■第五章 センチュリーシリーズの困惑


■センチュリーシリーズへの道

ここで100番台に至るまでのアメリカ空軍におけるFナンバー機の開発の流れも確認しておきましょう。
まずアメリカの戦闘機のナンバーがF-94まで到達したのは「全天候型戦闘機の迷走編」で既に見ました。さらにF-86Dの本来の開発ナンバーがYF-95、後退翼のF-84Fの開発ナンバーがYF-96、そしてF-94C型の開発ナンバーがYF-97でした。よって97のナンバーまでは埋まっているわけです。
じゃあF-98と99は?というと、これらのはミサイルに割り振られてしまっています。



まずはこれ、ファルコン誘導ミサイル。
この型番は最終的にAIM-4となるのですが、そこに落ち着くまで、何度も名称変更がありました。その中で使われた一つがF-98なのです。ただしこのF-98の名称もいくつかの計画で使いまわされており、微妙によく判らん部分があります。


■Photo US Airforce museum

お次のF-99はこのボマーク(Bomark)対空ミサイルとなります。1959年から配備が始まったレーダー誘導地対空ミサイルで、このスタイルから無人戦闘機として空軍は宣伝、このためF-99の名称が与えられたとされます。

ただしどうもこの辺り、次世代戦闘機は超音速時代の機体なんだから、宣伝効果を狙ってキリのいい番号で始めたいと考えた空軍がF-98とF-99をミサイルで強引に埋めてしまい、次のノースアメリカンの機体をF-100(YF-100)にしたのではないか、と思われるフシがあります。確証は無いのであくまで筆者の推測ですが。

ちなみに100番台で欠番になっている数字の機体はどうなってるの、といえばノースアメリカンF-107はリパブリックF-105に競作試験で負けて不採用、残りのXF-103、XF-108、XF-109らは実物大モックアップ制作段階でキャンセルとなってます。



実機まで造られてながら、唯一不採用となったセンチュリーシリーズ、ノースアメリカンF-107。1956年初飛行の機体です。
コクピットの上にエンジンの空気取り入れ口があるのは戦術核を搭載する戦闘爆撃機として胴体内に最大のスペースを確保した結果でした。が、どう考えても良い設計とは言い難く、競作相手だったリパブリック社のF-105に敗北、試作段階でキャンセルに終わります。ただし試作機を意味するYF-107ではなく、なぜか正式番号であるF-107の数字をもらっていたようです。理由は不明。
ちなみに正式名称を得た最後のノースアメリカン社の戦闘機であり、この不採用が名門ノースアメリカンの凋落の第一歩になりました。

その次のF-110は海軍から来たF-4ファントムII空軍型の番号だったのですが、後に海軍&空軍の戦闘機呼称統一によりF-4に名称変更され、そして最後に失敗作戦闘機、F-111が登場して終わります。ただしF-4ファントムIIとF-111は通常、センチュリーシリーズには数えません。

■戦術核爆弾の登場

でもって、この時代のアメリカ空軍戦闘機を理解するのに重要な鍵があります。
それが戦術核兵器(Tactical nuclear weapon /TNW)の登場です。1950年代に入ると、核弾頭の小型化が進み、従来より小型で、その破壊力もやや抑えられた「戦術」核弾頭が登場してきます。これによって相手国家の主要部を一撃で破壊する兵器だった核爆弾が、戦術レベル、作戦の前線に投入される可能性が出てきます。
数の上で圧倒的であるソ連&ワルシャワ条約機構の陸上軍、中でも戦車部隊が一気に西ヨーロッパを席巻してしまうだろう、というのが当時の悩みのタネだったため、アメリカ空軍はこれで一気に問題の解決を図るのです。

第三次大戦開戦となってソ連の大規模陸上部隊が攻めてきたら、維持コストが高く、数が揃えられなかった当時のアメリカおよび西側諸国の地上兵力でこれを防ぎきるのは困難でした。よって高速な戦闘爆撃機に戦術核爆弾を積んで出撃させ半径数kmの規模で敵部隊を吹き飛ばしてしまえ、という考え方です。当然、戦場になった国と地域も灰と化しますが、ルメイの狂気で支配されたアメリカ空軍はそんな事情なぞ微塵も考えませんから、これがベストな解決策であるとされたわけです。後に多くの技術的な批判にさらされる事になる計画ですが、この当時はかなり本気で推進されてました。

このため、F-84F以降の1950年代の戦闘機、特に新時代の音速戦闘機軍団として登城したセンチュリーシリーズにおいては戦術核爆弾の運用能力が求められ始めます。例外はアメリカ本土の防空用だった全天候型迎撃戦闘機、F-102とF-106(実際はF-102はベトナムに派遣されるのだが)くらいで、それ以外の機体はほぼ全て、戦術核爆弾の運用が可能となっていました。

