■第五章 センチュリーシリーズの困惑


■百ある戦闘機の中で

第二次大戦後、核兵器を中心とする戦略爆撃空軍化に舵を切ったアメリカ空軍でしたが、それでもかろうじて朝鮮戦争まではF-86セイバーという一流の制空戦闘機、航空優勢を維持する機体を運用してました。
ところが徐々にルメイ率いる戦略航空司令部、SACが空軍全体を牛耳り始め(なにせ予算を握っていた)、朝鮮戦争終結後には航空優勢を確保するための制空戦闘機の開発を完全に放棄してしまうことになるのです。

このため1950年代になってから、音速を超えて飛ぶ、という以外になんら明確な運用思想がないまま次世代戦闘機の開発に入ってしまいました。
さらに利権がらみで兵器産業に予算がばら撒かれたと思うしかない無計画性によりアメリカ空軍の戦闘機の開発と運用は迷走を重ねて行きます(アイゼンハワーが軍産複合体、軍と兵器産業の癒着とその政治力の大きさを警告した時代である)。そして皮肉な事に、まともな戦闘機の開発を放棄した結果、空軍の戦闘機の種類はベラボーに増えることになるのです。
それが1950年代半ばに登場する一連の戦闘機、百番台のFナンバーの機体、いわゆるセンチュリーシリーズでした。正規採用されたたけでも6機もの戦闘機がわずか3年ほどで次々と登場して来る異常さを、最初に年表で確認して置きましょう(笑)。


機体の名前の後のカッコ内の数字が初飛行年。
ちなみにセンチュリー(Century)は世紀と同じ意味、百単位を意味しますが、ちょっと日本語にはしづらいですね。アメリカでは100ドル札の事もセンチュリーと言うので、どこかデラックス、高価なイメージとなるみたいです(当時の100ドルは相当な高額となる)。

センチュリーシリーズの機体は大きく三つの分野に別れるのですが、それぞれのジャンルで全て重複があり、それらがわずか3年の間に次々と初飛行してるわけです。いくらこの時代でも、わずか3年で大きな技術的な進歩があるわけがなく、これだけの数が登場してしまったのは全て開発計画の迷走の結果です。最悪といっていいでしょう。

このため本格的な実戦の場となったベトナム戦争では、F-105を除く全ての戦闘機、攻撃機が使い物にならず、最終的に海軍からの機体供給で乗り切る、という屈辱的な経験をする事になりました。そのF-105もとりあえず実戦に耐えた、という次元の話であり、特別優れた機体というわけではありませぬ。

ちなみにセンチュリーシリーズはベトナム戦争においてF-106を除く5機種が投入されました。が、全戦争期間を通じて、センチュリーシリーズの機体によるMig-21の撃墜はゼロ、一機もありません。Mig-17になるとかろうじてF-105だけが数機撃墜を記録してますが、他の機体による撃墜はこれまたゼロ、逆にすべてのセンチュリーシリーズが空中戦によって撃墜されてます(F-102、F-101、F-104は1機ずつ、さらにF-104は間違えて領空侵犯した結果、海南島上空で中国機(MIg-19の中国生産版)に撃墜される、という変な記録ではあるが)。

ベトナム戦投入時にはどの機体も初飛行からほぼ10年経っており、最新鋭の機体でなかったのは確かですが、北ベトナム側の主力機の一つ、Mig-17も条件は同じでしたから、やはりセンチュリーシリーズがダメだった、という事になるでしょう。
(以上の数字はアメリカ空軍の報告書A COMPARATIVE ANALYSIS OF USAF FIXED-WING AIRCRAFT LOSSES 0, IN SOUTHEAST ASIA COMBAT 1977 による最終的な正式記録)



ソ連が北ベトナムに送り込んだ最初のジェット戦闘機はMig-17でしたが、その直後、1965年後半からは早くも最新鋭のMig-21の供与が始まってます。当時の最新鋭機だったこの機体相手に、センチュリーシリーズはまったく歯が立たなかったのでした。それは朝鮮戦争でMig-15にコテンパンにされたF-80やF-84に似てますが、ベトナムではF-86のような救世主となる制空戦闘機は最後まで登場しないで終わってしまうのです。海軍から支給されたF-4ファントムIIでも、低空、高速時の性能で上回るのが精一杯で、とても優位に戦えるといえるレベルには無かったのでした。

そして、この辺りの多品種乱立の混乱は後に1961年のケネディ政権になった時、その国防長官マクナマラを激怒させます。元は自動車会社フォードの社長ですからその非効率性に驚き、彼は積極的にその修正に手を付ける事になるのです(フォードの社長と言ってもCEO、経営責任者ではない。ついでに就任から数週間で辞任して国防長官になってしまってる)。
その結果、海軍が開発したF-4ファントムIIの全軍主力戦闘機化、そして悲劇に終わるF-111の開発に繋がって行くのですが、それはまた後で見て行きます。

■軍人のお仕事

ここで平時の軍隊の仕事は何か?アメリカ空軍の目的は何か?を確認して置きましょう。
これは言うまでもなく予算の確保、すなわちお金の確保です(笑)。
冗談抜きで軍は組織として生き残ることが最重要課題であり、それは組織運営の血液であるお金、予算を確保することに他なりません。よって平時の軍隊の活動目的は予算確保、これに尽きます。戦争中には敵を倒す、が目的に追加されますが、それでも予算の確保は軍の組織にとって最重要課題なのです。

そこら辺りが、よく理解できる話をひとつ。
1974年、当時空軍が開発中だった音速爆撃機、B-1の開発費が底抜けに膨らんでしまいつつありました。その価格の高騰から採用が危ぶまれ始めた時、ペンタゴンのある大尉(この連載記事の後半から登場するジョン・ボイドの部下)が必要予算の見積もりをやってみたのです。その結果、1機あたり当初の予算の倍以上の価格となる、と彼は発見し驚愕、これを報告書にまとめました。
この時、彼の上司に当たる空軍の将軍の一人がその報告書を見て、これが議会に知られたらB-1の開発は中止になる、と危惧し、大尉を呼び出してこれを公開しないように警告をしました。その時、彼が言った言葉が、実に軍隊の本質をよく示しています。これが軍という組織の支配階級(少将)にいる人の言葉です。

Our job is to see that the flow of money to the contractor is not interrupted.
(我々の仕事は、契約相手に回る金、これを止まらせられないようにする事なんだ)

平時の兵器はなぜ、開発されるのか、と言えばまずお金がもらえるからです。
そのお金はどこに行くか、というと軍需産業であり、そこで働いている人の中には、軍を退官して再就職した人、すなわち天下り軍人さんが多く含まれます。つまり多くの企業を発注先に持つ、ということは天下り先の確保に他なりません。

定年まで働ける人間は全体の数%という特殊な労働環境である軍にとって、兵器開発の数の確保は、そのまま必要不可欠な再就職先の確保につながるのです。なのでより多くの予算を確保して、たくさんの関連企業が持てれば軍人さんとしてこれほどハッピーな事はありません。
そんな典型的な“予算のための戦闘機”の代表例が、これから紹介するセンチュリーシリーズだと言って大筋で間違いではないでしょう。単なる明確は設計概念の欠如だけで説明できる迷走では無いですから。
そこら辺りを理解していただいたところで本題に入りましょうか


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