■第八章 F-16への道


■トムキャットがやって来やがった

でもって1968年の夏、前回紹介したF-X計画中の三大事件の最後、もっとも厄介な事態が、身内とも言えるアメリカ海軍からやって来る事になります。それがF-14トムキャットに繋がるVFX計画です。
 


1968年2月にマクナマラ殿下が国防長官の座を去ると、その5月には待ってましたとばかりに海軍はF-111の採用をキャンセルします。そして当然、次の手を用意しておりました。これがVFX計画、後のF-14トムキャットで、1968年の7月には要求仕様書を発表、ゼネラルダイナミクス、グラマン、LTV(ヴォート)、マクダネルダグラス、ノースアメリカン・ロックウェルの5社がこれに応じて競争試作の設計案作成に取り掛かります。

このVFX計画においてNASAはこれまでの軍用機開発にないほど深く関係しました。海軍は可変翼機の研究をしていたNASAに対し機体の基本デザインを依頼、同時に風洞実験データも求め、これを基に各社が設計案を提出したのです。さらに1969年1月に競争試作の勝者に指名されたグランマン社は、採用決定後もNASAと共同でF-14の細部形状を決定して行く事になります。

これは先に可変翼機の独自研究を行っていたNASAが、着艦時の低速、戦闘巡行時の高速、両者が要求される艦載機に可変翼機を提案した結果でした。この時、NASAのラングレー研究所が製作し、海軍に示したのがLFAX-4と呼ばれる機体形状で、やや左右幅が小さく単座である、という点を除けば、ほぼF-14の完成形に近いスタイルになっています。F-111の開発で可変翼にはある程度知識があった国防省と海軍はこの提案を受け入れ、VFX計画は可変翼で行く事に決定したのです。



■NASAラングレー研究所の設計による可変翼案、LFAX-4。NASA History Division 制作 Patners in Freedom 2000年刊より

なのでF-14の基本的な形状はNASAが設計したものです。
ちなみに翌1968年に今度は空軍が国防省を通じて同じような依頼を行い、これに対しNASAはLFAX-4を固定翼にしただけという感じのLFAX-8というモデルを作りました。これがマクダネル社のF-15の原型となります。F-14、F-15ともに双発エンジンで両脇に斜めに切り取られた形状の大きな空気取り入れ口があるのは、その基本設計がどちらもNASAによるからです。 ちなみにF-15については他にもいくつかのモデルを提案しており、この辺りのF-X計画とNASAについては後で少し詳しく見ましょう。

さて、1968年7月のこの段階でまだ空軍はF-Xの要求仕様書(Request for proposals /RFP)が完成してませんでした。それどころか固定翼、可変翼すら未定だったのです。さらに現場の戦術空軍司令部(TAC)はF-111のような大型の多用途機を希望してるのに対し、空軍の一番偉い人、参謀総長のマコーナルと彼が引っ張って来たボイド一派は、あくまで空中戦に特化した航空優勢を確保する機体の開発を主張、両者が譲りませんでした。その結果、海軍がこの点につけこんで来るのです(ちなみにこの段階ではまだミグ25の正体が不明だったので、ミグ25に勝てる戦闘機、といった要求もされていたがボイドは無視してたフシがある)。

この結果、1968年の7月以降、海軍のVFX計画が空軍のF-Xにとって最大の敵となって来ます。
空軍がボイド&クリスティ対他全員というバトルロイアル論争を続けていて、基本的な設計方針すら決まってない1967年秋の段階で海軍のVFX計画は密かにスタートしてました(F-111を拒否する半年以上前だ)。すなわち開発進行状況でほぼ1年先を行っていたわけです。このため1968年夏、海軍と太いパイプを持つ議員たちが在籍していた議会の戦術航空小委員会(Tactical Aviation Subcommittee)が空軍のF-X開発責任者を呼び出し海軍のVF-Xを採用したらどうだ、 と詰め寄る事態になります。軍の予算のヒモを握る議会の要請ですから、これは深刻な事態でした。

この時、査問に呼びされた空軍の将軍は、オレだけが嫌な思いをするのはごめんだ、とばかりにF-Xの現場責任者として、ボイドを引っ張って行き、結果的に、これがF-15を救う事になりました。常に敵対関係にあったと言っていいボイドと空軍上層部ですが、この時は完全に利害が一致しており両者ともF-4ファントムIIの二の舞は避けたい、海軍の機体なんていらない、という点では一緒だったのです。

ホイドはファントムIIの空中戦能力の低さから、海軍の次期戦闘機にも常に疑惑の目を向けていました。特に、F-111と同じような可変翼は重量を増やして性能を低下させる、と以前から指摘し続けていたのです。
そして空軍の上層部は上層部で、戦闘機開発に関する予算も利権も全て海軍に持って行かれてしまったF-4ファントムIIを目のカタキにしてました。よって金と利権と空軍式の使いやすさを求め自分たちの戦闘機が欲しかったわけです。

