■眠れレキシントン

そんなUSSレキシントンですが、沈没まで時間があったこと、
その後は空襲を受けなかったので周囲の艦が救援に集中できたこと、
などにより沈没までの過程が、かなり詳細に記録されてます。

あまり見る機会もないと思いますので、この辺りも少し見て置きましょう。

とりあえずUSSレキシントンは日本の攻撃で損傷はしたものの、致命傷ではなく、
少なくとも12時40分ごろから開始された攻撃隊の着艦収容開始の段階では
完全に消火も終わってました。
この結果、12時43分から断続的に帰還してくる艦載機を問題なく収容し始めます。

その直後、12:47に最初の艦内大爆発が起こるのですが、
着艦作業は続行されており、特に問題は報告されてません。
それどころか、航空部隊の報告では12:47の
最初の大爆発に触れてるものがないのです。

魚雷が命中したよりも強い衝撃を受けた、という証言が残ってますから、
この爆発に気が付いてないとは思えないのですが、
着艦には問題が出なかったので、特に報告してないんでしょうかね。
最終的に14:07に帰還したTBDの編隊まで収容しつづけました。

ちなみにこの段階で艦体周辺の警戒任務についていた機体などは
後にUSSヨークタウンに収容されたので、これらは沈没時に
艦と運命を共にしてません。

この最初の大爆発、12:47の時、艦内は爆風と火災で大きな被害を出してるのですが、
外部からはあまりよくわからなかったようで、
この段階ではまだ、黒煙とかは派手に上がってなかったと思われます。

しばらく小規模な爆発が続き、13:19にやや大きな爆発があったものの、
その後、一時的に小康状態に入ったようです。
その間も消火活動が続き、一時はなんとかなるとも思われたようですが、
最終的に14:45に二度目の大爆発が発生、
ここで艦内によりさらに大規模な火災が生じ、やがて格納庫にも火が及び始めます。
これによって徐々にもはやダメだ、という状況に追い込まれて行くのです。

それでも消火作業は続くのですが、この二度目の大爆発による火災で艦前半部分の
電気系統が完全に使用不能になり、
15:30ごろには消火に使われるポンプの水圧も失われ始めました。
このため16:30には護衛駆逐艦2隻を横付けさせ(艦名不明)、
その消火ホースを飛行甲板まで引き上げて消火活動を続行する事になったとされます。
(ただしUSSレキシントンの報告書にはこの点が見当たらない。
後の戦争損害報告書16号に記述がある)

が、これらは海面上から13m近い高さがあるUSSレキシントンの
飛行甲板に水を上げるのが精いっぱいで、
消火に必要な水圧を得る事ができず、火の勢いは止まりませんでした。
(密閉形格納庫なので外部から消火ホースを直接格納庫に入れられなかったらしい)
ただし、この段階でもまだ機関部は生きており、自力での航行は続いてます。

最終的に艦内にまだ残っていた爆弾と魚雷の弾頭部に火が迫り、
それらに冷却用の水を供給していたポンプの水圧が失われた後、
17:07に艦の放棄と、総員退避の命令が出されます。
本来なら、これらの爆弾、魚雷は放棄されるべきなのですが、
貯蔵庫から外に運び出すエレベータが動かなくなっており、打つ手が無かったようです。
となると、これらが大爆発を起こしたらもはや助かる術はなく、
艦を放棄することが決定されます。

ちなみにこの段階で艦内にはまだ27本の魚雷が残っていたとされ、
これはUSSレキシントン自身をざっと5回くらい撃沈できる量です。
さらにこれだけあれば、あと2回は全力出撃ができます。
実際のレキシントン雷撃隊出撃が2回だけだったと考えると、
アメリカ側は少なくとも4回分の全力攻撃ができる魚雷を空母に搭載してた、
という辺りも計算ができるわけです。


■Image credits: 
Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
Catalog #: 80-G-7398



17:07に総員退避命令が出た直後の撮影と思われるUSSレキシントン。
艦尾方向からの撮影で、まだ日没まで1時間以上あるものの(この日の日没は18:20ごろ)
すでに日差しは横から当たっており、その影の位置から
艦はほぼ南を向いて停船してるのが見て取れます。

