■ 早期警戒用と射撃管制用レーダー

次にレーダー対空射撃の要、第二次大戦期におけるドイツ軍のレーダーについて少し見て置きましょう。
基本的に現代でも同じですが、敵を早期に発見するための長距離用早期警戒レーダーと射撃照準に使われる近距離用射撃管制レーダーの二種類がありました。両者は電波の波長が全く異なるため、基本的に別々に造って運用する必要があります。

警戒レーダーは波長の長い(周波数の低い)300MHz以下(波長1m)前後のメートル波、いわゆる極短波の電波を使うもので、比較的長距離、およそ40〜160q程度の遠距離まで探知できるものです。普通にレーダーと聞いて、最初に思い浮かべるのがこの早期警戒レーダーでしょう。ちなみに極短波といってもレーダーの世界ではかなり長い波長です。基本的にレーダーで使う電波は波長が短いほど精度があがるのですが、その代わり到達距離が短くなってゆく特徴があります。

100q以上先の遠方の敵を発見するには長い波長の低周波レーダーしかないのですが、当然これは精度が落ちます。距離だけは正確に測れるのですが、方位、高度、敵機の数などの正確な情報を得るのはほぼ不可能でした。おそらく数百メートル単位まで絞り込むのが精いっぱいで、とても対空射撃の照準に使える精度ではありません。
ただし長距離用の早期警戒レーダーはその電波、すなわち長い波長のレーダー波を作るのに必要なマグネトロンが比較的単純な構造で済むため、技術的な難易度が低いという特徴もありました。この結果、各国で最初に実用化されたレーダーの多くがこのタイプです。ドイツ空軍だとフライヤ(Freya)レーダーがこれに当たります。

対して射撃管制用レーダーは、通常ギガヘルツ以上、cm単位のごく短い波長の極超短波を使います。これだと数十kmの近距離までしかレーダー波が届かないものの、それと引き換えに、より細かいデータ、目標の正確な数や位置情報などが得られます。この正確な情報を元に対空砲の照準を行うわけです。ドイツ空軍では、ヴュルツブルク(Würzburg)レーダーが射撃管制用レーダーでした。



ドイツの対空射撃管制レーダー ヴュルツブルクにはいくつかの形式があるのですが、これは移動式の台車に乗せたもの。
かなり小型で運用は容易だったのが見て取れます。

放物線(パラボラ)アンテナは中心から左右に折りたためるようになっており、この展示は折たたまれた状態ですね。
ちなみに放物線(パラボラ)円盤は単なる反射板で、アンテナ本体は真ん中から伸びた棒の先に取り付けられてました。
この展示品では取り付け棒だけ残してアンテナ本体は失われています。
これは放物線(パラボラ)円盤が一種の凹レンズとなり、電波をその焦点に集中照射して感度を高めるもの。
反射望遠鏡の電波版、といえなくもなく、ついでに現在の衛星放送の受信アンテナも原理は一緒です。


ただしGHz波、すなわちセンチメートル波長の高周波を産み出す高周波マグネトロンの開発は極めて困難でゼロからの開発に成功したのはイギリスだけ、アメリカですらそれを改良してようやく量産に持ち込んでいます。
この点、ドイツでは最後までp波を達成できず、その周波数が低かったため、英米に比べて精度が劣る射撃管制レーダーしか作れませんでした。なので運用にいろいろな工夫を行って、そこらあたりをカバーしてます。

ちなみに動作原理上、レーダーでわかるのは目標までの距離だけです(電気的にレーダー波の向きを制御するフェイズドアレイ レーダーは別だが)。そもそもはRadio detection and ranging の略でレーダーですから、電波探知&距離測定装置の名の通り電波が目標に反射されて返ってくる時間から逆算し、距離を測る装置なのです。よってレーダーでは目標までの距離の測定以外は原理的には無理で、目標の正確な方向や高度を測定する事はできません。

