■あふれ抵抗のお話

さて、今回からもう少し専門的な空気取り入れ口の話に入って行きます。
まずは空気取り入れ口の設計で意外に重要となる「あふれ抵抗(Spillage drag)」の問題を見て行きましょう。

ちなみに日本語の関係資料だとスピレージ抵抗という何語だそれ、といったカタカナ表記がされる事が多いモノですが、普通に「あふれ抵抗」という日本語化で何の問題も無いでしょう。当然、この記事では全てあふれ抵抗という表記で統一します。

ただしこの問題、本来なら風洞実験で確かめるか、実験データを基にスーパーコンピュータでシミュレーションするかしか無い世界なのですが、幸いにしてNASAのグレン研究所がその近似値を簡単な計算で求めるやり方を公開しています。極めて単純な数式なので、どこまで正確に近似できるのかは不明なのですが、基本的な考え方を理解するには十分だと思われるので、今回の記事はそれに基づいて進めて行きましょう。

ついでに改めて断っておくと、日本語の流体力学ではTotal pressure の訳語として「全圧」と「総圧」が並存し、私が確認した範囲では明確な定義が無いため、この記事では筆者の好みにより「全圧」を採用しています。よって全圧とある場合、Total pressure 、すなわち動圧と静圧を合計した流体が持つ全圧力を意味すると思ってください。

■あふれ抵抗とは何か

では空気取り入れ口の「あふれ抵抗(Spillage drag)」とは具体的にはどういった抵抗なのか。
簡単に言ってしまえばそのまんま、「空気取り入れ口から空気があふれ出して生じる抵抗」 です。ただし音速以下、以上でその発生原因が多少変わるのに注意が必要です。

まず音速以下の場合。これは空気の流入量が、エンジンの消費量より多くなってしまった時に発生します。


エンジンが10kg/秒の速さで空気を取り込み燃焼させ、同時に10kg/秒の気流が流入する状態、すなわち1秒間のエンジン消費空気量=流入空気量なら、全く問題ありません。気流が遮られる事なく、速度を維持したまま空気取り入れ口からエンジン内へ流れ、余剰空気は発生しないからです。

ちなみに地上駐機中のように速度ゼロの場合でも、エンジン吸気ファンでダクト内の空気を必要な速度まで加速できるので問題はありません。

 
問題となるのは、エンジンが取り込める以上の空気が流れ込んできた場合、高速飛行などにより流入空気量がエンジンの消費量を超えてしまう場合です。

この場合、エンジン内に取り込みきれなかった余剰空気はダクト内部に溜まって後続の気流を押し返すため、気流が開口部からあふれ出してしまいます。これが「あふれ抵抗」の主な発生要因です。


音速以上の飛行の場合は、それに加えて衝撃波背後の高圧空気が影響してきます。

空気取り入れ口周辺で発生する衝撃波背後には高圧部が産まれ、これが開口部前方の低圧部に逆流すると、これもあふれ抵抗の発生に繋がるのです。

このため音速越え機体の空気取り入れ口設計では、どこで衝撃波を発生させるのか、そして余剰となる高圧空気をどうやってダクト外に排出するかが極めて重要な点になって来ます。

ただし上の図では単純な離脱衝撃波ですが、実際の空気取り入れ口周辺で生じるのは接触衝撃波の場合が多いです。
そうなると斜め衝撃波が発生しますから、気流が通過する時に屈折するため、進行方向が斜めにズレます。当然、その影響は複雑怪奇で、とてもこの記事で扱える世界では無くなりますから、ここでは「音速を超えた場合、衝撃波背後の高圧空気も問題になる」とだけ覚えておいてください(手抜き)。



純ターボでもターボファンでもジェットエンジンの正面には強力な吸気ファンが付いてます。この吸引力によって速度がゼロでもエンジンが必要とする空気量を確保できるわけです。

ただしジェットエンジンの構造上、必要以上の空気が流れ込む場合は全てを取り込みきれなくなります。そうなるとダクト内に大量の空気が取り残され、これがあふれ抵抗の最大の要因となるのです。

この「あふれ抵抗」は正確に計測する事すら困難なのですが(いかに計測するかだけで論文になってたりする)、音速超えの飛行で生じる抵抗の内、2〜3割以上を占める、とするデータもあります。逆に音速以下ではそこまでの影響は無いようですが、この点を確認できる明確な資料が見つからなかったので明言は避けます。いずれにせよ、超音速戦闘機の空気取り入れ口の設計では、その対策が必須となって来るわけです。

やっかいなのは、なぜ「あふれ出し」が空気抵抗の増大につながるのか厳密には未だ不明な部分も多い点です。このため、現在世の中に出回っている資料を見ても極めて中途半端な説明しかありませぬ。それでもその理由を推測するなら、以下の二つが考えられるでしょう。

まずはダクトに詰まってしまった空気に次々と後続の気流がぶつかって生じる単純な作用・反作用の力に基づくもの。もう一つがあふれ出した空気が開口部周辺で前方から来る気流にぶつかり、乱流化して抵抗源となるもの。

実際は両者が複雑に絡み合ってる上に、さらには未知の要素が存在する可能性があるのですが、とりあえず空気取り入れ口から余剰空気のあふれ出しが生じると、無視できない量の空気抵抗が発生するのだけは確かなのです。よって設計段階で何らかの対策が必須となります。

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