■ドイツは空軍は対空空軍

さて、ほとんど知られてませんがドイツ空軍の主力は、開戦前から終戦まで、すなわち最初から最後まで、戦闘機乗りでも爆撃屋でもなく、実は対空砲部隊でした。最も多数の兵員が常に配備されていたのは対空砲部隊なのです。
この辺りについてはドイツ空軍に関する基本資料の一つ、The luftwaffe data book に詳しい記述があるので興味のある人は読んでみてください。

対空砲部隊の活動はすでにアメリカの第二大戦参戦直前に開始されています。きっかけは、例の1941年12月4日にシカゴ・トリビューン紙がスクープとして掲載したアメリカの参戦計画に関する報道だったようです。アメリカの戦略爆撃計画、ハロルド・ジョージ率いる航空戦計画部(Air War Plans Division/AWPD)が建てた対ドイツ爆撃計画、AWPD-1計画の全貌をこの新聞がすっぱ抜いてしまい、その爆撃計画の情報はドイツの諜報員によってすぐさまベルリンに伝えられていました。

そのあまりに大規模な計画にショックを受けたドイツ空軍上層部は当初その巨大な爆撃計画を信じなかったと言われますが、さすがに開戦後はその対策を講じ始めます。その結果、アメリカ参戦から約1年半後に始まった連合軍の戦略爆撃は、すでに準備を終えていたドイツ空軍の強力な対空防御システムの前に巨大な出血をしいられる事になるのでした。
以後、血みどろの空の戦いが続く事になるのですが、この点、アメリカの多くの若者は、シカゴトリビューンの記者によって殺された、という見方もできるのに注意して置いて下さい。戦争における報道の問題というのは実にやっかいなのです。

そしてドイツの場合、対空砲部隊も空軍の管轄であり、このため数字を見ると驚愕すべき人的な資材がその対空砲部隊の組織に投入されています。例えば1939年、開戦直後であまり航空機を保有していなかったドイツ空軍において、その組織内で最大の兵力を誇っていたのは、既に対空砲部隊でした。総員で120万人しか居なかった当時の全ドイツ空軍の人員の内、対空砲部隊要員が実に2/3以上を占める状況だったのです。
さらにその後もその状態は続き、最終的に戦争末期の1944年秋には実に125万人が対空砲部門に所属しており、これまた当時のドイツ空軍兵員150万人のうち4/5がそこに所属する、という凄まじい数となっています。ただし、1944年の場合、民間から徴用された防空隊員、さらには占領国から連れてこられた人員、挙句の果てにはソ連軍の捕虜まで動員されてたようなので、必ずしも、全員が正規の空軍兵では無いようですが。

それでも、そういった女性や学徒動員、果てはロシア人捕虜を別にしても、ドイツ空軍の正規軍人の内、半分近くが対空砲部隊の配属だったとする資料もありますから、ドイツ空軍の主力部隊はあくまで空を飛ばない対空砲部隊だったと言えるのです。妙な空軍なのですが、それが連合軍の戦略爆撃に膨大な出血を強いたのもまた事実でした。



■ドイツの主力高射砲、8.8cm flak、いわゆるアハトアハト。
Flakはドイツ語の対空砲の略。最終的には2万門を超える数が生産されており、
まさに陸に空にドイツの戦いを支え続けた兵器の一つでしょう。
ついでに良く知られているように対戦車砲、さらには戦車の主砲にまで転用されています。


■ドイツ対空砲部隊

ちなみにドイツ空軍の対空砲部隊の運用は爆撃機に対する対空陣地のものだけにとどまりませんでした。ドイツ空軍最高責任者にしてナチス党の重鎮の白いデブ、国家元帥ゲーリング閣下のオレ様理論によって、すべての対空砲の運用は主に空軍が担当する事になっていたからです。

この結果、地上軍の対空砲部隊も基本的に空軍が運用する事となり、対空砲に車輪をつけて陸軍部隊とともに転戦して行きます。よって空軍の軍人の多くが、陸軍とともに88mm Flakを引っ張ってフランスやソ連の戦場に派遣される、という妙な事態になってゆき、彼らは世界でも珍しい陸戦経験豊富な空軍となって行くのです。
イギリス空軍も基地防衛用に地上部隊を持ってますが、主に基地と戦略目標の防衛用部隊で敵地侵攻の地上戦にまでは参加した事はほぼないですし、当時は陸軍の所属だった大戦中のアメリカ陸軍航空軍にもこういった種類の部隊はありません。ドイツならではの運用と見ていいでしょう。