左側、艦尾部の飛行甲板からバラバラと水上に落下してるのは
脱出してる乗組員で、右側にはUSSレキシントンの右舷に接舷してる駆逐艦も見えます。
ただしこの駆逐艦は、そもそもは乗員の救助のために来たのではなく、
先に説明したように消火用のホースと水を
USSレキシントンに供給するために接舷したものでした。
とりあえずこの後、消火活動を停止して、救助作業に入ったと思われます。
もう一隻の消火活動に協力した駆逐艦は反対側の左舷に居たようです。

USSレキシントンは密閉形格納庫なので、艦上から脱出するには
このように一番上の飛行甲板から飛び降りるしかなく、
海面から軽く13mはあったここから飛び降りるのは
相当な勇気が必要だったと思われます。
(3階建てのビルの屋上から飛び降りるのに近い)

ついでによく見ると右手の駆逐艦のすぐ後ろには
救命用のゴムボートらしきものが投げ込まれているのが見て取れます。
ちなみにSBDドーントレスなどの艦載機に搭載されていた空気で膨らませる
救命ボートも引っ張り出された、という記録があるので、これがそうかもしれません。
さらに駆逐艦の斜め後ろには手漕ぎボートも見えてますが、
これがUSSレキシントンのものか、周辺の艦から派遣されたものはかわかりませぬ。

写真でみる限り、あまり火災の煙が出ておらず、艦の放棄と脱出の決定は
致命的な状況になる前に既に行われていた可能性が高いです。
日没までの時間を考えても、的確な判断だったと思います。

■Image credits:
Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
Catalog #: 80-G-16669


火災が進行し艦橋横にあるエレベータ部から盛大に煙を吐いてるUSSレキシントン。
退艦命令が出た後の17:27に3度目の大爆発あったとされるので、
おそらくその直後の写真です。
向かって右、艦載機が駐機されたままの艦尾部には
まだ大きな損傷が見られないのも注意して置いてください。
後にここで最後の巨大な爆発が発生する事になります。

爆発によるキノコ型の煙が艦首方向に流れており、
かなり強い風が吹いてる事が見て取れます。
(手前の波を見てもうねりは大きいように思える)
ついでに煙によって左側の艦首部が隠れてないので、
風は斜め奥方向に吹いており、南東の風だったのもわかりますね。

周囲の護衛艦が一定の距離を取っていて、
この段階では救助活動が停止してるのが見て取れますが、
爆発に巻き込まれるのを避けるため一時的に避難してるものでしょう。

ちなみに手前に居る熱帯魚のような迷彩を施した駆逐艦はUSSハマン(Hammann)で、
この艦が最後まで救助の最前線に立つ事になります。
その右奥に見えてる特徴ある艦影は重巡のUSSミネアポリス(Minneapolis)で、
他に見えてる2隻の駆逐艦はUSSモリス(Morris )とUSSアンダーソン( Anderson )のはずですが、
どっちがどっちなのかは私には見分けがつかず。

ちなみに、沈没前のUSSレキシントンの救助作業を指揮したのは、
後に陸軍のマッカーサーと組んでフィリピン方面で活動する事になるキンケイドで、
右奥に見えてるUSSミネアポリスに乗船してたはず。

この海戦に参加した少将(Rear Admiral)の中でもっとも新参だった彼は、
空母機動部隊を与えられず、護衛の巡洋艦艦隊を指揮していたのでした。
ちなみに、彼はミッドウェイ海戦でも、同じように防空部隊を率いて参戦してます。
(余談だがニミッツの前の太平洋方面指揮官、キンメルはキンケイドの妹と結婚しており、
二人は義理の兄弟のキンキンコンビという事になる)


■Image credits: 
 Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
Catalog #: 80-G-16651



その17:27の大爆発に続いて、18:00ごろ、最後にして最大の大爆発が起きます。
この直前、17:50頃の段階で艦長ら艦の司令部の面々が最後に脱出しており、
まさにギリギリのタイミングでした。

