■第十章 ステルス機とF-22


■ステルス戦略爆撃機への道

一方、タシット・ブルーの開発中断が決定する以前、F-117すらまだ初飛行していない1979年ごろから、もう一つ別の新たなステルス機計画が動き始めていました。これが後のB-2となるステルス戦略爆撃機の開発計画、いわゆるATB計画です。ノースロップはタシット・ブルーで得た技術をこの計画で開発されたB-2爆撃機に投入して行く事になります。

B-2は名前のとおり、B-1爆撃機の次に開発された戦略爆撃となります。
ソ連本土の対空ミサイル(SAM)網をどう突破するか、という問題で低空&高速侵入を解答として選択したのがB-1でしたが、ルックダウン能力を持ったレーダーをソ連が開発してしまった事でそれが不可能になったのは既に見ました。このため、B-1は一度開発がキャンセルされ、後にB型として復活したもののもはやこれは戦略爆撃機ではありませんでした。

なのでB-52の跡を継ぎ、新たな手段でソ連のレーダー防空網を突破できる戦略爆撃機をという要望から生まれたのがB-2となります。つまりステルス能力でソ連の対空ミサイル網を突破し、目標に到達する爆撃機です。これまたベトナムで散々痛い目にあった地対空ミサイル対策なのに注意してください。初期のステルス機は全て地対空ミサイルの悪夢から生み出されたものなのです。
ただし結局、これまた高価になり過ぎて、21機、ほとんど試作機じゃないか、という機数しか生産されずに終わり、2000年に生産終了となった後も先代のB-52が未だに現役でがんばる事になってますが。
21世紀に戦略爆撃機が復活するとは思えませんが、戦闘機と違ってステルス性能は致命的に重要な技術なので安易に放棄する事も出来ず、さて、今後はどうするのか興味深い所ではあります。

とりあえず、1970年代末、ようやく可能性が見えてきたステルス技術が戦略航空司令部(SAC)の注目するところとなり、こうして登場したばかりのステルス技術に夢を託して産まれた新世代戦略爆撃機が、このB-2だったわけです。ここではノースロップ式ステルスの集大成となった全翼機のこの機体を見て置きましょう
ちなみに、航空機としてカクカクのF-117より大きく進化した滑らかなB-2ですが(ステルス性能の進化では無い。ステルス機能を持ちながらキチンと飛べる機体としての進化。ステルス性能だけを見るならF-117の方が上の可能性が高い)、実は開発時期はそれほど違いません。この点はよく誤解されてるので、これまでに見て来た機体の開発開始と初飛行の日時を確認して置きましょう。

■1976年末 ロッキード ハブ・ブルー開発開始 

■1976年12月 戦場監視機実験(BSAX)始動 1977年初頭からノースロップ タシット・ブルー開発開始

■1977年12月 ロッキード ハブ・ブルー初飛行

■1978年11月 ロッキード F-117の開発を受注

■1980年9月 先進技術爆撃機(ATB)開発始動 ロッキードとノースロップが競作となる

■1981年6月 ロッキード F-117初飛行

■1981年10月 ノースロップがATBの勝者に。B-2の本格開発開始。

■1982年2月 ノースロップ タシット・ブルー初飛行



■1989年7月 B-2初飛行

このように1976年から82年までのステルス開発は、多くの機体開発が並行して発生しているのです。

B-2の場合、開発中にいろいろな迷走が加わって、実機の設計開始から初飛行まで8年もかかってしまったのでF-117とは世代が違う、という印象があります。が、基本設計の開始はF-117の初飛行前、実機の設計開始はF-117の初飛行からわずか4カ月後であり、基本設計に関しては実はそれほど世代差は無いのでした。

ちなみに1982年8月のF-20初飛行までノースロップ社はF-20、タシット・ブルー、B-2の3機種を平行開発していた事になります。よくやったなと思いますよ、これ。しかもその内2機種は売れなかった(しかもF-20は経費自分持ちの自社開発だ)わけで、ホントによく潰れなかったな、この会社。さすがは辣腕トーマス・ジョーンズ経営、という所でしょうか(ウォーター・ゲート事件関連の汚職事件で社長の座は引退してたが、まだ経営の実権を握っていたから彼が会社を切り盛りしてた。その本当の引退はB-2が初飛行した1989年)




