■第六章 ジョン・ボイド


■序章 ジョン ボイド登場


ヴァージニア州ラングレー空軍基地は戦術航空司令部(TAC)の所在地であった。

1964年の秋の始め、そこで開かれる月曜朝8時からの会議は退屈なものになるように思われた。
はるか南、フロリダ州のエグリン基地からやって来た一人の少佐が、その朝一番で司令官のスウィーニー大将に報告説明を行う事になっていたのだ。
斬新なアイデアの新理論だ、とのウワサだったがこれまでもウンザリするほど“全く新しい革新的な理論”が持ち込まれ、そのほとんどが実際には役に立たないシロモノだっただけに誰も期待なんてしてなかった。

説明報告会が始まる15分以上前には、ほとんどの参加者がそろいつつあった。彼らが部屋に入って驚いたのは、その少佐がどう見ても40歳近い事だった。通常は中佐以上、速ければ大佐クラスで飛行隊隊長などに就いてる年齢だろう。この歳になっても少佐だ、というのはよほど問題があっての事だろうし、まだ軍にしがみついてる、というのは軍隊以外では使い物にならない、ということを意味しているはずだ。
少佐クラスの人間が上級司令部であるTACの司令官相手に報告説明を行う、というのも異例ではあったが、その少佐もまた異例だったのである。

実際、彼はその攻撃的な性格と、上官を上官とも思わない態度で常に問題視され、出世街道から完全に外れたルートでキャリアを積んで来るはめになっていた人物だった。やがて会議の開始時間直前に、TAC司令官スウィーニー大将が四つ星の階級章をきらめかせながら入って来た。
運命のミッドウェイ海戦の時、ミッドウェイ島の基地に駐留していた陸軍航空隊の指揮官であった彼は、日本海軍相手に徹底的に戦い抜いたタフな男として知られていた。もともとは爆撃屋で、戦略航空司令部(SAC)の作戦司令官を務めたこともあった男だった。が、当時のアメリカ空軍では、戦闘機屋の戦術航空司令部、TACの司令官だろうと、爆撃屋の総本山である戦略航空司令部、SACから来た人間がその地位に就くのは珍しくなかった。空軍の仕事はあくまでSACの持つ核兵器による敵国家の直接破壊であり、そのほかの部門は全てSACに協力するための存在でしかなかったからだ。
核兵器と軍の予算を握ってるSACに逆らえる上級司令部は無かったのである。

この会議の直前、1964年の8月にはトンキン湾事件があり、秋になるとアメリカ空軍もいつかベトナムの空に派遣されるのは確実だろうと思われ始めていた。が、彼らはまだ、そこが戦闘機屋のTACにとってどれほど凄惨な戦場になるか、全く想像できていなかった。
なので今回の報告説明会も、空軍内で最近話題に上っている新しい空戦論の評判を聞き、とりあえずその張本人を呼び出してみた、というのが実情に近く、それほど期待されているとは言いがたいものがあった。事実、この少佐には20分の説明報告時間しか与えられてなかった。TACの関係者にとって、それはいつものけだるい週明け最初の会議に一つに過ぎなかったのだ。

だが、ただ一人、これから何が起こるのか正確に理解していた男が、そこに居た。
今回の報告担当者である本人、そのさえない少佐、ジョン・R・ボイド(John Richard Boyd)である。
彼はエグリン基地のコンピュータの空き時間を無断で“盗み”ながら前年の1963年にその持論を明快な形にする事に成功していた。その結果、まだこの段階で初飛行すらしておらず、ほとんどのデータは軍内でも機密とされていたF-111戦闘機が全く失敗作であると指摘し続け、さらに海軍から導入し、既に配備が始まっていたF4ファントムIIが重すぎて空戦に向いてない機体だ、という事も予言していた。
空軍にとっては悪夢でしかないこの二つの予言はやがてベトナムの空で完全に的中する事になる。

ボイドはそれを空軍内のさまざまな部門、責任者に説明し続け、1年近くかかって、ようやくTACの司令部に乗り込んできたのだ。彼はアメリカ空軍の戦闘機部門を自分一人でひっくり返してやろうくらいの覚悟を持ってやって来ていた。なにせ相手は空軍の戦闘機部門の最高責任者とその幕僚達である。その理解を得られれば、彼の理論は空軍の戦略方針として採用されるのだ。

ただしこの時、目の前の少佐がどれほどの男であるか、を出席者の誰もが正確に理解していなかったように、おそらくボイド自身も完全には自分の存在を理解していなかったろう。後に彼はアメリカ空軍の戦闘機開発とその運用戦略をほぼ一人で背負って行く事になり、F-15、F-16という傑作戦闘機の開発の中心人物になる。さらに直接は関係して無いものの、間接的にはF/A-18、さらにはA-10攻撃機の開発にも関わっており、この両機も彼が居なかったら決して誕生しなかったと言えるものだった。

その後、ボイドは一度は軍を去りながらも空軍の枠組みを超えて海兵隊の基本戦略に影響を及ぼし、それはやがて陸軍にも及び、最終的には湾岸戦争における戦略そのものの背骨を組み上げる事になる。ベトナム以降のアメリカ空軍、それどころかアメリカ軍そのものが、このたった一人のさえない男を中心に回り続ける事になるのである。
ただし、この段階におけるボイド自身の関心は自分の戦闘機理論とそれを戦術指令部TACに受け入れさせる事だけだった。