このため電波が戻ってきた時にレーダーアンテナが向いていた方向から間接的に目標の方位を測定するしか無く、電波の拡散性、すなわちアンテナから放射後、電波がどれだけ広がってしまうかが問題になってきます。一般に波長が短い高周波であるほど広がりは少なく(指向性が強い)、このため高周波の射撃管制レーダーならその広がりは限られて、ある程度まで正確に目標方向から電波が戻ってくることになります。
ところが波長が長い低周波の長距離用レーダーでは広く拡散してしまい、この結果、広い方向から反射が返って来るため、誤差が大きすぎて射撃の照準に必要な正確な方位データが得られないのです。よって長距離用の早期警戒レーダーを使って対空射撃管制を行う事はほぼ不可能となってます。
ちなみにさらに高度を知るには目標の位置測定を行った上で三角関数を使った計算が必要です。ドイツの対空砲部隊ではこれをアナログコンピュータ、原始的な、歯車式の計算機でやってたようです。

■ドイツレーダー技術の先進性

ドイツ空軍の射撃管制用高周波レーダー、ヴュルツブルグレーダーは、テレフンケン社(Telefunken AG)が1935年ごろから自主開発していたものでした。後に1938年にドイツ空軍から正式に開発受注を受けてその生産が始まっています。ただし先にも見たように実戦投入は1940年ごろになってしまってますが。
これは高周波の短距離用高精度レーダー、つまり精度は高いが探知距離は短いレーダーとして開始が始まっており、最初から射撃管制用に使うつもりで開発を開始したものと思われます。
その後、1939年に最初のプロトタイプレーダーが完成し、ハイテンションなチョビヒゲことヒトラーに見せてやったらヒゲ感激、その結果速攻で量産に入り、1940年からは実戦配備が開始されています。ちなみに最終生産数は4000台を超えていますから、ドイツの対高射砲陣地のほぼ全てがこれを配備していたはずです。当初は高射砲中隊の4門が同一のレーダーの指揮下に入り、同時に同じ目標を狙わせる運用となっていたようですが、すぐにそれでは数が足りない事が判明、複数の中隊の合同運用が基本となって行きます。

ここでちょっと脱線。ドイツにはもう一つのレーダーメーカーGEMEがあります。
実はドイツにおける高精度レーダーの開発はこちらが先行しており1935年には高周波発生用の真空管であるTS1を完成させてました。これは400MHz前後までなら出せたとされ、1935年の段階では他の高周波発生装置を完全にブッチぎってしまう高性能と考えてよいものでした。
ちなみに多くの資料でタマネギ型真空管と呼ばれてますが、実際の現物はオシャブリに似たちょっと変った形状をしています。このTS1はドイツ海軍の射撃管制レーダー「Seetackt(ゼータクト)」初期型に搭載され、後にTS6という発展型の真空管になってからもドイツ海軍の主力射撃管制レーダーの心臓部として活躍しました。

これが「高周波真空管の始祖」となり、その構造が世界中でパクられます。
まず同じドイツでは、この技術を元にテレフンケン社がLD1と呼ばれる真空管を開発、初期のヴュルツブルグレーダーで実験的に採用され、その進化型のLS180がヴュルツブルグレーダーで最も使われた高周波発生装置となりました。
さらに戦争まであと3年という段階、1936年前後にはアメリカのウェスタン エレクトリック(WE)社が、これを元に750Mhzまで出せるという3極管のWE316Aを開発しています。このWE316の完成が、アメリカ海軍最初の射撃管制レーダーであるFA Mark1の開発のきっかけとなってますから、アメリカ海軍の「レーダーで主砲の射撃管制」というアイデアはドイツ海軍からの影響を強く受けている可能性が高いでしょう。さらに、このWE316Aはイギリスでもライセンス生産されました。
後に1940年イギリスのバーミンガム大で開発された世界初のp波用水冷GHz級マグネトロンもドイツの高周波真空管を参考にした、とされてますから、その影響下にあったと見るべきで、ドイツGEME社は世界のレーダーの始祖とも言えるようです。
とりあえず、1938年前後までに限れば、ドイツのレーダ技術は世界最先端を行っていたのがバーミンガム大の水冷ギガヘルツ マグネトロンの完成によって逆転、以後、連合軍に対して精密な測定ができる高周波レーダーでドイツは常に遅れを取ることになるのです。