ほとんどの戦闘機の運用は戦略航空司令部、SACの管轄ではなく、戦術航空司令部、TACの管轄でしたから、これによってアメリカ空軍の上級司令部の内、二つが核兵器を中心とした装備となり、この結果、前線で戦う兵器のほとんどは核兵器の運用が前提となってしまいます。
この狂った空軍が、戦術核兵器で吹き飛ばす戦車軍団も戦略施設も持ってない相手との戦争、通常兵器だけの戦争となったベトナム戦争で悲惨な目にあったのは当然の事だったとも言えます。



1952年からアメリカが運用し始めた世界初の戦術核爆弾、Mark7。
小型化された原爆と言っても装置の縮小に原理的な限度があるウラン235型原爆なので全長で4.6m、直径で76pとかなりのサイズとなってます。この点は後に劇的に小型化される爆縮型のプルトニウム原爆により、さらなる小型化が進むことになります。

ちなみに、このMark7は8キロトンから61キロトンまで威力が調整可能だったそうですが、どういった仕組みなのかはよく判らず。まさか前線基地でウランの抜き出しとかはやらないと思いますが…。核弾頭部が選択式だったのかなあ。
ちなみに同じウラン235型の広島型原爆は推定で20キロトン前後の威力だったので、戦術核と言っても、都市一つくらいは軽く消し去れる爆弾になっています。まあ、軽く狂ってますね…。

ただしこの辺りは受けて立つソ連もわかっていたので、こちらはこちらで核爆発の衝撃波に耐え得るObject279という巨大戦車を開発してます…。この戦車は爆心部の高熱にさらされるとアウトですが、核爆発の凄まじい衝撃波には爆心から少しでも離れていれば耐えれる設計となっていました。大気圏内の核爆発、とくに戦術核レベルなら熱の直撃が問題になるのは爆心からせいぜい1q程度ですから、後は強烈な衝撃波対策をすれば生き残りは可能だったのです。爆発時の放射線も分厚い装甲の中なら意外に食い止められるのですが、ばら撒かれる放射性物質にはまともな対策が無いので(換気フィルターくらい)、最終的に乗員は無事では済まなかったでしょうけども…。
まあ、どちらを見ても、みんな狂ってます、というとこですね。
 
■センチュリーシリーズの分類

さて、ここでセンチュリーシリーズの戦闘機のラインナップを再確認しておきましょう。6機の機体は大きく3つのジャンルに別れます。
まずはF-89、F-86D、F-94Cの流れをくむ、電子装置を満載し、レーダー誘導により運用される全天候型迎撃機。お次は上で見た戦術核兵器を運用する戦闘爆撃機。最後は何をしたかったのかよく判らん機体、おそらく兵器産業と軍部の癒着で予算確保のためだけに造られた機体たちです。
これらの機体に共通するのはただ一つ、音速を超える戦闘機だった、という点だけで、その他に明確な開発コンセプトはありませんでした。よって、この時代のアメリカ空軍が何考えてたのか、全く理解できませぬ。


この中で、ちょっと特殊なのが戦闘戦術核爆撃機で、ベトナム開戦時にアメリカ空軍はこれ以外の戦術爆撃機を持ってませんでした。そして戦略レベルの爆撃機であるB-52は安全のため、対空ミサイル(SAM)とレーダー管制の対空砲、さらにはミグ戦闘機でハリネズミのように固められた北ベトナムには飛ばしませんでした。

よってあらゆる爆撃任務がF-100とF-105に割り振られ、さらに戦争序盤でF-100は実用に耐えぬと判断されて引き上げられてしまったため、その後はF-105にあらゆる爆撃任務が集中する事になります。この結果、F-105がベトナム戦争の中盤まで、アメリカ空軍を支え続ける屋台骨、主力機となって行き、その結果、膨大な損失を出し続けます。

ちなみに戦術爆撃機ですが、その任務は第二次世界大戦中のB-25などの双発爆撃機に近く、場合によってはB-17やB-24の四発エンジン爆撃機のような仕事までやってました。なので戦闘爆撃機と言っても、第二次大戦のP-47のように地上兵力の支援なんてものはほとんどやってません。繰り返しますが空軍は自分達で全戦争をコントロールするつもりであり、地上の陸軍の面倒を見る気なんてサラサラないのです。

この結果、陸軍からの猛烈な抗議を受け、あわてて海軍のレシプロ攻撃機、中古のスカイレーダーや新型ジェット攻撃機、A-7を急遽導入して間に合わせる事になります。ちなみに海軍はA-6というレーダー誘導によって夜間だろうが荒天だろうが飛べる、全天候型攻撃機を持っていましたが、空軍は撤退直前の1972年、ラインバッカー作戦にF-111を投入するまで、そういった機体すら持ってませんでした。こうなると悲劇を通り越して、喜劇に近いですが、そんな戦力で戦わされ、死んでいった兵士たちは浮かばれないでしょう…

さらに十分な航空支援が期待できぬ、という事から陸軍は独自の航空兵力開発計画を開始、そしてそのとん挫から陸軍の戦闘ヘリと空軍のA-10という副産物が産まれて来ることになります。

といった感じで今回はここまで。
次回、センチュリーシリーズの各機体をもう少し詳しく見て行きましょう。 

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