■B-2への道

とりあえずステルス戦略爆撃機の研究は1979年の夏からスタート、1980年の9月にAdvanced Technology Bomber(ATB)、先進技術爆撃機として正式に空軍から要求仕様が出されました。これに応えたのが二つのグループ、ノースロップ&ボーイング社のチーム、そしてロッキード&ロックウェル社のチームです。ただし開発を主導したのはそれぞれノースロップとロッキードで、ボーイングとロックウェルは製造の外注先(Subcontractors)といった立場だったようです。

ちなみに全くの偶然ながらノースロップ社は1940年代から既にレーダーに映りにくい理想の爆撃機の形状を知っており、実際に開発した経験がありました。それがノースロップの創業者、“ジャック”ノースロップ(John Knudsen "Jack" Northrop)が終始追い続けた夢、全翼機(Flying wing)であり、薄くて大きな側面を持たない胴体、垂直尾翼不要の構造を持つ機体でした。レシプロのYB-35/XB-35、そしてジェットエンジン搭載型のYB-49爆撃機が造られ、正式採用には至りませんでしたが、飛行には成功、一定の成果を上げていたのです。ただし当時の技術者はノースロップ本人はもちろん、ほぼ全員がノースロップ社から去っており、事実上ゼロからのノウハウの積み重ねとなったようですが。

ちなみにロッキード社が提案したのもまた全翼機に似た機体で、リッチは同じ全翼機でステルス性能ならノースロップより上だったと主張してます。ただしロッキード社案は全翼機というよりF-117を押しつぶしてより平らにした機体、という印象が強く、そもそも機体後方に突き出した尻尾の上にF-117のようなV字形の尾翼も持っていましたから厳密には全翼機ではありません。
ついでにATB計画ではノースロップ案がIce Peg、ロッキード案がSenior Peg という呼称をそれぞれ与えられていました。ノースロップのは氷上杭といった意味でしょうが、ロッキードのは意味が判りませぬ…先任の杭?


■Photo: National Museum of the United States Air Force

レシプロエンジンでプロペラ推進だったYB-35/XB-35をターボジェット推進に改造したYB-49。プロペラ推進でなくなったこの機体から小さな垂直尾翼、というか安定板が付いてしまうのですが、それでも通常の爆撃機に比べると小型なものでした。この機体のステルス性がどこまで実験で確かめられていたのかは不明ですが、横方向に大きな胴体断面を持たず、垂直尾翼も廃止できる全翼機はステルスから見ると理想的な形状の一つで、ノースロップ社はこの形状を選択する事になります。ちなみに全幅はYB-49、B-2、共に52.4mと全く同じで、これが偶然なのか狙ってやったものなのかは不明です。


■Photo: National Museum of the United States Air Force

余談ですが、こういった写真を見ると次に生まれてきたら絶対世界征服をたくらむ悪の組織を運営して、全翼機で世界を恐怖のズンドコに、とか思っちゃいますな。火星まで攻めて行けそうな気がしますな。

ちなみに同社の創業者であり元社長でもある、全翼機大好きノースロップ本人は1981年まで存命で、その死の前年、1980年の春にノースロップB-2の設計案を密かに見せてもらったようです(まだ正式採用決定前)。この時、すでに話が出来なくなっていた彼は、渡された紙に「なぜあれから25年も神が私を生かして置いてくれたのか、今判ったよ」と書いたとされます(ノースロップは1952年に引退したので、実際は28年間だが)。



B-2にはノースロップ式ステルス技術の多くが投入されています。
まずは主翼の上、コクピットの横に置かれた空気取り入れ口。これによって機体下面を平らにしステルス性を高めました。そしてタシット・ブルーで問題になった機体上下の接合部は全翼機ならそのまま引き延ばして主翼にしてしまえば解決です。そして横から電波を受けるコクピット、弾倉部、そして空気取り入れ口は単純な面構成で、滑らかに整形されてるわけです。そして当然、垂直尾翼は不要です。
ただし、先にも述べたように、ステルス性能だけならロッキードの方が上だったとされるので、より普通に飛ばせるノースロップ案が選ばれた、必ずしもステルス性能で選ばれたわけでは無い、という可能性はあります。

といった感じで、ステルス技術の歴史はここまで。次回からはF-22誕生までを見て行きます。


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