これは例の27本の魚雷弾頭に引火したものだと考えられてます。
ご覧のような巨大なキノコ雲が発生する大規模なもので、
今までほとんど火の手が見えてなかった艦尾部が
完全に爆発に飲まれてるのが見て取れます。

左側に艦首部だけ見えてるのは、救助のため
再度接近していた駆逐艦のUSSハマンで、
急遽、後進して爆発に巻き込まれないようにしてます。
その艦首先には救命ボートらしいものも見えていますから、
救助はまだ完全には終わってなかった、と見るべきでしょう。
(あるいはロープでこのゴムボートをけん引してる?)

ついでに、もう一つ注目なのが、画面奧、水平線上に見える艦影で、
逆Lの字型の艦は、東に向かって航行中のUSSヨークタウンです。
この段階ではまだ日本の機動部隊の攻撃圏外に逃げ切ってないので
(日本側も第二次攻撃を諦めてたのは当然知らない)
USSヨークタウンと残りの護衛艦は救助完了を待たずに
別行動でこの海域を離脱しつつありました。
手前にはその護衛に付いてる駆逐艦が見えます。

とはいえ、すでに退艦命令が出てから1時間近く経ってるのに、
せいぜい15q前後の距離に居る、ということはギリギリの段階まで、
両艦は行動を共にしていた、という事になります。
(写真のようなレキシントンの飛行甲板に近い13m前後の高さから見える
水平線の距離は14q前後となる)

この辺りもまた、前日、祥鳳の生存者を見捨てて逃げたMO主隊の司令部が
どんな人間だったか、を考えるいい材料でしょうね。


■Image credits: 
 Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
Catalog #: 80-G-7413


これも最後の大爆発の写真の一枚で、重巡USSミネアポリスからの撮影。
こちらの写真の方が時間的には先だと思われます。

艦載機(おそらくTBD)が吹き飛ばされてるのが見え、その爆発の凄まじさがよくわかります。
第二波攻撃を中止していた以上、艦載機に武装はありませんから、
この凄まじい爆発は艦内の魚雷、あるいは爆弾によるものでしょう。

左のUSSハマンの煙突からの煙が前に流れてるので、
爆発に巻き込まれるのを避けるため、後進してるのが見て取れます。

ちなみにUSSミネアポリスの艦橋横の信号旗は、
QWJ0(最後は数字のゼロ)と読めますが意味は不明。
真ん中の二つは、上が負傷者救助を求む、
下が、火災、危険な搭載物あり近づくな、の意味を持つので、
もしかするとUSSレキシントンの信号旗をコピーして、周辺の艦に示してる?


■Image credits:
U.S. Naval History and Heritage Command Photograph.
Catalog #: NH 51382


その後、USSレキシントンは艦全体が大火災となってしまうのですが、それでも浮き続け、
最終的に周囲の駆逐艦に魚雷攻撃命令が出て、この傾いてる左舷に2発が打ち込まれます。
が、それでも沈む気配が無く、最後に反対側の右舷に1発を命中させ、
20:00ごろ、ようやく沈没が確認されたのでした。
すなわち日本側の攻撃を受けてから、8時間近くは浮いていたわけです。
戦艦に比べて脆弱とされる空母の防御力ですが、意外に沈みにくいのかもしれません。

ついでながら、艦橋のテッペンで何かが光ってるようにも見えますが、
何でしょうね、これ。

この海戦におけるUSSレキシントンの死者数は
フレッチャーの報告書によると238名とされています。
(作戦行動中に撃墜、あるいは行方不明となった航空部隊の死者23名を含まない)
2500名以上の乗組員が居た事、艦内で複数回の大爆発を起こしてる事を考えると、
その死者数は意外に少ないと言っていいでしょう。

アメリカ側は正規空母を一隻失ったものの、その人的損失は
最低限で防いだ、という事になりますね。

といった辺りが日本側の攻撃の状況です。
その命中率や航空戦の戦果はアメリカ側のものと
比較しながら後でやる予定なので、
とりあえず次回からはアメリカ側の攻撃を見てゆきましょう。


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