いつの間にか“エネルギー機動理論(Energy maneuverability theory/E-M theory )”、略してE-M理論の名で呼ばれるようになっていたその理論は一見すると単純な運動方程式による、ありきたりの理論に見えた。
理論の背骨となる数式そのものは単純明快、

機動エネルギー(Ps)=(T-D)/W × V

(T=推力 D=抵抗 W=重量 V=速度)

これだけだ。

ここでTは航空機の推力、機体を前に進める力、Dはそれに対して機体の前進を妨害する力、抵抗値である。
Wは機体の総重量(質量×重力加速度)、Vは速度を意味している。一見しただけでは判りにくいがこれはエネルギーの使用効率を示し、高度の低下を伴わない、維持旋回が可能な状況において通常はエンジン出力が大きい方が優秀であり、エンジン出力が同じなら、抵抗が小さく、機体が軽い、つまりエネルギーの使用効率が大きい方が優秀である、という単純な話になる。
だが、この理論の本質はその数式にではなく、その考え方にある。これを深く追及すると戦闘機の空戦を数値で明快に解剖できることになるのだが、詳細はまた後で見る事にしたい。

話を1964年の朝の会議に戻そう。
ほぼ定刻の8時に少し前にスウィーニー大将が席につき、説明を始めるようにボイドは告げられた。彼の説明が始まってしばらくたつと、室内に当惑と動揺が入り混じった、ある種、異様な雰囲気が広がって行くのを誰もが感じる事になった。

プレゼンテーターとしても優秀な部類に入ったボイドは、自らの理論の説明に無味乾燥な数字の羅列を使ったりはしなかった。彼の理論から導き出された結果は判りやすくグラフ化され、それらはスライドフィルムを使って、次々にスクリーンに映し出されて行く。それを前にボイドは淡々とした調子で説明し続ける。だが、説明を受ける側にはあきらかに動揺が見えていた。

ボイドの示すグラフで赤い部分はソ連戦闘機の優位を意味し、青い部分がアメリカ戦闘機の優位を意味した。そして、スクリーンは常に赤い色が支配し続け、アメリカの優位を保障してくれる青い色は劣勢であり続けたのだ。場合によっては、青の部分は全く見ることができなかった。つまりパイロットの技量や電子装備など、機体性能以外のあらゆる条件が対等なら、アメリカ空軍の機体はほぼ全て負けるだろう、と彼は宣告しているのだ。そんなバカな、と出席者のほとんどが思ったはずだ。コイツは狂ってるに違いない、と戦闘機屋としてのプライドを持つTACの関係者たちは思ったことだろう。

だが、彼の使ってるデータはアメリカ空軍研究所があるライトパターソン基地から提供されたものであり、彼の使う数式にも明確な破綻は見当たらない。呆然としながらも、ボイドの説明に強い抵抗を感じていた者は多かったが、その説明を遮る事はしなかった。反論するには明確な論拠が居るが、それはどこにも見当たらない。実際、反論を試みた何人かは簡単に論破されてしまった。
つまり残念ながら、この歳を食った少佐の言ってることは、どうも事実らしい。異様な空気が室内を支配し続ける。この戦闘機で我々はベトナムの戦争に巻き込まれるというのか?ソ連の戦闘機相手に負けに行くようなものじゃないか、と動揺は広がる。

「ここまでで何か質問はあるでしょうか」

ボイドが説明を終了したのは、明らかに中途半端な段階だった。
「なければ私の説明は以上です」
静まりかえった室内にボイドの低い声が響くと、目の前で食い入るように話を聞いていたスウィーニー大将が問い詰めるような口調で訪ねた。
「終わり?どういうつもりだ?」
「閣下、私に与えられた時間は20分だと聞きました」
普段の彼からは考えられない慇懃な態度でボイドが応える。
「もう、時間なのです」
TAC司令官は多忙な役職だった。そのスケジュールは分刻みといえるほど詰め込まれている。幕僚達は、彼らのボス、スウィーニーの判断を待って、静まり返っていた。そして、スウィーニーの判断は早かった。
「…続けたまえ少佐。今日の私の予定は全てキャンセルだ」

アメリカの空は、この瞬間から、再び変わり始める事になる。
それは1941年の夏にハロルド ジョージが作った道、戦略空軍への道からの転換の始まりであり、アメリカ空軍がホンモノの世界最強空軍に生まれ変わる事になった瞬間でもあった。F22という戦闘機にいたる道を見ていくには、このボイドという男を理解し、見届ける必要がある。そして、それを理解するにはいくつかの予備知識がいる。それらを通じて、我々はアメリカの空が迎えた二人目の天才を理解せねばならないのだ。

戦略爆撃と核弾道ミサイルで世界を変えたアメリカ空軍は根底から腐りつつあった。そこに奇跡のような偶然で存在したボイドという天才は空軍中の憎悪を一手に引き受けながら登場し、これを一気に革新してしまうのだ。我々はこれからそれを見て行く事になる。

世界は再び変わるのだ。


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