘機が
すでに空中にあった(瑞鶴の4機は発艦直後でまだ迎撃に入れない)ので、
戦闘機に関しては、数の上で日本が圧倒的に有利な状況でした。

ただし、この攻撃によるUSSヨークタウン隊の損害は
SBDが2機、戦闘機のF4Fが2機、雷撃機の損失はなし、といっただけになってます。
そのSBDの損失の内、1機は後で見るように迎撃戦闘機は無関係であり、
戦闘機隊による撃墜の可能性があるのは1機のみです。
護衛戦闘機のF4Fも2機の損失を出してますが、
パイロットは救助されてるので、
おそらく母艦隊近くまで帰還してからの不時着水と思われ、
現場で撃墜されたものでは無いようです。
よって日本の迎撃ゼロ戦の戦果は数が居た割には、イマイチ、パっとしません。

ちなみにゼロ戦のエースパイロットの一人、岩本徹三さんの著書では、
SBDを数えきれないほど叩き落して、さらにF4Fも撃墜、それが海面に落ちるのを見た、
と書かれてますが、アメリカ側の損失記録を見る限り、そんな事実は無いようです。
この辺りは撃墜記録は敵の記録と突き合わせないと全く信用できない、
といういい例かもしれません。

ついでに、一説では200機を超えるとされる彼の撃墜記録ですが、
こうしてみると実際はその1/4以下、あるいはもっと少ない、
といったところが現実の数字じゃないかと思われます。
ただし、これは岩本さんに限った話では無く、自己申告だけで数えられてる
(というかそもそもそういった公式記録を取ってない)
日本の撃墜王の皆さんの記録は、似たようなものだと思われます。
さらに言うなら、厳密に審査されてるはずの、欧米諸国の撃墜記録も、
実際はその1/2程度、と考えるのがいいでしょうね、あれは。

さて、話を戻します。
この後、TBDの雷撃隊、VT5が攻撃配置についたのが10:58で、
これは爆撃隊がMO機動部隊を発見してから、実に20分以上経ってました。
ここからUSSヨークタウン攻撃隊の攻撃が開始されるわけです。
繰り返しますが、この空中待機中、日本側のゼロ戦による迎撃は一切行われてません。
この辺りも日本側の撃墜体制のお粗末さ、と言えなくもないでしょう。

でもって、このUSSヨークタウン攻撃隊の接近に最初に気が付いたのは
護衛の駆逐艦だったようで、敵の攻撃が始まる前、10:54に
第七駆逐艦隊の対空砲火が開始されてます。

とりあえず、ここで再度同じ図を。


ちょっと判りにくいですが、この攻撃の目標とされた翔鶴は、
最初に書かれた位置から、まず南南東に変針、輪のような航跡を描きながら、
最後のゼロ戦2機を発艦させてます。
その後、再び南東へ。

この段階ではアメリカ側はまだ雷撃隊待ちで、攻撃態勢には入ってませんし、
日本側もまだアメリカの攻撃隊を見つけてないはずです。
よって翔鶴としては、知らずにアメリカの攻撃隊の方に
向かってしまった可能性が高いと思われます。

対してUSSヨークタウン攻撃隊は南東側から翔鶴に接近しており、
図中の白い実線がSBDの索敵爆撃隊(VS-5)の7機、
雲の上から伸びてる白の点線が、この攻撃の主力ともいえる
同じSBDの急降下爆撃隊(VB-5)の17機、そして雲の下から
爆撃を避けて迂回中だった翔鶴に向かってる赤線が雷撃隊(VT-5)の9機となります。

この攻撃後、低空の雷撃隊はそのまま反転、出て来た雲の中に
逃げ込んでしまうのですが、南東から降下した爆撃隊は、
そのまま北側に離脱する形になったので、ゼロ戦の追撃を受けた後、
北北西にあるやや遠い雲を目指して逃げ込んでいます。

これらが攻撃を開始したのが10:58、その直後の11:00には
図の左側に描かれた瑞鶴たちは
スコールを伴う積雲の下に逃げ込んでしまうわけです。

ちなみに、この時の急降下爆撃隊の記録を見ると、
やはり温度差で照準器のガラスが曇ってしまい、
まともに照準が効かなかった、とされてますから、
やはり高高度の低温から、低高度の高温多湿の大気に突入するのは
いろいろ問題が多かったようです。

ついでに、この時の報告では、キャノピー(天蓋)と風防も水滴で曇った、とされるので、
記録にはっきり書かかれてないものの、やはり祥鳳攻撃の時も、
照準器以外の水滴の曇りは発生してたような気がします。

といった、感じで、いよいよアメリカ側の攻撃が始まります。

NEXT