この査問委員会で、最大の論点になったのが、空軍のF-Xは海軍のVF-Xと何が違うんだ?という事でした。明確な差がないのなら、わざわざ空軍専用の戦闘機を開発する意味がない、だったらコスト削減のために先行してる海軍のVFXで統一せよ、という事です。
が、どこが違うと聞かれても、この段階ではまだ基本的な要求仕様すら決定していませんでしたから、答えようがないのでした。エネルギー機動性理論による高機動能力を持った戦闘機といっても、議員の皆さんに通じるはずがありません。ちなみに査問委員会での答弁においてボイドはあくまでアドヴァイザーとしての参加だったのですが、計画の細部に関してはボイド自身が証言する事になりました。

こういう時には異常にアタマが回るのがボイドでして、彼は議員の皆さんを説得し、なおかつ自分の考えを既成事実として空軍に押し付けてしまう方法を思いつきます。彼は両軍の機体における相違点について発言を求められると、空軍の機体は固定翼であり、可変翼の海軍機より小型で安価な機体になる、と述べます。これは明確な相違点でした。安価、という言葉も受けがいいですから戦闘機に関して素人の委員会の議員たちも最終的に空軍の新しい機体の開発を認める事になります。実際はF-15は決して小型で安価にはならなかったのですが、それでもF-14よりはマシでしたから、ウソではないでしょう。



同じ双発戦闘機ながらF-14の運用重量(Loaded weight)が27.7トン(D型)と、F-15の20.2トン(C型)に比べて37%も重くなってしまった最大要因が、主翼付け根を稼働とする可変翼機構と、これを支えるための頑丈な機体構造でした。これがF-14の最大の失敗要因であり、艦載戦闘機としては大きすぎて重すぎる、という致命的な欠陥に繋がります。

NASAはその幅広い速度性能に注目して可変翼を艦載機向け、としましたが、もっと軽い機体なら、何もしなくてもずっと遅い速度で普通に着艦でき、そしてずっと速く飛べますから、重い機体では可変翼による低速対応のメリットが全て消えてしまうのです。
さらに後で紹介するLERX技術によってデルタ翼機の離着陸&高迎え角時の速度は劇的に低下し、もはや可変翼は完全に過去の技術となってしまいます。このため、F-14はこの世代の戦闘機としては短命で、運用開始から32年、2006年にはアメリカ海軍の空母から姿を消す事になりました(F-15は運用開始から43年経った2019年現在も運用中で、完全引退の気配すらない)。

ただし、ボイドの発言を聞いてアゴもはずれんばかりに驚いたのが(笑)、同席していた空軍の将軍でした。実はこの段階ではまだ固定翼で行くか可変翼で行くかの論争中で、ボイドが敵に回していた元F-111開発チームと航空力学研究所が可変翼案を強く支持していたのです。

ところがボイドが議会の小委員会相手に固定翼と宣言してしまった事で固定翼採用が既成事実として成立してしまいます。驚いたのはボイドの反対勢力ですが、議会に報告されてしまった以上、手が出せません。下手をすれば、せっかく確保された予算が取り消されてしまうのです。そして最後は今回も空軍参謀総長マコーネルがこれを追認し、F-Xは固定翼で行く、という事が決定するのでした。

こうして海軍と空軍は別の戦闘機で行く事が決定します。空軍、海軍の機体ナンバーはマクナマラの時代に両者通算と決まってましたから先に開発が進んでいた海軍機がF-14、空軍がF-15という事でその名称も決定されるのです。
余談ながら、この新通算ナンバーはグラマンF-11からスタート、YF-12は空軍の超高速高高度戦闘機の試作型であり、となると縁起の悪いF-13は海軍機だよ、ざまーミロ、と空軍は思っていたようなんですがF-13という数字はパスされてしまったのでした…。

ちなみに第二次大戦中、Fナンバーはファインダーの意味で偵察機が使っており、陸軍航空軍が開発したB-29の偵察型がF-13という名称でしたから、必ずしも13を避ける、というワケでもないようです。ついでにP-61ブラックウィドウ夜間戦闘機の偵察型がF-15という名称でして、イーグルは正確には二代目F-15となります。

F-X計画はその後、1968年9月にようやく要求仕様書(Request for proposals /RFP)が完成します。これで要求されたのが、離陸重量が40000ポンド(約18.2トン)以下であること、最大速度がマッハ2.5であること、機関砲(バルカン砲)を搭載した単座の、そして双発エンジンの戦闘機、というものでした。実際はエネルギー機動性理論に基づいた機動能力やさらには航続距離に関する要求もあったはずですが、そこまでの資料は手に入らなかったので、詳細は不明です。(普通RFPはどんなに少なくても十ページ以上の厚さにはなる)。

こうしてF-15に求められる性能仕様の決定は急速に進みます。後にボイドは機体の開発監督のような仕事をまかされますが、もはや仕様の変更が出来ない立場に彼はあまり魅力を感じていなかったようです。実際、これ以降の機体性能を決める仕事は徐々にNASAが引き継いで行きます。次はその点を見て行きましょう。

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