ちなみにドイツで対爆撃機用の警戒レーダー、フライヤ(Freya)が採用されたのが1939年、すなわち開戦の年なのに対し、対空砲の射撃管制に使われるヴュルツブルク(Würzburg) レーダーの導入は翌年、1940年初夏からとなっています。よっておそらく最初は迎撃戦闘機を誘導するための早期警戒レーダーシステムが導入され、その後1940年に入ってから対空砲用の射撃管制用レーダーの運用が始まったのだと思われます。

連合軍の場合、イギリス海軍が600MHzクラスの低周波レーダーで目標までの距離測定を始めたのが1940年春頃、本格的な射撃管制用としては、アメリカ海軍がP帯域(1〜3GHz)とS帯域(2〜4GHz)のレーダーの配備を始めた1941年秋以降となります。ただし連合軍側の場合、あくまで海軍の対艦砲撃のみの運用で、地上での対空射撃管制レーダーという考えはまだありませんでした(艦船は目標としてかなり大きいので方位精度の低さをある程度ごまかせた。さらに高度も存在しないので対空戦闘よりレーダー射撃管制の導入は楽)。
よって初期のヨーロッパの連合軍には敵を早期に発見する対空警戒用レーダーしかなかったのです。なので高周波数の技術は見劣りするものの、射撃管制レーダーの導入とその運用という点で、ドイツの高射砲運用はかなり進んでいたと言っていいでしょう。

■二つのレーダーシステムの運用

こうして世界で初めて対空砲にレーダー管制射撃を持ち込んだドイツですが、そのレーダーシステムの運用も、きわめて合理的なものでした。その点も少し詳しく見ておきましょう。
とりあえず、大雑把にドイツの対空レーダーの役割分担を紹介すると図のような感じになります。

まずは遠距離まで電波が届く低周波の早期警戒レーダー、フライヤ(Freya)が150q前後の距離で敵機の接近を捕らえ各部隊に警報を出します。ただしこの150q前後という数字は迎撃戦闘機部隊に対してはかなり厳しいものでした。
高高度を飛行する戦略爆撃機の場合、イギリス方向からだと追い風の西風に乗って飛んでくるため巡航速度でも400q/h近い対地速度が出ていたからです(巡航中は燃費の悪い最高速では飛ばず燃費のいい巡航速度で飛ぶ)。よって150qというのは現地到達まで25分前後しかない距離だったのです。
迎撃戦闘機部隊の場合、敵爆撃機が居る6000m以上の高度に上がるだけで5〜8分はかかるので、乗り込んで離陸して編隊を組んで、待ち伏せ高度で待機、というだけで20分近くは必要となります。よってちょっとでも段取りがズレたら上空を飛ぶ爆撃機を見逃す事になり、それどころか連合軍の護衛戦闘機に上空から頭を押さえられ、位置エネルギーを十分にもった敵からタコ殴りにされる最悪の事態が待ってる可能性が高くなります。
特に高高度性能が弱いドイツ戦闘機ですから、ここで先手が打てないとかなり厳しいのです。それでもなんとかするしか無かったのが戦闘機部隊の状況でした。

一方、対空砲部隊はフレイヤからの警告を受けると到達予想地域の部隊が敵機が60q前後まで接近するのを待ち、射撃指揮所に配置された射撃管制用レーダー、高周波でより正確な情報が得られるヴュルツブルク(Würzburg)レーダーに追尾を切り替えます。
これにより正確な敵機の方位、距離、の情報を得て諸元の計算を開始、各高射砲の射撃に必要な射角、方位の設定を指示します。このあたりの一連の作業は照準算定機(kommandogerät)にレーダーからのデータを入力すると半自動的に計算が行われ、その射撃データが配下の全対空砲に信号として自動的に送信されるようになっていました(ただし砲側の設定は指示板の数字を見ながらの手動作業となる)。
照準算定機から送られたデータは、各砲に設置された中継器(Übertragung)と呼ばれる装置に表示されます。後はその表示盤の指示通りに砲の設定を行って射撃すれば、同じ目標に対して、全砲門が集中砲火を加える事ができたわけです。

