■第五章 センチュリーシリーズの困惑


ではセンチュリーシリーズ解説の最後に、何のために造られたのかどうにもよく判らない機体、F-101とF-104を見ておきます。

両機は全天候型迎撃戦闘機として採用されたものの、そもそも当時の最新電子装置に対応しておらず、結局、本格的には運用はされずに終わってしまっています。その後F-101は偵察機に、F-104はさっさと退役して実験機などに転用されますが、要するになんで造ったのか最後までよく判らない機体なのです。F-104に至ってははダレスのパイプによって第二次大戦の敗戦国、日本、西ドイツ、イタリアに強引に売り飛ばされたので、一定の数が生産されたものの、アメリカ本国ではほとんどまともに運用されてません。

この辺り、邪推するなら予算確保のため、利権維持のための機体だったんじゃないかなあ、とすら思える連中です。ある意味センチュリーシリーズの迷走を象徴する機体とも言えますから、その辺りも含めて、ざっと見て置きましょう。
 
■マクダネル F-101B ヴードゥー

マグダネルF-101ヴードゥーはセンチュリーシリーズ二番目の機体であり、当初は低空進入の高速戦術核爆撃機として開発されていた機体でした。当然、戦術核に特化した機体であり、なんでこれがFナンバーなの、と思ったりもします。が、この計画は途中で放棄されてしまい、すでに生産に入ってたF-101Aは宙に浮いてしまうのです。

本来ならそれで終わり、のはずなんですが、なぜか高速偵察機に機種変更されて生産が続行されたのでした。それが偵察型のRF-101Cで、さらに既に造られてしまっていた戦術核爆撃のA型も偵察機に改造され、こちらはRF-101Bの形式名称を与えられます。



偵察型のRF-101C。ちなみにエリアルール未適用ながら最高でマッハ1.5を超えてくる世界初の超音速偵察機となったのですが、それはたまたまで、無計画な開発計画の迷走の産物でした。
ただし高速偵察機を持っていなかったアメリカ空軍では意外に重宝された機体となり、キューバ危機に投入されたのち、ベトナム戦争でも中盤までかなりの活躍をしてます。

さらにその後、突然という感じで、全天候型迎撃戦闘機として複座のF-101B型が登場して来ます。
この機体は複座な上にカメラ搭載部が無いので、コクピットから前はRF-101Cとはほぼ別物、という形状になっており、前から見たら同じ機体とは判別できまい、というものになってました。ちなみにこのB型は偵察型のRF-101「B」とは全く別物ですから注意が要ります。というか、なんでこんな紛らわしい機番を与えたのかも理解に苦しむ所です。



全天候型迎撃機のF-101B型。

1959年1月から部隊配備が始まってますから、F-106と並行して運用された全天候型迎撃戦闘機となります。
ただしアメリカの空の守りの担当はF-106と決まっていたはずですから、明らかに使い道がなくて泥縄的にこの任務に投入されたものでした。そもそも当時の地上レーダーシステム網とリンクする電子装置をつむ場所が無く、しかも複座に戻ってしまってますから、F-102以降に積まれた新型火器管制装置が積めず、よってほとんど役に立ちませんでした。空軍の主張によると、F-101Bが長距離迎撃機、F-106が短距離迎撃機、という事で、どうも域内警戒飛行、長距離哨戒任務みたいなことをやってたようですが…。

それでも全天候型迎撃戦闘機のB型はF-101の中ではもっとも多く作られた機体でもあり、800機前後の全生産数中、約480機がこの型でした。 当初は戦術核用の戦闘爆撃機として開発され、その後、音速偵察機、さらには全天候型迎撃戦闘機にまでされてしまった、という訳がわからん迷走をしたのがF-101だったと言えます。

さらにこの機体、事実上の欠陥機と言ってよく、大きく迎角を取るとそのまま機首上げが止まらなくなってしまう(涙)という恐ろしいクセがありました。こうなると空気取り入れ口が上を向いて気流から外れ、エンジンに空気が入らなくなってエンジン停止まで発生してしまうのです。
これに対して空軍が取った対策は“とりあえず真っすぐ飛べ、離着陸時にもなるべく機首を上げるな”という無茶な指示を出すだけという辺りが、この時代の狂ったアメリカ空軍らしいところです(これは急旋回、急上昇、急降下の禁止、すなわち真っすぐしか飛べないという何の意味もない戦闘機の誕生を意味する)。爆撃機相手とは言え、迎撃戦闘機でそれってどうなのよと思いますが…
ある意味で、センチュリーシリーズの迷走を象徴する機体とも言えるのが、このF-101なのです。


■ロッキードF-104スターファイター


 
存在理由がよく判らない機体その2がこのF-104です。日本の航空自衛隊でも大量採用していた機体です。

一応、全天候型戦闘機として採用されてるのですが、そもそも例の1954迎撃機の計画では、早い段階でコンベアのYF102とリパブリックのXF103の勝負となり、ロッキードは書類審査の段階で脱落しています(モックアップまでは造った可能性アリ)。
ところがその後、ロッキード社が自社開発していたこのF-104に空軍が予算を付けてしまい、最終的には迎撃戦闘機として生産、配備までされてしまうのです。設計者のケリー・ジョンソン自らがこの機体を空軍に売り込みに行ったとされるのが1952年10月で、これは既にF-102の採用が決まった後であり、なぜその段階でこの機体が採用されたのかは全くの謎です。普通に考えるなら利権がらみでしょう、これ。

