■第十章 ステルス機とF-22

 
■冷戦期のCIAのLUNATIC

ここでちょっと脱線。
冷戦期のソ連レーダー対策として開発されたのが牛車(OXCART)計画におけるブラックバードシリーズのステルス技術だったわけですが、それに伴いCIAはいろいろレーダー対策をやっておりました。せっかくなので、その中でも最高にイカス対ソ連レーダー計画、月面反射収集計画(Moon Bounce collection project)を紹介しておきましょう。

ちなみに1960年代のCIAのレーダー対策の暴走ぶりは元CIA幹部、ユジーン・“ジーン”・ポーティトゥ(Gene Poteat)が執筆し、2014年に一般公開されたStealth,Countermeasures, and ELINT 1960-1975 というレポートで広く知られるようになりました。これは一部で(UFO研究家とか(笑)…)注目され、一時話題になりました。
ポーティトゥはU-2とブラックバードシリーズのCIA側の開発責任者であり、さらにベトナムにおける2度目のトンキン湾事件の魚雷艇襲撃は完全な誤認だった、とかなり早い時期から(1964年8月の段階)指摘した人物でもあります(ただし当時はCIA内部の極秘扱いとされ公開されず)。

ちなみにレポートのタイトルにあるELINTとは敵の使う電子兵器、特にレーダーの周波数を調べる電子偵察を指します。これはCIAの主要業務の一つであり、U-2や後のブラックバードが電波偵察機能を持っていたのはこれが目的です。
そのELINTに月が登場するのです(笑)。なんで?というと、当時ソ連が開発していた新型の早期警戒レーダー、アメリカ側がノッポの王様(TALL KING)というコードネームで呼んでいたP-14レーダーの性能か全く判らず、ソ連周辺に置かれた電波収集施設でも全くその情報が得られなかったからです。このため、当時進行中だった牛車(OXCART)計画、すなわちブラックバードの開発に置いてどれだけの脅威になるのか判断がつかず、CIAとしてはその存在が極めて悩ましいものとなっていたのです。ステルス性能は装備される予定でしたが完全ではなく、近距離では簡単に捕捉されてしまうと思われたのです。



そこで唐突に月が登場します(笑)。
なぜならレーダー電波はどこまでも直進する結果、最後は地平線の彼方、宇宙空間へと飛んで行くからです。ならばソ連の地平線付近(レーダー電波の進行方向)にお月さまがあり、その月がアメリカからも見える位置にあったら?電波は月面の表面岩石で反射され、扇状に拡散しながら地球に戻ってきますからアメリカに居ながら、ソ連のレーダー電波が受信でき、その特性を解析できるはずです。

つまり月で反射される地球からの電波を拾いまくれば、その中にソ連のレーダー電波もあるはず!という壮大なんだかアホなんだか判断に困る計画が実行に移されてしまうのでした。文字通りLUNATICです。まあ完全に狂ってますから、1960年代のCIA。
もっとも大気圏外の真空中に出てしまうと、電波の減衰は極めて小さくなりますから(だから数万光年かなたの光や電波が届くのだ)、意外に現実的な発想でもありました。100q前後の大気圏外まで出るくらい早期警戒レーダーの周波数なら余裕で可能であり(地球程度の重力では電磁波は減速しないから大気以外の障害は無い)、理論的にはそれほど無茶ではないのです。

ちなみにこれはバイスタティック レーダー(Bistatic radar)、いわゆる複式レーダーであり、送信機と受信機を離して設置し、別々の場所で受信するレーダー技術の初期的な研究でもありました(Bi、複、Static 固定式の意味で複式固定レーダーという造語)。バイスタティックレーダーは発信するレーダーアンテナ以外の場所でレーダー波を受信すればステルス機でも見つけられる技術として近年、注目されてますが(レーダーアンテナとは異なる方向に弾かれた電磁波を別のアンテナで拾えばいい)、そのルーツはこれまた1960年代まで遡るわけです。ステルス関係のルーツって意外に古いんですよ。ただし、この時期のものはソ連のレーダーで発進された電波を別の場所、主にアメリカ本土で受信する、という内容でしたが。

この計画を推進するのに大きな力となったのがアメリカのレーダー技術研究の総本山として1951年に設立されていたリンカーン研究所(Lincoln Laboratories)でした。国防省がMIT(マサチューセッツ工科大学)の協力のもとに設立した研究所で当時、月の表面地形などを地球のレーダーで観測するという技術を完成させており、これに注目したCIAのポーティトゥが協力を要請したのです。

とりあえず、この計画を成功させるにはソ連の地平線付近にある月が同時に見える場所で、その微弱な電波を捉える大型レーダーが必須となります。この条件から選ばれたのが、まず東海岸のチェサピーク湾付近で海軍が運用していた60フィート(18.3m)RCAアンテナ(おそらくパラボラアンテナ)でした。次に西海岸のカリフォルニアでもスタンフォード大学が運用していたアンテナを借り二か所で観察できるようにして、1964年ごろから作戦を開始したようです。

でもって驚くべき事にこの作戦、P-14レーダー波の受信に成功、さらに複数のレーダー基地の設置場所の特定まで成功したそうな(二か所で受信してるので理論上は電波の発振源の特定ができるが、当然月面が完全な平面と仮定する必要がある。つまり無理がある(笑)…)。いやはや、何でもやってみるもんだ、という話ですが、さすがに労力がかかりすぎるのと、人工衛星による電波の収集が可能になると意味がなくなってしまい、ほどなく計画は中断されたようです。ちなみにあくまでおおよその場所の特定までであり、ポーティトゥによるとロッキード社が出したレーダー基地の位置と数は「一部の関係者から見るとかなり見積もりが甘いように感じられた(which some felt were overly optimistic)」との事でしたが。

こういったELINT活動でソ連のレーダー情報をかき集めたCIAですが、その情報を元に行なわれたより攻撃的な作戦、パラジウム計画(Project PALLADIUM)というものもありました。
これは割り出したソ連のレーダー周波数に干渉できる装置を作り、実際は飛んでいない機体が相手のレーダースクリーンに映し出すようにする欺瞞作戦でした。ポーティトゥによると任意の大きさ、速度、進行方向、高度を持つ物体の反応をソ連のレーダーに自由に発生させられたそうなので、相当な技術です。
ちなみにそのための装置は極めて巨大で、これを日本で運用した時、たまたま大雪で北部の空港(おそらく三沢?)が閉鎖されてしまい、鉄道輸送しようとしたら日本の鉄道の小さなトンネルを通す事ができず、ソリとトラックによる移動により到着まで三週間かかったという話もあります。

ちなみに1962年のキューバ危機の際、キューバに持ち込まれたソ連軍のレーダーに対しアメリカ本土から干渉を行い成果を上げたとの事で一定の実用性を持っていたと見ていいようです。1960年代のCIAの電波活動は大したものだと言っていいでしょう。軽く狂ってますけどね。

■その後の展開

こういった狂気の時代に産まれた第一世代のブラックバード式ステルス技術は、以後、特に注目されず発展もしないで終わってしまいます。

が、後にベトナム戦争でレーダー誘導ミサイルによって散々な目にあったアメリカ軍がそもそもレーダーに映らない機体があればミサイルに狙われる事もないんじゃない、と考えた事、そしてスカンクワークスが全く新しい第二世代のステルス技術、後のF-117に繋がるステルス技術を発見した事で、約15年後の1970年代末にステルス技術は劇的な復活を遂げる事になるのです。次回はその辺りを見て行きましょう。

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