そもそもドイツ空軍における対空砲の運用においてはFlak korps 、対空砲軍、という陸軍式の組織まで作られており、もう完全に陸戦部隊と同じ世界でした。彼らは対空戦闘だけではなく、FLAKによる対戦車戦闘も最初から想定しており、まさに空軍による地上火砲部隊という存在となっています。さらに大隊、中隊レベルの分散運用もあり、相当な数の空軍兵が対空砲を持って陸戦に投入されていたようです。

ただし、さすがに全ての対空砲部隊を空軍で運用するのは無理だったのか、陸軍にも陸軍対空砲部隊(Heers flak)が存在し、こちらはこちらで最終的に31個の対空砲師団を保持していました。実際にはこれらは師団単位で運用されているわけではなく、大隊、連隊単位で機甲師団や歩兵師団に分派され、師団本部は各部隊に対する補給、人員配置などを行っていたようです。でもって、その配下の部隊には空軍の対空砲部隊も含まれていた、というような話もあり、空軍と陸軍の対空砲部隊の住み分けについてはイマイチよくわからない部分があります。とりあえず、相当な数の空軍兵が陸戦に投入されていたのだけは間違いないようです。

ちなみに空軍にはもう一つ、ヘルマン・ゲーリング装甲師団、後の第1降下装甲師団と言う陸戦部隊が居ましたが、こちらの兵員は元陸軍兵が中心の完全な陸戦部隊でした。そもそもゲーリングが空軍の責任者に就任した時、彼が指揮していた元秘密警察のエリート部隊をそのまま軍に転属させたのがルーツで、高射砲部隊とはちょっと性格が異なります。本来は要人警護という元秘密警察らしい任務だったのが、ゲーリングの功名心から、後に地上戦闘にも参加する事になったのがこの師団なのです。

さて、そんな感じでいろんな方面で活躍する事になっていた空軍の対空砲部隊ですが、とりあえずその主要な装備を見ておきましょう。対空砲は重対空砲、中対空砲、軽対空砲の3種類に分類され、これらが混在して運用されたようですが、連合軍の戦略爆撃部隊を迎え撃ったのはその中の重対空砲部隊でした。

重対空砲は口径7.5cm以上のものとされていましたが、実際にはドイツ空軍に実戦配備された7.5cm口径の対空砲は無く、最小となったのが、既に紹介した8.8cmFlakで、2万門以上が生産され、これが開戦から終戦まで主力として活躍します。
その上のサイズの対空砲が1937年から採用された10.5cm Flak 38/39でしたが、これは2千門前後の生産で終わっており、それほど活躍してません。ちなみにドイツの戦艦ビスマルクやシャルンホルストの対空砲として積まれていたのが、この10.5cm Flak 38だったようです。
もう一つ、ドイツ軍が採用した最大の対空砲が12.8cm Flak40でした。本来は8.8cm Flak の後継として開発されたのですが、最終的に1000門以下の生産に終わったようで、これまたあまり活躍してません。ただし有名な対空砲塔、コンクリートで造られたビルのような建物に対空砲を固めて配置したFlakturm(英語だとFlak tower)に設置されたほか、主に列車高射砲として採用されていたようです。
ちなみに列車高射砲は、高速で各地に展開できる高射砲として開発されたもので、その名の通り、鉄道貨車の台車の上に設置され、連合軍の爆撃が予測される地点へと汽車で牽引されて送りこまれます。

その下のクラス、中対空砲として採用されたのは37mm のFlak18/36/37/43であり、他には世界中で運用されてたボフォース40mmも使用されていました。これらは連射可能な機関砲で、単発で撃ちだす高射砲とは異なります。基本的には高度4000m以下を飛ぶ機体が対象で、地上部隊の護衛、航空基地の防衛などが主な任務だったようです。

その下、一番小口径の軽対空砲としては2cm Flak30/38が採用されました。これらは低空侵入してくる戦闘爆撃機などが主な標的となっています。



■単装の2cm Flak 30。
1935年とやや古めな(と言ってもMe109初飛行と同じ年だが)2cm Flak 30は戦争が始まってみると
その発射速度(120発/分=2発/秒)の遅さから実用性が低く、
やがてマウザー社が開発したFlak 38に取って変わられる事になります。



■新型の20o機関砲 Flak38を4門束ね、
高速に大量の弾幕を張れるようにした対空機関砲Flakvierling(フラクフィーリン) 38。
このアメリカ空軍博物館の展示では向かって右側の防盾は外されてしまってるので注意。
これは地上に降ろされて固定された状態ですが、移動用の台車がセットになっており、
いつでもすぐ、トラックで牽引して移動が可能になってました。

