■世界は丸い



台東区 小野照崎神社の祭りの夜。
三社祭の周辺祭の一つ。この右手に江戸期からのミニ富士山があり


というわけで、レンズが結ぶ像を手で紙に写し取るところから始まったカメラは、
やがて感光板、フィルムの登場によって、化学的に記録されるようになります。
さらにすすむとデジカメになるわけです。

で、実はここで問題が出てきます。
…主に私に(笑)。



子供と一緒にやると、結構ウケル実験。

蛍光灯の真下に白い紙を置き、その上で凸レンズ(虫眼鏡)を水平に持ち、
少しずつ、紙の方へと近づけて行きます。



で、焦点、ピントがあうポジションにレンズが来ると、蛍光灯の像(実像)がそこに現れます。
周りを暗くして、あの場所にフィルムを置いておけば、
とりあえず写真が撮れる、というのはわかりますね。
まあ、これがカメラの原理なわけです。

で、実は上の写真の方がわかりやすいんですが、
この時、像はレンズと同じ円形になります。
我々が見る写真が一般に四角いのは、単に感光板やフィルムの場合、
丸型じゃ扱い難かったからだけで、
別に深い理由や宗教上のタブーがあったわけではありません。
デジカメでも画像が四角いのは、単にその延長線上にあるからだけしょう。

ということは、せっかく結んだ画像のうち、四角く切り抜かれた中心付近以外は、
情報として「捨てられしまっている」わけです。

それがどうした?というのが、
実は私がパナソニックのLXシリーズを愛してやまない理由につながって行くわけですが、
とりあえず今回はここまで。

中途半端なのは、いつもの事よ…


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