その照準算定機は、当初Kommandogerät 36(照準算定機 36)が配備されていましたが、これは射撃データの算定をできるのが直線飛行の場合のみ、目標の最大速度は時速560km以下、という制限があったため性能的にはギリギリでした。よって後にゆるやかな旋回までなら対応可能、かつ時速1000qまで対応したkommandogerät 40が登場する事になります。

これらドイツの対空用照準算定機で特に重要な点は、レーダーからのデータを計算して射撃指揮データに変換するだけでなく、さらにそれを信号として各対空砲に送信できた事です。これによって配下の対空砲中隊が運用する全ての8.8cm Flakに対し、射撃に必要なデータを一斉に指示できました。すなわち一種の情報回線ネットワークをすでに構築していた事になります。

この辺りの装置の発展は一斉に多数の高射砲に情報伝達する必要から生まれたものでしょう。
1941年からすでに2〜3個中隊が一つの射撃指揮所の指揮下に入るようになりましたから最大で24門もの砲に対し同時に計算された射撃データを伝える必要があったのです。この伝達に時間がかかっていたら、高速で飛行する目標はその間に射程範囲から飛び去ってしまいますし、口頭での伝達では間違いが発生しやすく、ただでさえ低い命中精度をさらに落とすことになりかねません。よってこのデータリンク機能は大きなメリットであり、これが無ければそれだけの砲の同時運用は不可能だったと思います。
この辺りの集団運用については、次回、詳しく見て行きます。

■いくつかのタイプがある8.8cmFlakですが、写真は2代目の量産型、36型。
この型から照準算定機とデータリンクされた中継器(Übertragung)が取り付けられ、砲の集団運用が可能になっています。
ちなみに8.8cmFlakの各種操作はこちら側、砲の右側でほぼ全て行うようになっていました。

簡単に見ておくと1のハンドルが砲の上下方向(射角)の調整ハンドル、
2のハンドルが水平方向(射撃方位)の調整ハンドルとなっています。
基本的に立って操作するもので、それぞれに一人の作業員がつき、
全力でハンドルをグルグル回して操作します。

ちなみに1のハンドルの上についてる分度器みたいなのが射角の目盛りなんですが、
これは四分儀というちょっと珍しいものを使っていました。

その上、3と4がすでに説明した中継器(Übertragung)の指示盤です。
ここに照準算定機から送られて来た設定に必要な数値が表示されます。
上下方向調整ハンドルの上にある3が射角の指示盤、
方位調整ハンドルの上にある4が方位の指示盤となっています。

その数字に従って砲を設定したら、後はドカンと撃つだけ、なのです。
このため各砲には直接照準を行う装置は無く、
とにかく指揮所から言われた通りに撃つことになってました。
(ただし目視照準器は設置可能で、その取り付け部は残っているから野戦部隊などでは使った可能性がある)



■こちらはFlak 36の後継機、8.8cm Flak 37の指示盤部分。
この型は砲の性能はそれほど進化しておらず、基本的には中継器(Übertragung)周辺が強化されているだけです。
ご覧のように、指示盤が普通のメーター式になってより見やすくなっており、これがFlak 37の特徴となっています。

同時に上で説明したように射撃指揮所に置かれる照準算定機も36から40に進化しており、
もしかしたら、それにあわせての変更の可能性もあります。
ちなみに、8.8cm flakには41型という射撃性能まで強化された最終進化型があるのですが、
1000門前後の少数生産に終わっており、あまり戦力にはなりませんでした。
 


といった感じで今回はここまでとします。


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