ただしこの38型も約200発/分という速度であり、
低空を高速で突っ込んで来る敵機を弾幕で囲むには微妙な発射速度でした。

高速で動く目標を撃つ対空砲は狙ってあたるものではなく、
大量の弾丸をばら撒いて弾幕を張り、そこに敵機が突っ込んで来れば撃墜となります。
これは機関砲である軽対空砲だけでなく、8.8cmなどの重対空砲でも原理は同じで、
いかに大量に弾をばら撒くが重要なテーマになっていました。
このためドイツの2cm Flakでは4連装形態となるわけです。

このように、とにかく大量に弾をばらまいて弾幕を張る、というのが撃墜率を上げる基本的な対策であり、
最終的に20oクラスの機関砲では複数の銃身を束ねた
ガトリング式高速機関砲、ヴァルカン砲にまで発展してゆく事になります。



移動式、陸軍と行動を共にする対空砲大隊ではこれらの重対空砲と軽対空砲が混成で使われていました。
基本的に12門の8.8cm Flakと33門の防衛用2cm Flak、さらに4連装2cm Flak 9台が組み合わされ、そこにサーチライト12台が配置されていたとされます(ちなみに単装2cm Flakは地上攻撃機対策と同時に地上戦闘にも使われた) 。

それに対して固定式の陣地を築いて運用される対戦略爆撃陣地の場合、3〜4の重対空砲中隊(各中隊が4〜6門を持つ。よって全部で12〜24門を装備)を射撃管制装置を据え付けた指揮所から指揮するGrossbatterie と呼ばれる運用になっていました。これについては、また次回に詳しく見て行きましょう。

■88oの能力

ドイツ88mm高射砲の凡その射程距離は最大で14q、高度8000mまでとされています。ただし実際はもう少し低かった、と言われてるのでとりあえず高度7000mで10km飛ぶとして、目標の高度によってその射撃範囲がどうなるかを考えてみましょう。

以下のものは5000mと7000mの高度の目標に対して、88mm対空砲は、どの程度のエリアをカバーできるのかという図です。射程距離(矢印の点線で示される距離)が10kmなら、高度が高くなるほど、その到達直径は狭くなり高度ごとの砲弾が届く範囲はおよそ次の図のようになります。直感的に理解するなら、右下の図を見てもらうのが一番早いかと。

アメリカの昼間爆撃は通常は高度7000m前後、イギリスの夜間爆撃だと5000m前後で行われたのでそれぞれの高度における88oFLAKの射撃範囲を示したのですが、それぞれの高度に対し直径14kmと17.2kmの底面を持つ円錐内を88FLAKはカバーできたわけです。
ただし、実際の砲弾は地球の重力によって放物線を描いて飛んで行くので、黒の点線で書いたような軌道を描くため、有効エリアは朝顔の花のような形になるようです。とりあえず意外に広い範囲がカバーできてしまう、というのがわかると思います。
が、広いと言ってもB-17あたりだと、その巡航速度は220km/h前後出ていますから14kmの円を最大距離(つまり直径を通過)で横切っても、4分弱で射程距離外に飛んでいってしまう事になります。撃墜するなら、この間に可能な限り砲弾を撃ち上げる必要があるわけです。つまりどれだけ速く撃てるかの勝負になります。

このため、ドイツの88mm砲高射砲の砲弾装填はかなり早い段階で自動化されており、1分間に18〜20発は撃てた、とされています。が、それでも4分間だと最大80発前後を撃ち出すのが限界です。実際はそんなに都合のよい飛行ルートばかりではなく、もっと短い時間だった可能性が高く、相手の移動にあわせて砲身の向きを変えるなんて事をやってたら当然、撃てる数はもっと減ります。先に書いたように、3343発につきようやく1機撃墜となると、いつになったら撃墜できるのだろう、という世界になってしまうのです。このため、既に説明したようにドイツの高射砲は常にグループで運用され、全砲門で同じ機体を狙ったてわけです。

ちなみに、せっかく図なのでもう一つ、重要な点を述べて置くと、高度7000mに比べ高度5000mのほうが砲撃されるエリアが広い、というのに注目してください。つまり、高度が低いほど、より長時間にわたり砲撃され続けるわけで、航空機にとって低高度に降りる、という事がいかに恐ろしいか、という点が理解できるでしょう。対空砲から安全に逃げ切るなら、高高度の方が有利なのです。これは覚えて置いてください。

また、高射砲の場合、至近弾でも空気の薄い高空では衝撃波の効果は弱く、直撃の場合でも胴体中心部やエンジン以外だと機体に穴だけあけてそのまま飛び去ってしまう、という冗談みたいな状況になる事が少なくありませんでした。