このためWS-201A計画とは別ルートで開発された結果、地上からの迎撃管制システム、SAGEとのデータリンク装置は搭載しておらず、そもそも火器管制装置(FCS)関連も機体が小さすぎてまともなものは搭載できませんでした。そして自力で敵を探すにはレーダー装置が貧弱(対象エリアの広さを考えれば無意味に近い)で役に立ちませんでした。よって新型の火器管制装置(FCS)の補助が全く期待できないのです。
なのにレーダー、兵器の操作要員が居ない単座機ですから、事実上、当時の全天候型迎撃機としては使い物になりませんでした。最終的には戦闘爆撃機に転用されるのですが、この小さな主翼では精密爆撃のための低速飛行は無理で、しかもまともな武装なんてできるはずもなく、これまた中途半端に終わります。何がしたかったんだこの機体、というのが正直な所。

アメリカ空軍においてF-104を最初に運用したのは三大航空司令部の一つ、防空航空司令部(ADC)なんですが、1958年2月から全天候型迎撃戦闘機として部隊配備したもののまともに使い物にならず、わずか1年前後で引退させられています。以後は予備役とも言える各州の州空軍(ANG)へと引き渡されたようです。

その後、なぜか戦術航空司令部(TAC)が一部を引き取り、1965年7月からベトナム戦争で基地防衛用に配備しましたが、これもほとんど役に立たず、さらに先にも書いたように中国領空に迷い込んであっさりミグに撃墜されたりしたため、わずか3カ月で引き上げられてしまいます。その後、戦闘爆撃機として1966年7月に再度ベトナムに配備されるのですが、これもイマイチ使い道が無く、1年後の1967年7月には全機撤収となり、ほとんど何の役にも立ってません。

そもそもロッキード社が公表している機体の由来もなんか妙だったりするのも気になる所です。
朝鮮戦争時、F-86以外のジェット戦闘機のヘタレぶりにショックを受けた空軍が、1951年、当時の航空機メーカーの設計者達を罰ゲームとして調査の名目で日本の空軍基地に送り込んだ事がありました(ロッキード社によれば、ジョンソン自らの意思で調査に行った事になってるが事実ではない)。

その時“ケリー” ジョンソンがミグ15と闘ったパイロットからその高性能ぶりを聞き、それをヒントに生まれたのがこのF104だ、とされているのです。運動性のいいミグ15を意識した、というのはこれまたウソですね(笑)。F-104は主翼の小さな直線番長機であり、間違ってもそんな機体ではありません。なんでロッキードがここまで平気でウソをつくのか、よく判らん部分ですが…

F-104は小型軽量機ではあるのですが、機体と同じく主翼もやたらとカワいいサイズにしてしまったため、運動性は期待できない直線番長機であり、ミグ相手にドッグファイトなんて逆立ちしたってできません。この小型軽量化は高速化のためでしたが、マッハ2ならバカみたいにデカいF-105でも出てますから、それほど優れた性能でもありません。よって主翼まで小さくしてしまった意味が全く無いのです。それはロクに武器が積めず、そして運動性が悪化する事を意味しますから、何がしたかったのかよく判らん、という事になります。
さらにデルタ翼でも後退翼でもない翼で翼面上衝撃波対策をやってるため、極めて薄い、揚力の低い主翼となっており、とにかく高速専用という変な機体になってしまいました。

実際、後に本当の意味での軽量戦闘機開発の推進者となるジョン・ボイドが、F104に他のセンチュリーシリーズの戦闘機同様にダメ出ししてますから、F-104における軽量化は意味が無かったように思われます。ただし、加速は良かったので、より早く高高度にたどり着くことは可能でした。
が、レーダー誘導によってあらかじめ上空に上がって待ち受ける全天候型戦闘機にとってそれがメリットになるのか、と言えば微妙でしょう。後にソ連が同じような高速直線番長迎撃戦闘機を造ったときはMig-25という大型で武装に十分余裕を持った機体を作ってますから、こんな小型機にする理由はやはり無いと判断されたのだと思われますし。

正直、よく判らない機体です。
しかもこれを押し付けられた西ドイツに至っては、戦術核爆撃機にしてしまったため、飛行事故により多数の死傷者を出す、という悲劇に見舞われます。そりゃそうでしょう…
まあとりあえず、褒めらた機体ではない、というのは確かです。

■兵器システムWS

ここで少しだけアメリカ空軍における開発単位、兵器システム(Weapon system)について書いて置きましょう。
センチュリーシリーズ以降のアメリカ空軍では火器管制装置(FCS)などの各種電子機材を機体本体とセットとし、まとめて一つの兵器システムとして発注する体制になりつつありました。本来はB-47などの爆撃機で採用された開発システムなのですが、F-86D辺りから、電子装置が重要な存在となり戦闘機も機体だけでなく、全装備をまとめて開発するWS体制での発注が始まったようです。

ちなみに、この兵器システム方式で発注された機体にはWSナンバーが与えれられます。センチュリーシリーズの場合、最初はF-102と106がWS-201、F-101のB型がWS-217、F-105がWS-306、そしてF-104のWS-303となります。
気が付かれたと思いますが、WSナンバーは通算ではなく、さらにほとんど法則性がないのに注意してください。 このあたりはどうもよく判らない部分でもあります。


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