このため散弾銃や手榴弾のように細かい破片が高速で広範囲に飛び散るタイプの爆裂式弾頭が採用されて行きます。これは敵機の回りで、大量の小銃弾をばら撒くような効果を狙ったものです。爆撃機本体を撃破するのはほぼ無理なのですが、飛行不能になる損傷を機体や乗員に与えられれば同じことだ、という考え方で使用されたものでした。
具体的にはエンジン周りの損傷に弱い部分、ラジエター、オイルクーラーなどを破壊する、舵や補助翼(エルロン)を操作するワイアを切断する、といったものですね。他にもパイロットを殺傷すれば後は墜落しかないですし、あるいは爆撃要員が負傷すれば、正確な爆弾投下は望めなくなりますから、これまた十分有効なわけです。

余談ながら8.8cm弾には照明弾もあり、夜間戦闘ではかなり使われています。これはサーチライトの代わりだけではなく、敵の夜間爆撃先導機が落とす爆撃位置指示の照明弾、いわゆるクリスマスツリー弾に似せたものもあり、目標のはるか手前で打ち上げて爆撃機の乗員に目標位置を誤認させるために使われたようです。

88oFLAKの砲弾。
弾頭部の直径は当然88o、全長は571o。

上の黄色部分からが弾頭で、その下は炸薬の入った薬莢部となってます。
一番上に付いてる円錐の金属色の部分が時限信管で、これで爆裂時間を設定して打ちあげるという、
一種のタイマーのようなものになってます。

ただしアメリカ空軍博物館で展示されていたこれは訓練用の模擬弾の可能性あり。




■ドイツ式の運用

ドイツの対空砲陣地では戦争の全期間を通じ、8.8cm Flakがその主力兵器でした。ひとつ上の10.5cm Flak、さらに8.8cmの後継であったはずの12.8cm Flakともにその生産数では8.8pの1/10前後で終わってしまい、最後まで主流になる事は無かったからです。

高射砲においては、基本的に地上距離で2000m以上の遠距離上空にいる目標が相手となります。それだけの距離で、さらに上向きに弾を撃つわけですから、その弾道はゆるやかな放物線となり、ほんの少し砲身の角度が動いただけで着弾位置は大きくズレてしまい、その到達点を正確に予測するのはまず不可能です。

さらに上空の風や、砲ごとのクセによって弾道は変わりますから、ほぼ100%狙った位置に弾は飛んでゆきません。かてて加えて、ドイツの高射砲弾には時限信管しかなく、目標の近くで自動的に爆破させるのはもちろん、特定の高度で起爆するようにする、という事ですら無理でした。
となると撃墜するには上空で時限弾頭が爆発した時にたまたま近くに敵機がいるか、あるいは敵機のエンジンやコクピットを直撃するか、しかありません。こうなると、もう完全に運頼みであり、その結果、数を撃ってその内1発が当たるのを願うという戦法しかないわけです。よって砲の大量運用による集中砲撃が必須条件となります。
このため対空砲部隊は砲撃を集中させるため中隊単位が基本となり、当初は4門で1中隊を構成、これらが同じ目標に向けて一斉に射撃を行うようになっていました。ちなみに先に見たようにイギリスもバトル オブ ブリテンの時は高射砲4門で1つの単位としてましたから、これが当時の標準的な対空砲の構成だったのでしょう。

ただし大型のB-17相手でも地上距離で2000m以上先では点みたいなもんですから、4門程度の弾幕ではなかなか当たりません。また、当たったとしても上に書いたような信管の問題で、そう簡単には撃墜できませんでした。よって、とにかく数で勝負、大量に弾をばら撒いて一発でも当たればラッキーと言う勝負をする必要があったのです。

そこで1941年の年末ごろから1個中隊ごとの砲の数が増やされ、各中隊で6門装備となり、さらにイギリスの夜間爆撃が本格化し始めた1942年からは、3個、あるいは2個中隊をまとめて一つの射撃管制指揮所の配下に置き、そこで照準を付けた1機の爆撃機に対して同時に12〜18門の8.8Flakが火を噴くという体制になります。
それでも6門体制になった1942年後半で、実に平均3343発撃ってようやく1機撃墜だったわけですから、6門一組で550回射撃して、ようやく1機撃墜という世界になって行きます。実に壮大な弾の無題使い、という感じですが、とにかく数を撃つしかないのでした。このため最終的にドイツ対空砲部隊では1個中隊ごとに8門まで運用するようになって行きます。

ちなみに、これだけ撃ちまくった弾の破片は当然、全て地上に落ちて来ます。それらは地上に到達する落下段階ではライフル弾くらいの速度となっており、人間に当たればほぼ即死でした。なので空襲中に防空壕に入るのは敵の爆弾を避けるというのと同時に、大量にバラまかれた友軍対空砲の砲弾破片を避けるという意味もあったのです。対空砲は地上の友軍にとっても危険な存在だったのでした。



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